一般に、日本の学者や作家が日本人向けに書くアメリカ論というものは、大衆の関心を掴もうという狙いから、書く内容においては実に綺麗事が
多い。そこで今回、このコーナーでそうした「綺麗事を述べないアメリカ論」を書いてみてはどうかと考えるに至った。
幸か不幸か、日本における大衆心理というものは、いわゆる「アメリカ崇拝」のメンタリティーを基盤としている。戦後、一貫してアメリカ追従主義を
採っていた日本では、アメリカは「自由」「平等」「正義」の国であり、アメリカに従うということが即、「日本の正義である」として考えられてきた。
最近、前野徹氏(元東急エージェンシー社長、現在、アジア経済人懇話会会長)が、「新歴史の真実」(経済界)という本を出版した。この本はベ
ストセラーとなったが、竹村健一氏も、フジテレビの「報道2001」でこの本の紹介をした。
前野氏は、この本の中で、実に痛快にアメリカ批判を展開している。戦後における我が国の誤った歴史の歩みについて実に具体的な論証方法を
用いながらストレートに論じ切っている(余談になるが、この本を担当した編集者は、私の本、「話し方の達人」(経済界)を担当した編集者でもあ る)。
思うに、我が国には、アメリカの表面的な側面しか見ていない人間があまりにも多すぎる。私は、1998年に「本当のアメリカを知っていますか」
という本を出し、その後の執筆活動においても、必要に応じてアメリカのポジティブな側面とネガティブな側面の双方を述べてきた。そして、今回、 このコーナーにおける”走り書き”においても、可能な限り「本当のアメリカ」を述べることに努めたいと思っている。私は、「我々が本当にアメリカを 愛したいならば、アメリカにおける本当の現実を認識し、その上で愛するべきではないだろうか」と考える。なぜならば、本当の現実や物事の有様 を認識することなしに何かを愛することは、単なる「妄想」でしかないからだ。
何事においても、ポジティブな側面、そしてネガティブな側面の両方を知った上でなければ、そこに潜む本当の「本質」にたどり着くことは極めて
難しいと言わざるを得ない。
ニューヨークは、何かを成し遂げようとする「野心」を持っている人にはとっては極めて魅力的な場所だ。
一口にニューヨークといっても、行政区でいえば、マンハッタン、クイーンズ、ブルックリン、ブロンクス、スタテン・アイランドの5つに分かれている。
その中でも、マンハッタンは、超高層ビルが立ち並ぶ世界で一番刺激的な街である。
マンハッタンは、アメリカの経済の中心地というよりは、世界経済の中心地である。そしてそこには、
「何かをやってみよう」
「一旗上げてみよう」
とチャレンジするエネルギッシュな若者が星の数ほどいる。
一週間程の観光旅行であるならば、お金さえあればマンハッタンは実に楽しい場所だ。だが、学校で学ぶにしても会社で働くにしても、マンハッ
タン島の居住者となり、生活をマネージしていくということは決してイージーなことではない。まして、英語がうまく話せない外国人の場合、まず言 葉の障害があるため、多忙なニューヨーカーとスムーズに交流を図ることは決して簡単ではないワザだ。
アメリカでは、オレゴンやアイダホに代表されるような田舎の長閑な州の人々は、のんびりした雰囲気も手伝って、現地に慣れていない外国人に
対してはとても好意的な人も多く、概して、親切な対応をしてくれる。しかし、ニューヨークでは、アメリカ人同士であっても、そこでサバイブするには それなりに苦労が絶えない場所だ。したがって、そうした競争社会の中に外国人が入り混じり、同じ土俵上で競争をし、そこで勝負するには相当 のエネルギーを要することになる。
アメリカ人が、ニューヨークで専門分野のエキスパートとしてサバイブするためには、当然ながら、
(1)「最低限必要とされる学位」
(2)「必要十分な教養」
(3)「明確な目的」
(4)「いかなる困難をも乗り越えられる柔軟性」
を備えていることが求められる。世界で最も厳しい競争社会といわれているニューヨークでは、実に多くの”やる気満々の元気人間”がいるので、そ
うした力量のある人々と仕事で勝負するためには、まず第一に、自分自身が彼らと同じ"土俵"で競い合うことができる人材であることが前提条件 となる。なぜならば、
「土俵に立てなければ相撲もとれない」
からである。
ステレオ・タイプな見方をすると「だったら、ハーバード大学やイエール大学などの有名校を卒業すれば問題は解決だ!」と考える人もいるはず
だ。確かに、ハーバードやイエールはそれなりに優れた大学であり、そこを卒業することは、”アメリカ型ホワイト・カラー”として仕事や人生を成功さ せたい人間にとっては魅力的なことかもしれない。マンハッタンの一等地に聳え立つ超高層ビルにオフィスを構える大企業で、将来はトップ・エグ ゼクティブとして活躍したいという野心のある人には、それも一つの選択であるには違いない。
しかし、そうではなく、「ごく普通の企業でバリバリと働きたい」という人には、ハーバードやイエールなどのアイビーリーグ校を卒業する必要性は
ない。
概して、アイビーリーグ校の卒業生は、確かに基礎学力はあるが、”頭でっかちの人”が多いので、その本人が中・小規模の会社の企業戦士に
なった場合には、
「理屈ばかりが先行して、どんな事にも対応できるだけの柔軟性を備えていない」
というネガティブな評価を下されることがある。
ニューヨークには、ニューヨーク市立大学という、ニューヨーク市に在住する家庭の子弟が”極めて安い授業料”で大学教育を受けることができる
大学が存在する。入学は比較的容易にできるが、そこでは、優秀な教授陣を集めて、実に質の高い教育が行われている。
市立大の学生の中には、定職に就いている者も少なくない。だから、自分の仕事がない時間帯にクラスに出席し、少しずつ単位を取っていく学生
もいる。
また、アルバイトで、学費や小遣いを自分で稼いでいる者もいる。そうした理由もあり、市立大の学生は、学費の高いアイビーリーグ校や他の私
立大学の学生に比べて、「自立心」が高く、「優れた柔軟性」を持っている人材が多いといえる。
このような校風の大学を卒業する若者達は、一般大衆を相手にするビジネスの中核を担う”元気人間”として、毎日バリバリ汗を流して働く。彼ら
は、昼間は無我夢中で働き、夜は、バーで豪快にビールやカクテルを飲む。家に帰ると十分に睡眠をとり、また翌日の朝には早起きして、朝食を ムシャムシャ食べてエネルギーを充電し、会社に行くという生活ぶりだ。
バリバリ働くニューヨーカーは、毎日、平気で夜遅くまで残業するが、そんな彼らのエネルギーこそが、ニューヨークの景気と街の雰囲気を活気あ
るものとして形作っているのである。
大衆を相手にするビジネス社会のど真ん中では、頭でっかちの人間はあまり相手にされず、
「同じ育ち方をし、同じ環境の下で同じ空気を吸う人間でないと場に応じたビジネスはできない」
と考えられているのだ。
平均的ニューヨーカーの物差しでは、
(1)「社会経験がほんの数年しかない若手の弁護士や公認会計士(例えば年俸10万ドル)」
と、
(2)「長年にわたって社会の荒波を乗り越えてきた中小企業の”やる気満々の中堅社員”(例えば、年俸6万ドル)」
との比較においては、(2)の方を、「本当にできる人材」「使える人材」として評価するのが一般的だ。
単に、「肩書き」や「給料の額」だけで人を評価しないという風潮こそが、”庶民のエネルギーで活気づいている街、ニューヨーク”のダイナミズムと
いえるのだ。
2001年9月11日の朝、私はいつものように、ペンシルベニア州の大学で講義をしていた。ところが、大学の他の教授たちの様子が普通ではな
かった。
普通であるはずがない。ニューヨーク、マンハッタンに聳え立つ2つの超高層ビル、ワールド・トレード・センター・ビルに飛行機が突っ込んだのだ。
私の大学からマンハッタンまでは車で1時間半だが、大学の4階の窓からワールド・トレード・センター・ビルの崩壊による煙が見えた。私は自宅
のテレビでニュースを見る前に、自分のこの目でその場所から出ている煙を見た。その時私は、
「戦争が始まったのではないだろうか?」
という恐怖心を抱いたことを思い出す。
今日の2004年9月11日で、あれからちょうど3年が過ぎた。当時の私はアメリカで一生を遂げようと考えていた。だが、今、私は日本で生活し
ている。それは一体なぜか?
私はその答えについて、”自身の生き方”を通してこれから明らかにしたいと考えている。
ニューヨーク・マンハッタンといえば、世界経済の中心地であり、アメリカ国内だけでなく、世界中から"やる気満々のビジネスパーソン"が集まる
場所である。マンハッタン島は"眠らない街"とも言われ、早朝でも深夜でも、至る所でエネルギッシュに闊歩する人々の姿を見ることができる。
日本人がニューヨークをイメージする時、最初に思い浮かぶのは、ビジネススースをスマートに着こなした人々がさっそうと歩いている姿ではない
だろうか。これは言うなればニューヨーカーの表面的なイメージであるが、今回は、彼らの心うちに潜むメンタリティーは一体どんなものなのかにつ いて述べてみたい。
私は、ニューヨークには、「尊厳(dignity)を持った一個の人間として価値ある生き方をしたい」と考える"人類愛的スタンス"を備えた人が多いとい
う見方をしている。承知のように、ニューヨークは、「人種の坩堝」(melting pot)といわれている。そして、たくさんのニューヨーカーの心の中には、 「人種が違っても、神の下では、皆、同じ人間である。したがって、肌が何色かということよりも、それぞれの人間が一体どんな価値のある存在者 なのかという問題のほうがより重要だ」という意識があるといえる。
その反面、広大な大陸に点在する地方都市においては、経済社会で成功する条件として、「その本人が、多数派民族であるアングロサクソン系
アメリカ人である」ということが大前提となることがしばしばある。日本でも知られていることだが、アフリカ系、アジア系、ヒスパニック系、ユダヤ系 などのアメリカ人は、保守的な土地柄を持つコミュニティーにおいては、直接的にも間接的にも不当な差別を受けることがある。例えば、悲しい事 実であるが、日系アメリカ人や日本人が白人の個人宅に訪問する際、"玄関先で立ち話はするがリビングには入れない"という白人家庭も実際に ある。
ところが、同じアメリカでも、ニューヨークという場所は、「人種の坩堝」(melting pot)であるという理由から、極めて異なる地域性を持っている場所
であるということができる。ニューヨークでは、実に様々な人種、民族、文化、習慣などが交錯するあまり、他の地域で見られるような白人による非 白人に対する差別的振る舞いはそれほど多くはないのだ。
このような理由から、ニューヨークは、肌の色に関係なく、「ポジティブ志向で頑張ろうとする人」、そして、「何かを成し遂げようという野心を持って
いる人」にとっては、限りない可能性にチャレンジすることができる特別な場所であると私は考える。ニューヨークは、まさに、「人間の価値は肌の 色で決まるのではなく、"本人のやる気"で決まる」というスピリットが通用する場所なのである。
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