明治維新はまだ終わっていない
承知のように、日本は、古代において中国から律令制度を導入した。古代ロ−マ法の精神においては、「法は個人間の紛争を解
決するための道具である」という基本理念があったが、一方、中国や日本の古代法では、単に「統治者が定めた法を被統治者が
守る」という戒律的な理念が基本となっていた。
「近代」という時代区分が意味するものは、いわゆる「個人の尊重」である。日本において法によって個人の権利が擁護されるよう
になったその歩みは、西洋のそれと比べるとまだ歴史が浅い。しかし、実際、(被統治者である)庶民の生活においては、古くから
"相互の関係において個人を尊重しよう"とするスピリットが存在していたと私は考える。
江戸時代末期、即ち、1853年、マシュー・ペリー提督(Commodore Matthew Calbraith Perry)が率いるアメリカ合衆国海軍東イ
ンド艦隊が日本の江戸湾浦賀に来航した。1854年、ペリー提督が再び来航し、日米和親条約が締結。これにより、徳川幕府に
よる長きにわたる鎖国政策が終焉を迎えるに至った。
1868年の明治維新を経て1889年に制定された大日本国憲法においては、現行憲法ほどの人権保障は定められてはいなかっ
た。だが、そこには、当時の人々の心の中にも個人を尊重しようとする精神が確かにあったと私は捉える。当時の日本が”西洋文
明社会における個人の尊重の理念”を理解していたか否かにかかわりなく、当時の現実の市民レベルでの人間関係においては、
「お互いを”個人”として尊重するスタンスが意気揚々と存在していた」と私はみる。
日本では、伝統的に、「義理」)と「人情」が庶民生活の精神基盤としての役割を果たしている。そして、厳格な縦社会構造の中
で、人々は、日々の生活において「本音」と「建て前」という「精神構造における”二重の基準”」を巧みに使い分けることによって、
複雑な人間関係を上手にマネージしている。
義理と人情は、日本の地域社会の人々の生活の中に古くからある伝統的な精神構造である。それらが明確に概念化され始めた
のは、言うなれば江戸時代に入ってからである。当時の庶民が持つ独特の精神構造を描写した人物といえば、脚本家の近松門
左衛門(1653〜1724)を挙げることができよう。近松は、元禄末期にたくさんの庶民に愛された浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎の
一連の作品の中で、封建主義の時代において人々がどのようにお互いの立場を気遣い、それぞれが「異なる感情を有する個人」
としてどのように交流していくべきなのかということを、「演劇」という一般大衆にアピ−ルしやすい方法を使って、多くの人々を魅了
した文学者である。
近松は、自身の作品の中で、社会に存する義理と人情の狭間で苦しむ人間の悲劇を描写することに努めた。これは、当時の封建
社会における2つの側面、即ち、1)「縦社会構造に定着した厳格な道徳や規範」、2)「人間としての本来の愛情」とが対立する構
図として表現されたものだ。今、私自身、近松の文学の中にある本質について考えるとき、そこには、確かに、「人間の尊厳とは
一体何か」という、本来、私たち人間が考えるべき最も重要な問題があったのではないかと強く感じる。
日本研究に造詣が深いコロンビア大学のドナルド・キ−ン名誉教授は、イギリスのシェイクスピアと日本の近松の比較研究におい
て非常に興味深い見方をしている。キーン名誉教授は、シェイクスピアの作品の悲劇の主人公は皆、身分が高いが、近松の作品
での主人公は"庶民"であるということに着目する。そして彼は、両者の文学の比較において、「近松の一連の作品が主眼とした
悲劇の主人公は支配階級に属する権力者ではなく、一般の庶民そのものであった。だからある意味で、シェイクスピアよりも近松
の方がより近代的である」と述べている。
明治初期における西洋文化・思想・科学等の”輸入”については、「鎖国政策で盲目になってしまった"島国日本"が、急速に世界
の列強と肩を並べるためには通らざるを得ないプロセスだった」という見方が一般的である。明治、大正、昭和と、日本は長いあい
だ帝国主義国家として歩み続け、1945年に太平洋戦争に敗れた。翌年、日本は、G.H.Q.指導の下、日本国憲法を制定。その
憲法の精神基盤は、アメリカの独立宣言(The Declaration of Independence)や合衆国憲法(The Constitution of the United
States of America)に強い影響を受けることになる。
アメリカ合衆国憲法の精神が「自由」と「平等」を基調とするものであることは、広く知られていることである。しかし、実際のところ、
日本人には、そうしたアメリカ型の自由・平等という観念は"どうもしっくりとこない"というのが本音ではないだろうか。
むろん、「自由・平等でありたい」「差別されたくない」「自分の権利をしっかりと守り、それを行使したい」という人間としての願望
は、西洋諸国でも日本でも、”一個の人間としての願望”であるに違いない。それにもかかわらず、日本ではなぜ、個々の人間の
心の中に”程よい定着意識”を構築することができないのであろうか。
考えられる理由の一つは、「西洋と日本では宗教観が違う」ということである。基本的に、西洋の近代思想は、ユダヤ・キリスト教
思想を源流とする”天賦的な人権思想”である。そして、そこには、「自由・平等は、神から万民に対して与えられたものである」と
いう理念が存在している。
もちろん、日本人においても、「人間としての自由・平等を堅持したい」という願望はある。だが、本来、この日本において長く信じら
れてきた宗教は、神道と仏教である。遠い昔から、そうした宗教観が人々の血の中に浸透しているこの日本において、ある時点に
おいて突然、西洋型の自由・平等思想を持ち込んでも、その思想が程よく”日本人の血の中”に浸透するにはそれなりの時間を要
するのだ。
そうであるならば、私たちは、そうした西洋の近代思想について一体どのように受け止めていけばよいのであろうか。そして、それ
らを日常生活の基本理念として、現実の生活の中にどのように反映させるべきなのだろか。私は、このことを考える上で極めて重
要な問題は、「1868年、明治維新で花咲いた文明開化から現代に至るまでのプロセスをどう捉えるか」という問題の中に隠され
ていると考える。
私は、21世紀を生きる現代人がより深く思索するべき大きな理由はまさにそこにあると捉える。即ち、まず第一に、私たちは、
日本における伝統的文化遺産を継承・維持すると共に、明治維新以降に西洋から輸入した近代思想、即ち、「自由」「平等」
「正義」などの概念について十分に理解することが必要だと考える。そうすることで、日本の伝統的文化を維持しながら、「個人の
尊重」「人間の尊厳」の概念が”日本人一人ひとりの血の中”に浸透していくものと私は想像する。
今、21世紀を生きる私たちは、明治維新を”単なる過去の経験”として歴史の暗闇の中に封じ込めてはならない。明治維新は、
現代においてもまだ続いている「一連の文明開化」である。日本人は、「個人の尊重」の精神について、単なる”借り物”の考え方
としてではなく、ごく自然な形でそれを実践できる時代を迎えた時にこそ、「明治維新の終焉」を迎えることができるのだ。
生井利幸著、 「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)、p233-237参照
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