作: ダヴィド
最後まで真の「知」を説き続け、勇敢に毒杯を飲む古代ギリシアの大哲学者・ソクラテス

ソクラテスが唱えた「無知の知」は、古代・中世のみならず、
近代や現代においても、人類に対して「知の真髄」を教え続けてくれた”偉大な理”である。


ソクラテスの「無知の知」

概して、人間という動物は、少しばかり何かを学び、それによってある程度の評価を得ると、さぞたくさん知っているかのように人前で振舞
いたくなる習性を持っているといえる。言うまでもなく、どんな分野においても、ある程度まで極めるための「学びの道」を歩むというそのプロ
セスは決して簡単なものではない。だが、人間は、時として、実に愚かな考え方をする。「自分には限られた知識しかない」という事実は自
分自身が一番良く知っている事実であるが、どんな人間でも、時には「自分は何でも知っている」というような“錯覚”に陥ることがある。し
かし、「自分は何でも知っている」ということを軽々しく言えるということは、「実は何も知らない」あるいは「知ってはいるが、実はそこそこに
知っているだけだ」という証となってしまう。

古代ギリシア時代における偉大な哲学者、ソクラテス(Sokrates, 470?-399 B.C.)は、「知」を愛し、「知」を求めることに自分の人生を託し
た。古代ギリシア語においては、「哲学」(philosophia)という言葉は、「知」(sophia)を「愛する」(philein)という意味であるが、このような”知を
愛すること”、即ち「愛知」はソクラテスによって確立されたものであると伝えられている。ソクラテスは、「助産術」と呼ばれる問答方式で周
囲のソフィストたちに本当の「知」を認識させることに努めた。しかし、ソフィストたちは自分たちの無知をソクラテスによって悟らされてしまう
ため、自己反省のできない者達からはひどく嫌われた。ソフィストの中には、少しばかりの知識があるだけで、さぞ自分が“偉い人物”であ
るかのような錯覚に陥り、自分自身に対するプライドばかりが高い人物が多かった。当時のギリシアでは学問をするというのは贅沢なこと
であったので、大衆は“学問をする人”を敬う傾向が強かったが、ソフィストといえども決して万能な存在者ではない。ある程度、学問を修め
たとしても、その知識は決して万能なものではない。

ソクラテスは、「自分は何でも知っている」と自負する者は、実は「何も知らない者」であり、人間は、自らをそう思っている間は、決して「真
の知」には到達できないと力説した。「“自分は本当は何も知らない”という自分自身の“無知”に気づくことが真の知への扉の前に
立つことである」というこの考え方は、古代ギリシア時代のみではなく、21世紀の現代社会においても十分応用できる考え方である。








一般社会における哲学の存在
・・・オランダと日本の比較を通して”哲学する方法”を考える
生井利幸・・・・・・・・・・・・

 「哲学は極めて難しい学問である」と、世の中のありとあらゆる人々が言う。確かに、哲学という学問領域においては、頗る抽
象的な理論・概念が所狭しと交錯しているため、人々は、「哲学というものは、毎日の生活においては無縁な代物である」とみな
してしまいことが多い。しかし、人類の歴史を振り返ると、これまで哲学が果たしてきた役割は非常に大きく、実に、「哲学は諸
学の基礎を成すもの」と言っても過言ではない。
 そもそも、哲学を学ぶということは、(1)「人間そのものを学ぶ」ということであり、また(2)「人間にとって最も妥当とされる生き
方を追求する」ということでもある。私は、2003年の5月まで、オランダ王国の北部都市・フローニンヘンに居住し、そこにキャン
パスを構える国立フローニンヘン大学(Rijksuniversiteit Groningen)法学部に自分の研究室を構えていた。この大学の創立は1
614年であり、オランダで二番目に古い大学である。ある日、法学部の同僚であり親友でもあるロブ・シュウィッターズ博士(Dr.
Rob Schwitters)と研究室で話をしたとき、「オランダ人にとっての哲学」というテーマで時間をかけて話をした。その際において、
シュウィッターズ博士は、以下のような面白い見解を述べた。

「オランダでは今も昔も哲学を愛する人々が多い。しかし、哲学を愛する人々であっても、彼らには月曜日から金曜日
までは仕事がある。どんな人でも仕事に精を出して働かなければ食べてはいけない。しかも、夜は、家族との時間を
大切にしたい。したがって、平日にゆっくりと哲学書を読むということは意外と難しい。それ故、哲学を愛する人々は、
日曜日こそが、ゆっくりと哲学書を手に取ることができる"娯楽の日"であるという考え方を持っている。」

 しばしば、欧州地域以外の人々は、欧州でも特に「個人尊重主義」が浸透している国・オランダに対するイメージとして、「オラ
ンダの哲学好きな人々は、さぞ哲学の理論に精通しているに違いない」と想像することがある。だが、実際、そうしたイメージは
単なる妄想でしかない、と言うべきである。実際は、研究者でもない限り、詳細にわたって哲学を熟知している人はいない。むろ
ん、このことは、オランダに限らず、欧州全域において該当するといえよう。
 例えば、シュウィッターズ博士は、このことについて、次のように述べている。

「一般に、”私はカント哲学が好きだ”と断言する人であっても、その理論を十分に理解し、それについて詳しく説明で
きる人は100人中5人にも満たないであろう。」

 これをもっと具体的に述べるならば、たとえ日曜日などの余暇を利用して難しい哲学書を読んでいるオランダ人であっても、そ
のほとんどは、本の中身を十分に理解してはいないということである。オランダでは、確かに、哲学書を熱心に読む人は比較的
多い。だが、実際のところ、読んでも、その中身を十分に理解しているとは限らないのである。
 このことは、日本における場合でも同じことがいえると思う。日本においても、「家の本棚には、カント、ニーチェ、サルトルなど、
実に多くの哲学書がおいてあり、暇さえあればそれらを手に取る」という人は確かにいる。だが、実際、「知」を扱う作家・学者で
もない限り、本棚においてある哲学書を十分に理解しているという人はまずいない。
 このような観点から言えることは、西洋でも日本でも、”哲学書の役割”として考えられることは、書かれてある理論そのものを
理解することよりは、(1)「難しい顔をして哲学書に触れ、”読んだ”という満足感を得ること」、(2)「”自分の部屋に哲学書を置
く”、という一種の所有欲を満たすこと」に重きがおかれている場合が多いということだ。
 では、職業として哲学を扱うことのない人間が、自身の力で哲学するためには一体どうしたらよいのであろうか。これは、実に
難しい問題であり、この問題について僅か数行で述べるということは不可能に近いことであろう。そもそも私自身、「人間がいか
に哲学すべきか」などという大きな問題について述べるほどの教養・見識の持ち主ではない。
 だが、ここで、読者の方々からお許しを得てこの場を借りてあえて提言させていただくならば、一つだけ言えることがある。それ
は、

「単に、機械的に哲学についての概念・理論に触れるよりも、まずは、自分にとって入りやすい「知」の範疇におい
て、自分なりにしっかりと思索してみる。」

ということである。
 その理由は、「西暦何年にどの国にどんな哲学者がいてどんな理論を唱えたか」ということを知るだけの行為は、”単なる平面
的な知識の寄せ集め”としかならないからである。
 したがって、人間が、”理性的存在者”として何らかの思考をするときには、

「(自身にとって読みやすい)書物で得た知識・理解を基盤として、時代と場所を超越し、”相互に関係する理論・概
念”を関連させながら思索する。」

ということが肝要となる。私は、このような思考プロセスこそ、”極めて意味のあるフィロソフィカル・プロセス”であると考える。
 人間の一生は、一見すると長いように思えるが、実のところ、”すこぶる短い代物”である。その短い人間の生涯において、「一
体いかなる方法で”価値ある生き方”をすることができるか」という問題は、どんな人間にとっても最も大切な問題であるに違いな
い。そうした意味において、我々人間は、人類史における様々な「知」を振り返り、”理性的存在者”として立体的思考を試みるこ
とが重要であると、私は考える。

生井利幸著 「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)、p3-8、一部修正・加筆





人間の存在(生と死)について・・・タレスからアナクシマンドロス、そしてデモクリトスにおける解釈の推移



オルフェウス教・・・人間に潜むディオニュソス的な「善」とティタン的な「悪」



古代ギリシアの唯物論哲学者、エピクロス



古代インドにおけるウパニシャッド哲学の誕生



古代中国の思想家・孔子が唱えた「仁」と「礼」



聖書における死生観 1・・・旧約聖書における解釈



聖書における死生観 2・・・新約聖書における解釈







ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)作  アテネの学堂(Scuola d'Atene)、1508-11年、バチカン宮殿//・




プラトンとアリストテレスを比較すると、プラトンが理想主義に傾向する一方、アリストテレスは現実主義を重んじていた
といえる。このことは、イタリアのルネサンス期の画家・ラファエロ(Raffaello Santi, 1483-1520)がバチカン宮殿に描いた
「アテネの学堂」(Scuola d'Atene)を観れば一目瞭然である。

この壁画の中央には、プラトンとアリストテレスが描かれている。天を指してイデア界を示しているのがプラトン、その隣
で、手のひらを下にして現実の世界を重視しなければならないと説いているのはアリストテレスである。この壁画は、両
者の理論展開における考え方の相違を明確に描いているものとして知られている。




プラトンの「哲人政治論」と「魂」について




アリストテレスの「正義」について考える
生井利幸・・・・・・・・・

 我々は、社会生活においてしばしば「正義」という言葉を用いるが、今、改めて、この概念について再考することを試みたい。言う
までもなく、正義の概念については、古代から現在に至るまで様々な考え方が述べられてきた。そこで今回は、古代ギリシアの哲
学者、アリストテレスが唱えた正義について触れることにする。
 アリストテレス(Aristoteles, 384-322B.C.)は、個人の「徳」が社会的に表象されたものが正義であると考えた。彼は、国家は国民
一人ひとりがそのオ−ガナイザ−として組織されており、その運営はすべての国民の協力で成り立つものと解したのだ。人間は自
分一人だけでは生きられないわけであるから、"国家を形成する"というその行為はいわば「人間の本性」であると解した。
 国家形成の基本となる原理は、「国民が相互に善を与え合う」という行為である。そうした行為を「友愛」と呼び、それは国家の結
合原理として捉えられた。理想の国家を維持していくためには、それと並行してそこには「正義」が必要となる。アリストテレスは、
「正義」こそが人間の共同体である「国家」を維持していく上において最も重要な要素であると説く。
 アリストテレスの正義は、プラトンのような抽象的な正義ではなく、現実を直視した極めて具体的な正義であった。即ち、正義は、
まず時間的空間や場所を超越して通用する(1)「全体的正義」、そして、公正を意味する(2)「部分的正義」に分けられる。
 さらに、部分的正義は、それぞれの人間が彼の地位や役割に応じて働いた結果、果たされた功績にしたがって名誉や報酬が付
与される「配分的正義」、そして、ある罪に対して一定の罰を加えるという、個人差を考慮することなく利害の不均衡を調整する「調
整的正義」の二つに分類された。アリストテレスは、ポリス(都市国家)の現実を直視し、その現実を受け入れようとしていたため、
人間に地位や能力の差があることは当然の事実であると考え、「配分的正義」を"正義の原則"と説いたのであった。
 承知のように、ギリシア神話に登場する「正義の神」は、片手に"公正"を意味する「秤」を持ち、もう一方の手には"裁き"を意味す
る「剱」を持っている。正義の神は、正義の追及は、社会秩序を維持するために「法」を尊重し、皆がそれを誠意をもって守ることが
前提とされる。そして、法を破る者は、法によって裁きが行なわれ、それに対して「刑罰」が下されることが"正義の実践"となるとい
うことを意味しているのだ。
 このように、古代ギリシア時代は、「正義とは何か」という、人間にとって極めて基本的な問題についてエネルギッシュな思索が
展開された時代であった。だが、残念なことに、現代においては、そうした古代の哲学者の偉業を深く学び、それを現代における"
現実の世の中"で活かそうとする人は極めて少ない。
 例えば、政治の世界である。「国の政治を担う者には、確固たる哲学と理念がなければならない」という考え方は、現代日本の空
虚な政治の世界において再考されるべき問題である。ところが、現代の日本の政治においては、常に政党間における権力抗争ば
かりが台頭し、本来、議論すべきことが議論されずに政治が行われてしまう傾向にある。
 日本は、しばしば、西洋の人々から「日本の政治は空虚である」と評される。その理由は、外国のマスメディアで、日本国内にお
けるそうした政治のネガティブな風潮について報じられることがあるからだ。
 幸い、日本には、考えるための環境・材料が豊富にある。長い歴史を通して円熟した"絢爛たる日本文化"に身を置く我々日本人
は、さらに自分たちの文化の「尊さ」「重み」に触れ、それを基盤として、少しでも「考えるべき問題について考える」ということを試み
るべきではないだろうか。
 アリストテレスの言う、「国家形成の基本となる原理は、"国民が相互に善を与え合う"」という考え方・・・。日本の世の中を振り返
る今、私はしみじみとこの言葉を噛み締める。

注)
 アリストテレスは、トラキア地方のギリシア人植民地スタゲイロスにおいて、マケドニア王の侍医の子として生まれた。17歳の頃
にアテネに移り、プラトンが開いていたアカデメイア学園の門を叩く。その後、アリストテレスは、学園で20年にわたって研究する一
方、プラトンを助けて後輩の指導も行った。プラトンの死後は、アテネを離れ、マケドニア王フィリップから招聘されアレクサンダー(当
時13歳、後に大王になる)の家庭教師になった。マケドニアがアテネを支配すると、アリストテレスはアテネに戻り、市の東北郊外
にリュケイオン学園を開設した。主な著書は、『形而上学』『ニコマコス倫理学』『政治学』『アテネ人の国制』『修辞学』など。

生井利幸著 「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)、p50-52参照




プラトンのイデアを批判し、「エイドス」を唱えたアリストテレス



新プラトン学派をオーガナイズした立役者、プロティノス



古代日本の律令時代において活躍した三人の偉大な僧侶、業基・最澄・空海





フランチェスコ・トライーニ作
トマス・アクィナスの勝利
トマス・アクィナス
(Thomas Aquinas, 1225-1274)

中世イタリアのスコラ学最大の神学者・哲学者
ドミニコ会士、教会博士(doctor ecclesiae)
代表的著作: 『神学大全』(Summa theologiae)


12世紀から13世紀にわたって多数のスコラ神学者(オセールの
ギレルムス、ヘイルズのアレクサンデルなど)によって『神学大全』
(Summa theologiae)が執筆されたが、その中でも、トマス・アクィ
ナスの著書が最も高く評価されている。




「人間の尊厳」を追及した中世イタリアの神学者、トマス・アクィナス

生井利幸・・・・・・・・

 トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225-1274)は、中世イタリアのスコラ学最大の神学者・哲学者であり、同時に、
ドミニコ会士、教会博士(doctor ecclesiae)でもある。
 トマスの代表的著作は、言うまでもなく『神学大全』(Summa theologiae)である。12世紀から13世紀にわたって多数
のスコラ神学者(オセールのギレルムス、ヘイルズのアレクサンデルなど)によって『神学大全』(Summa theologiae)が
執筆されたが、その中でも、トマス・アクィナスの著書が最も評価されているといってよい。
 トマスの『神学大全』は三部から成るものであり、第一部の執筆は1266年、彼が41歳の時である。1274年、トマ
スは第三部の最終部分を仕上げようとしている時期にこの世を去ってしまったが、ドミニコ会における彼の友人、ピペル
ノのレギナルドスが、トマスの『命題集注解』(Scriptum super libros sententiarum)から該当する部分を抜粋・編纂して
完成させた。
 彼はこの中で「人間の生命」、そして「人間の尊厳・尊厳性」の概念について詳細に論じている(トマスが用いるラテン
語のdignitasは、「尊厳」の他、「威厳」「品位」「重要性」「優位性」「威厳」「身分」「役割」などを意味するものだ)。
 トマスは、こう述べる。「生命は神によって人間に授けられた何らかの賜物であり、殺し、かつ生かすところの彼方の
権能の下にある」と。これは、トマスが『神学大全』において構築した「人間の生命」についての”大前提”として解するこ
とができる。
 キリスト教においては、旧約聖書以来、生命は神からの賜物であり、神と呼ばれる存在は、「命の道」を提供する「生
ける水の泉」であり「命の水」である。そして、新約聖書においては、神は、「豊かな命を与える者」であり、「生命を与え
る霊」であると述べられている。中世の神学者は、「神」や「生命」について、それらの全てを聖書の立場から立脚して
論じたわけであるが、トマスの場合はそうではなかった。
 トマスは、それらを探求するにあたり、古代ギリシアのアリストテレスから強い影響を受けた。彼は、アリストテレスの
著書『政治学』(Politica)の一節を引用し、『神学大全』においてこの世に存在する生命・いのちの価値について格付け
を行う。即ち、生命の
"階級"は、@低位に位置する存在は「生きているもの」(vivum)、A中間に位置する存在は「動物」(animal)、B上位に
位置するものは「人間」(homo)であり、Cこれらの最上位にあるものが命への導き手としての「主」である、と。
 トマスは、植物のように生きているところのものは、一般的にはすべての動物のためにあり、そして動物たちは人間
のためにあると説く。だから、もし、人間が植物を動物に役立たせるために使用し、動物を人間に役立たせるために使
用したとしても、それは決して不当なことではない。この考え方は、アリストテレスが『政治学』第1巻第8章で述べてい
るところからしても明白である、と述べた。
 即ち、植物を動物の使用に供するために、また動物を人間の使用に供するために殺すことは、神的な秩序づけそのも
のからして許されている。これは、事物の秩序においては、「不完全なものは、より完全なもののために存在する」とい
う大前提から出発し、生成のプロセスにおいても、まず第一に植物のように@「生きているもの」があり、次にA「動
物」、そしてB「人間」が出現したのであるから、植物は動物のためにあり、人間は動物のためにあるということだ。
 そもそも、すべての人間は動物の一種である。そして、人間は、他の動物よりも上位に位置づけられている存在であ
る。そうである理由は、我々人間には、理性によってなされる「真理についての認識能力」があるからである。
 理性は、まさに「神の似像」(imago Dei)といえるものである。トマスは、「理性」と「知性」は、人間にあってはそれぞれ
別の能力であると捉えることはできないとした。即ち、理性的被造物が、それ以外の被造物を越える所以のものは「知
性」「精神」にある、としたのだ。
 非理性的な存在である動物や植物も、人間と同じように"神的な秩序づけ"によって維持されているのであるが、それ
らは「理性的生命」を持ってはいない。それらは、常に、他者を介して「自然本性的な衝動」によって動かされているだ
けのことなのである。言うなれば、動物や植物は自然本性的な奴隷状態にあるのであり、究極的には、「人間の使用
に供される宿命を背負っている」ということである。
 『神学大全』では、「人格の品位」「諸々の人格の重要性」「人格の威厳」「人格の重要性」という表現が用いられてい
る。この「人格」という語は"persona"であり、「品位」「威厳」「重要性」という語は"dignitas"が用いられている。当初、ト
マスは、personaという語を、「神について適切に語られる」、あるいは「神に対して最高度に適合する」と定義づけをして
いた。そして後に、何らかの"優越性"、つまり、dignitasの要素を有する人間(さらには、理性的本性を有するすべて固
体)に対してpersonaと呼ぶようになった。
 トマスは、理性的な本性において自在するところのものは「非常な優位」を持つ、と説く。ここにおいて、トマスは、人間
を、”理性的なもの”と捉えていたことがうかがえる。
 非常な優位・尊厳性を保持する者は、「理性」を巧みに作用させ、認識したり知的に捉えることができる限りにおいて
は、そうした存在者を人間として解することができる。トマスにおいては、非常な優位・尊厳性のある人間とは、いわゆ
る「理性的存在者」のみを指す。罪人や悪人などの非理性的動物としての人間は、確かにヒトではあるが、そうした者
たちを「尊厳」の所有者とみなすことはできない、としたのだ。

注) 
 トマスは、ナポリ郊外のアクィノ領・ロッカセッカ城で誕生。5歳の時、モンテ・カッシーノのベネディクト会修道院に入
り、その後、ナポリ大学で学ぶ。1244年、ドミニコ会に入会、45年にパリでアルベルトス・マグヌスに師事。1256年
には神学教授資格を授与され、同年、第1回パリ大学神学部教授に就任。72年にはイタリアに戻りナポリ大学などで
教えていたが74年に没した。

生井利幸著 「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)、p67-69要約





ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ
(Giovanni Pico della Mirandola, 1463-1494)

ギリシア・ユダヤ思想をキリスト教哲学に統合しようと試みたイタリアのルネサンス
期における人文学者・哲学者。生井利幸自身、長年、ピコ・デッラ・ミランドラの美し
い文章に魅了され続け、今でも、『人間の尊厳について』は、古き良き古典とし
て、”夜の思索の友”として愛読し続けている。

『人間の尊厳について』
「人間が生まれるとき、父は、彼にあらゆる種類の種子とあらゆる種類の生命の芽
を挿入しました。それぞれの人間が育むものは、成長してそれぞれの人間の中に
自分の果実を産み出すでしょう。(1)もし植物的なもの(vegetalia)を育むならば、そ
の人は植物になるでしょう。(2)もし感覚的なもの(sensualia)を育むならば、獣のよ
うになるでしょう。(3)もし理性的なもの(rationalia)を育むならば、天界の生きもの
(caeleste animal)になるでしょう。(4)もし知性的なもの(intellectualia)を育むなら
ば、天使、ないしは、神の子になるでしょう。そして、(5)もし彼が、もろもろの被  
造物のいかなる身分にも満足せずに、自らの"一性"(unitas)の中心へと自ら引きこ
もるならば、彼の霊(spiritus)は神と一つになり、万物を越えたところにおられる父の
「孤独な闇」(solitalia caligo)に置かれて、万物の上に立つものとなるでしょう。」

(ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ著、大出哲・阿部包・伊藤博明訳、
『人間の尊厳について』、国文社、17-18頁参照)

「思索」から「癒し」へ・・・ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラの『人間の尊厳について』を手掛かりに






ヘンドリック・スティーンヴェイク作
市場の風景
ホッブスの「社会契約論」について


トマス・ホッブス
(Thomas Hobbes, 1588-1679)
イギリスの西南部マクスベリにて牧師の子として
誕生。自然権と社会契約説を基盤とする近代国家
論の創始者。








クリスティナ女王(スウェーデン)とデカルト
作: ピエール・ルイ・デュメニール
近代哲学の祖であるフランスの哲学者、デカルト
(Rene Descartes, 1596-1650)は、著書『方法
序説』において、「われ思う、ゆえにわれあり」
(cogito, ergo sum)と述べた。

デカルトは、この書作の中で、この世のあらゆる
事物を懐疑した上で"意識の内容"は疑えるが、
「"意識する自分の存在自体"は疑えない」という
結論を導き出した。

デカルトは、これを第一原理として捉え、数学的
な明証さで明晰判明な原理に到達しようと試
み、懐疑することを確実な認識のための出発点
としたのであった。




自己の確立と心の中の癒し
・・・デカルトの「良識」(bon sens)を手掛かりに









心を落ち着けて深く考えてみると、自分の何かが変わる
・・・パスカルの『パンセ』を手掛かりに

生井利幸・・・・・・・・・・・

 人間が生きることは、悩み、そして考えることである。だが、一言で「考える」といっても実に漠然としており、「いったい何を考えたら
よいか」と戸惑う人もいるに違いない。思うに、最初からいきなり背伸びをして、「人間の本性とは何か」とか「カントの観念論哲学の本
質は何か」というような難しい問題を考える必要性はない。したがって、@まずは自分の身の回りの問題について考えることからスタ
ートし、A少しずつより本質的な問題について取り組み、B背伸びすることなく地に足の着いた思索をする、というプロセスを踏むこと
がよいだろう。
 人間が考える重要性を説き、「考える行為にこそ"人間の尊厳"がある」と主張したフランスの哲学者・科学者・宗教家として名を馳
せたパスカル(Blaise Pascal, 1623-1662)(1)は、著書『パンセ』(Pensees)において以下のような言葉を述べている。

  「人間は一茎の葦にすぎない。自然のうちでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。かれをおしつぶすには、全宇
  宙が武装するにはおよばない。ひと吹きの蒸気、ひとしずくの水が、かれを殺すのに十分である。しかし、宇宙がかれをおしつぶし
  ても、人間はかれを殺すものよりもいっそう高貴であろう。なぜなら、かれは自分の死ぬことと、宇宙がかれを超えていることとを
  知っているが、宇宙はそれらのことを何も知らないからである。そうだとすれば、われわれのあらゆる尊厳は、思考のうちにある。わ
  れわれが立ち上がらなければならないのは、そこからであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だか
  ら、よく考えるようにつとめよう。これこそ道徳の本源である。」(2)

 これは、パスカルが述べた有名な一節であるが、ここで彼は、「人間の思考の偉大さ」を強調している。確かに、人間は"一茎の葦"
にすぎないが、それは「考える葦」である。このように「考える行為にこそ『人間の尊厳』がある」としたパスカルのセオリーは、21世紀
社会を生きる我々にも十分にアプライが可能である。
 即ち、宇宙は広大である一方、人間は非常に弱い一茎の葦である。しかし、宇宙は自ら何かを問い、考えることはできない。何かを
問い、考えることができるのは人間のみである。それ故、「人間は"考えることによって"宇宙をも呑める存在」なのである。
 「人間が考える」というダイナミズムは、このような「宇宙をも呑める」という考え方から求められるわけであるが、意外にも、現代人は
この思索におけるダイナミズムを味わうことなく毎日を過ごしている。
 言うまでもなく、考える対象物は、実に人それぞれである。生きることは考えることであるから、生きている以上は、常に何かについ
て考えている。だから、その思索についての中身は、「今晩の夕食は何にしようか」という問題であっても、「明日は彼女とどこでデート
するか」という問題であってもよいわけだ。重要なことは、何を考えるにしても、「考える」という行為についてのダイナミズムを味わい、
「考えることによって宇宙をも呑める」という無限のポテンシャリティーを深く認識することである。
 そこで今、提案したいことがある。これを読むあなた自身も、パスカルになりきって、「私は考えている。考えているからこそ、自分は
『尊厳』を持った動物なのだ!」という認識を持ち、"哲学する人間"として思索の旅に出てみてはどうであろうか。

注)
(1) パスカルは、中部フランスのクレルモンに生まれた。父は税務関係の行政官として生計を立てていたが、また、素人の科学者で
  あった。パスカル自身は、学校には通うことなく、父の下で自由な教育を受けた。16歳になると、『円錐(えんすい)曲線論』を発表
  する。パスカルは熱心なキリスト教信者であり、自身がカトリック信者でありながらも、31歳になると、権威主義を否定するポール・
  ロワイヤル修道院に入り、禁欲生活を送って思索に専心した。パスカルは、哲学の基本理念の形成に関与しつつも、一方では、哲
  学の限界について鋭い言及を行った人物である。「哲学を嘲うことこそ真に哲学することである」というパスカルの言葉は、彼の"逆
  説的論者ぶり"を物語っているといえる。主な著作は、『パンセ』『プロヴァンシアル』『真空論序言』など。
(2) パスカル著、由木康(訳)『パンセ』、第6編「思考の尊厳」347、白水社、142頁参照。





フランスの啓蒙思想家・ルソーが唱えた「社会契約論」






バルバラ・クラフト作



ヴァルフガング・アマデウス・モーツァルト
(Woflgang Amadeus Mozart, 1756-1791)

「宮廷・貴族のための音楽から”市民”のための音楽へ」

ヴァルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年1月27日、オーストリア・ザルツ
ブルク生まれの作曲家、そして、ウイーン古典派における三大巨匠の一人である。

モーツァルトは、35年の短い生涯において、実に600曲以上の作品を書いた”音楽史
上最高峰の作曲家”として広く知られており、数多くの交響曲、協奏曲、室内楽曲に加
え、「フィガロの結婚」、「ドン=ジョバンニ」、「魔笛」などの”歴史的大傑作オペラ”を発
表。生井利幸は、その中でも特に「フィガロの結婚」を、欧州オペラ史上最高峰の作品と
して捉えている。

「フィガロの結婚」の初演は、1786年。西洋文明社会においては、長きにわたる封建
制度が次々と崩壊し、個々の「市民」に自由が賦与され、まさに”人権保障樹立の潮
流”が訪れた時代である。

「宮廷・貴族のための音楽から”市民”のための音楽へ」と、当時における既存の
宮廷音楽の常識を覆すことを熱望したモーツァルトは、「自らの音楽哲学によって、壮大
なスケールで”市民革命”を果した」と、私は解釈する。

2007年を迎えた今日においても、西洋文明社会、そして、東洋文明社会における多く
の識者から「神の声」と絶賛されるモーツァルトの音楽は、「人間の尊厳」の追求を希
求する私の日々の思索活動に”良心の声”を届けてくれている。





世界中のロイヤーの"聖書"として愛され続けている『法の精神』を著し、
三権分立論を唱えたフランスの啓蒙思想家・モンテスキュー






写真:ウィキペディア(Wikipedia)
イマニュエル・カント
(Immanuel Kant, 1724-1804)

近代の倫理思想において意志の自律の倫理学を確立させ、「人間
性の尊重」「人格の尊厳」を強く訴えたドイツ観念論哲学の創始者。

東プロイセンのケーニヒスベルク(現在はロシア領カリーニングラード)生まれ。1732
年、同地のフリードリッヒ学院に入学し古典語を学び、1740年にケーニヒスベルク大
学に入学。哲学、数学、自然科学、神学を学び、1775年に同大学私講師となる。そ
の後、1770年からは正教授として教鞭を執り、論理学、形而上学を教授した。178
6年と89年には同大学総長に就任。カントは、啓蒙思潮の時代を生き抜いた哲学者
であり、イギリスの経験論と大陸の合理論の長所を融合させ、新たな認識批判と認
識理論の根拠を築いた批判哲学、そして超越論的哲学の創始者となった。カントの
批判哲学は、ドイツ観念論哲学の基礎を構築すると共に、広く、欧州の哲学史に対し
て強い影響を与えた。主著は、『純粋理性批判』『人倫の形而上学の基礎づけ』『実
践理性批判』『道徳形而上学原論』『判断力批判』など。


カントが述べる「理性的存在者」について
・・・理性的な人間にのみ「人間の尊厳」がある

生井利幸・・・・・・・・・・

  カント(Immanuel Kant, 1724-1804)は、近代の倫理思想において意志の自律の倫理学を確立させ、人間性の尊重・人格の尊
厳を強く訴えた哲学者であり、言うまでもなく、ドイツ観念論哲学の創始者である。
 カントは、人間は「尊厳」を持つ存在であるから、自他の人間性(人格)の尊厳を侵害するような行為をしてはならないとダイナミ
ックに主張した哲学者である。その根拠は、人間の存在は何かの「目的」のためにあるものであり、単に手段として使用されて
はならないという考え方から導かれる。カントは自身の著作の中で、「人格の内に宿る人間性の尊厳」という表現を用いている。
これは、人間は第一に「内的尊厳」、あるいは「絶対的内的価値」を有する存在であるという意味である。カントによると、この内
的価値こそが「尊厳」そのものである、ということである。
 この「目的」と「手段」について、カントは、以下のように考える。即ち、理性的存在者は、「目的自体」として存在し、誰かの意
志の任意な使用のための手段として存在するのではない。自己自身に対する行為においても、あるいは、他のすべての理性的
存在者に対する行為においても、絶えず同時に”目的”として見られねばならない、とした。
 カントは、この理性的存在者のことを「人格」と呼び、「人格は絶対的価値を有する」と考えた(一方、単なる手段として相対的
価値を有するのみであり、値段が付されて売買の対象となるような存在物を、「物件」と呼ぶ)。
 カントは、さらに、この地球上に存するいかなる人間であっても、不可侵な「尊厳性」を天賦的に備えているわけではないと考え
た。即ち、この世には実に多様な人間が存在している。大きく分けると、(1)「理性的人間」と、(2)「非理性的(動物的)人間」と
の二つに分けられる。カントは、この二つのうち、いわゆる、「理性的人間」のみが、目的それ自体として尊厳性を有している、と
考えたのだ。
 カントは、1785年の『人倫の形而上学の基礎づけ』において、自律が、人間及びすべての理性的存在者の根拠であるという
こと。そして、「人間性の尊厳」には、自己が立てた法則に従い自らそれに服従するという条件はあるが、普遍的法則を構築する
能力を有するという点において尊厳が存在する、と考えた。
 カントが説明する「尊厳」とは、言うなれば「価値」である。これは、極めて"無比なる価値"である。カントはまず、「人間性」その
ものが尊厳であり、人間は、いかなる価格を提示されても売買されるものではなく、決して失うことのできない尊厳を有する存在
であると考えた。そして、「善き意志」こそが、人間の存在に絶対的価値を持たせることができる唯一のものであるとした。
 この「尊厳」について考える上で注意すべき点の一つは、カントにおいては、人間の尊厳性が「神聖性」に通じるとしたことであ
る。カントにおいては、個々の人間が有するとされる人格の内なる人間性は、個々の人間にとって”神聖”でなければならない、
とする。なぜならば、人間は”道徳的法則の主体”であるから、それ自身が神聖なるものの主体であるからである。
 「人間の尊厳性」について、カントがいかに「人間の神聖性」に関連づけたのかについては、『実践理性批判』における一節に
おいて顕著に示されている。即ち、カントは、「本来、人間はあまり神聖ではないが、人間が有する人格の内なる人間性は人間
にとって極めて神聖であるべきである」と説く。
 人間は、自己の自由な自律のために、神聖な道徳的法則の主体であるといえる。この主体は、決して単なる手段として用いら
れるべきではなく、「目的」自体として用いられなければならない。したがって、人間は、人格的存在として、道徳法則の主体で
ある限りにおいて”目的としての存在”であることができ、人間は皆、そのために「尊厳性」と「神聖性」を備えているのである。
 カントは”自身における理論の厳格性”にみられるように、一生涯において非常に厳粛なスタンスをもって豊かな思索活動を展
開することに専心した偉大な哲学者であった。カントがケーニヒスベルク大学で学生に講義をする際においては、「単に暗記する
ための思想を学ぶのではなく、”思考すること”を学びなさい」「哲学を学ぶのではなく、”哲学すること”を学びなさい」と学生に力
説したと伝えられている。
生井利幸著 「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)、p99-103要約






「神は死んだ」と、人類に警告を発した19世紀後半のドイツの哲学者
フリードリヒ・ニーチェ
(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)

ニーチェは、ドイツ・ザクセン州において、牧師の子として誕生した。ボンと
ライプチヒの大学で神学・哲学を修め、1869年、24歳の若さでスイスの
バーゼル大学教授(古典文献学)に就任。その後、健康を害し35歳で大
学を辞職。持病と闘いながら厳しい孤独生活の中で深遠なる思索を重
ね、執筆を続けた。

主著は、『ツアラトウストラはかく語りき』『悲劇の誕生』『人間的な、あまり
にも人間的な』『権力への意志』『善悪の彼岸』など。
諸君は、形而上学に逃避してはならない。”生成する文化”に対して活動的に
献身するべきである。それ故、私は、夢想的観念論に対しては厳しいのである。
フリードリヒ・ニーチェ 「哲学者の書」



ニーチェは今も、「自分の力で考えよ!」と叫んでいる

生井利幸・・・・・・・・・・・

 今、まさに日が昇ろうとしているこの朝の時間帯において、私は、濃いコーヒーを味わいながらリヒャルト・シュトラウスの交響
詩、『ツアラトウストラはかく語りき』を聴いている。この曲は、シュトラウスがニーチェの大著、『ツアラトウストラはかく語りき』に
深い感銘を受けて作曲した作品である。
 長年にわたり、基本的には、"活字"のみでニーチェの哲学に触れている私にとっては、この曲を聴くと、程よく「ニーチェの"活
字"とシュトラウスの"音"の融合」の恩恵を受け、より望ましい状態で深遠なるニーチェの哲学に触れることが可能となる。
 ニヒリズムを提唱した19世紀後半のドイツの哲学者、ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)は、「人間は、まず
第一に自らの本質を問い直し、厳しく辛い現実を直視し、その上で自分自身の力で逞しく生きなければならない」と主張した人
物である。
 本来において、人間が所有している”より強大になろうと闘う意志”、”競争に打ち勝つ力を目指す意志”、つまり「権力への意
志」は、今、人間が生きる社会においては全く生命力のない状態と化してしまっている。大衆社会においては、人間一人ひとり
が持つ「権力への意志」はまさに画一化されてしまい、それぞれの人間は、自分の人生における目標さえも見失ってしまってい
る。ニーチェは、このような時代の潮流における現象を「ニヒリズム」と呼び、このような時代に突入した原因を解明し、それを指
摘することに努めた哲学者である。
 ニーチェは、このような問題を引き起こす最大の原因は、キリスト教道徳にあると主張した。即ち、彼は、「キリスト教の教義そ
れ自体が、力強く生きようとする人々の足を引っ張り、人々を画一化させてしまっている」と考えたのだ。
 このような状況を嘆き悲しんだニーチェは、「神は死んだ!」と唱え、キリスト教が支配する奴隷道徳から人々が解放されるこ
とを強く望んだ。そして、彼は、「人間は、キリスト教道徳に代わる新しい価値観を自分の力で作り出さなければならない」と唱
えたのだ。
 「神は死んだ!」、だから、我々人間は、”神ではない何らかの生きる支え”を見い出さなければならない。そこでニーチェは、
人間は、「権力への意志」を持ち、獅子の精神と小児の想像力をもって逞しく生きる「超人」にならなければならないと唱えた。
 ニーチェはさらに、理想とする超人とは、神のように彼岸にあるのではなく、現実を現実のものとして肯定し、自らの生命を充
実させることに全力投球し、力溢れる自己を生き抜く自由人、即ち、「力の意志の体現者」を指すと述べた。そして、「すべての
神は死んだ。今や我々は、超人が生きることを欲す」とエネルギッシュに唱える。
 ニーチェは、自身の身を削って”思索しない西洋文明社会”に対して警告の鐘を鳴らした哲学者である。19世紀後半におい
て、ニーチェは、既存の宗教観・価値観・思想に支配されていた人間社会に対して自ら”偉大な警告”を発し、当時の西洋文明
社会に、「今こそ目を覚ませ。今こそ、自分の力で思索し、自分の足で歩け!」と個々の人間に強く訴えたのだ。
 今、21世紀初頭の”思索しない東洋文明社会”に生きる私は、ニーチェの『ツアラトウストラはかく語りき』の力を借りて、少し
でも自分自身の力で思索するよう試みている。
 実際、道はすこぶる険しい。だが、「試みる甲斐はある」と、私は感じる。





フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent van Gogh, 1853-1890)

「ゴーガンの椅子」(左)
(1888年11月)

オランダの後期印象派画家・ゴッホは、その短い生涯を、ま
るで”燦燦と輝く太陽の光”のように力強く生き抜いた”当
時の欧州において前代未聞”といえるほどの情熱的な画家
であった。絵の中の「二冊の小説とろうそく」は、想像力に
おいてゴーガンの芸術・美意識が”極めて観念的”である
ことを表現している。




ゴッホの絵の中で描かれている瓶とグラス
(生井利幸の書斎にて)
生井利幸は、オランダ王国フローニンヘンで研究生活を送る中、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館を訪れた。
その時、目の前にしたゴッホの数々の作品における「この世の何よりも真っ正直な作風と独自の美的表現」
圧倒され、天才創作者のパワーに敬服するばかりであった。

物事は、見えるとおりのものではなく、その直接的な現象の背後の深遠なもの、
神秘的なもの、包括的なものを暗示しているのである。
フィンセント・ファン・ゴッホ・・・・・



天才は天才と大喧嘩する
・・・ゴッホとゴーガンの前代未聞の大喧嘩
生井利幸・・・・・・・・・・

先日、銀座のある店で、DVDで、オランダの天才画家・ゴッホの半生を描いた1956年製作の映画「炎の人
ゴッホ」(“Lust For Life”)を見つけました。この映画は、一度、私が子供の時に観た以来、ずっと観ていなか
った映画です。

感慨深いことは、それ以来もう何十年も経つのに、今回DVDで観たとき、映画におけるゴッホの表情が、“子
供の頃に観た表情とまったく同じ印象”として再現されたということです。「天才の魂の奥底から湧き出てくる
パワーの凄まじさ」を、自宅にいながらしして、しかも映像で観れるということは、“実に贅沢な経験”であると
感じます。

後期印象派の画家であるゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890))は、一度「これだ!」と決めたら、とことん
思い込み、創作のためにエネルギーを使い果たしてしまう“情熱家”です。

オーストリアの天才作曲家・モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)がそうであったように、た
いていの天才は、その生涯において創作のために膨大なエネルギーを消耗し、普通の人より早く死んでし
まうことが多いです。そして、例外なく、天才画家・ゴッホもその中の一人でした。そして、幸か不幸か、他の
偉大な芸術家と同じように、ゴッホの作品も、彼が生きているうちにはほとんど評価されず、この世を去った
後に大きく評価されたのです。

ゴッホは、一時期において、フランス後期の印象派の画家・ゴーガン(Paul Gauguin, 1848-1903)という画家
と一緒に住みます。しかし、「天才は、作品について妥協をしない」という宿命の下、やがては画風のことで
大議論になり、そして大喧嘩をすることになります。

このことは、私たち現代人に対して、次のことを教えてくれるいい教訓となります。

「自分と同じような能力・才能を持つ相手とは、時々、お茶を飲んで歓談することは楽しい。だが、同じ屋根
の下で一緒に住むとなると話はべつである。お互い、才能があればあるほど、自分の気づき・感性・識見を
相手にわかってもらいたいという欲求が生じ、いずれは“前代未聞の大議論・大喧嘩”になる。」

言うなれば、これは、天才同士の人間関係において、“決して避けて通ることのできない宿命”であろうと感
じます。天才画家、ゴッホとゴーガンは、“一個の芸術家”として、他の芸術家と譲れない部分を議論する
と、それまでどんなに微笑みながら話をしていても、創作における根本問題について触れると、突然、「この
世で一番神経質な人間」に変貌してしまうのです。

思うに、相手が普通の人であれば、どんなことを言われても適当に聞き流すでしょう。しかし、自分自身が相
手の才能を見抜き、相手に一目置いていると、「相手に自分の才能を認めてもらいたい」と強く欲するのが
“生身の人間”というものです。ですから、そうした二人(ゴッホとゴーガン)が創作における根本問題につい
て話をすると、適当に話をすることはできず、“とことん”納得するまで議論してしまうのです。

自分に才能があっても、相手が芸術を極めようとする人でなければ、お互いの会話において喧嘩にならない
ように適当に力を抜いて話をするものです。しかし、自ら、自分自身を孤独のどん底に突き落とし、そこで深
遠なる思索・創作を試み、自分の命をかけてエッセンスを描き出そうとしている画家同士が会話をすると、い
つの間にか「伝家の宝刀」を抜いてしまうのです。

これは、言うなれば、「途轍もない孤独と闘い、真のエッセンスと真正面から向き合おうとする創作者の“宿
命”」であると感じます。





ドイツの作曲家、古典派三巨匠の一人と称さ
れるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven,
1770-1827)は、ロマン派音楽の先駆者として
知られている。

代表作は、言うまでもなく、交響曲第5番ハ短
調作品67 「運命」。この曲は、厳しく、そして
醜い現実と真正面から向かい合い、凡人には
想像し得ない「深遠なる思索」を通過して完成
させた大傑作である。

「運命」においては、最終章である第4楽章に
入ると、「長きにわたる辛苦を経験して到
達した”歓喜”」が壮大なスケールで表現さ
れ、ここでベートーヴェンの力強い哲学が見事
に再現される。生井利幸は、朝、この曲を思
索の友として聴くことが多い。

晩年は、聴力を失いながらも独自の音楽によ
って深遠なる境地をダイナミックに表現。人類
に対して、「力強く思索する意義とその価値」
を教えてくれたベートーヴェンが果した功績
は、人類史上、極めて偉大なものであると解
する。





大阪の学問所・懐徳堂における「個人の尊重」への熱い思い



末期状態患者の「死ぬ権利」について






レンブラント作
トウルブ博士の解剖学講義
「生命の質」(quality of life)について





古代から江戸時代までの「法の主役」・・・法は人々を統治するための道具であった





日本で「哲学」という言葉を初めてつくった哲学者、西周

 深く哲学する者として理性的に考える行為は、まさに時代を超えてその威力を発揮し、人間に独自の存在
として生きる勇気を与えてくれる。だが、江戸時代においては、「哲学」という言葉は影も形もなく、この言葉
が使われ始めたのは文明開化以降、即ち明治時代初期に入ってからのことだ。
 当時、西洋哲学における諸概念を日本へ移入する上で大きく貢献したのは、西周(にしあまね)(1829〜
97)である。彼は、「哲学」を始め、「観念」「概念」「主観」「客観」「演繹」「帰納」「理性」「悟性」など、西洋哲
学で基本となる諸概念を日本語に訳すことに務めた人物であり、これらの哲学の専門用語