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仕事術・自己啓発 2


秩序ある思索をすることが、”妥当なビジネス”を行うためのスタートラインとなる
(2004年4月6日)

 ビジネスを成功させるためには、正しい思考プロセスを通してそれを行わなければならない。その理由は、正しい思考プロセスを通過しないで生
んだビジネスプランは、言うなれば”単なる思いつき”でしかないからだ。
 この経済社会において、単なる思いつきでビジネスをする人はいないだろうが、世の中には「発想力が豊かな人」がいることも確かだ。斬新で、し
かも競争力のあるアイディアをスッと浮かばせ、市場に対してそれを上手に仕掛ける実業家もいる。
 このような人は、ある意味、「ビジネスの天才」と呼んでもいいだろう。
 だが、そうした天才も、時には、失敗することもある。天才といえども、

  「えっ、あの人が一体どうしてそんなことをしてしまったのだ!」

とマスコミで騒がれ、大きな社会問題になることもあるのだ。
 それ故、そのような失敗をしないためにも、どんなに自分に自信があっても常に冷静に物事を見つめ、「秩序ある思索」をすることに努めることが
極めて重要となる。
 この問題において大切なことは、「常に、自分の行動や発言を振り返る」という

  ”冷静さ”、
  ”謙虚さ”

を維持するということである。
 例えば、前日に行った一つひとつの自分の行動・発言について振り返り、自分自身の不適切な行動・発言について謙虚な姿勢で反省するという
習慣を身につけるとよいであろう。
 このような習慣があるかないかで、その本人の”ビジネスのエンフォーサーとしての成長ぶり”はまったく違ったものとなるものだ。




仕事で成功する人が備えるコモンセンス
(2004年4月19日)

 昨日は、仕事で実にたくさんの人々とコミュニケートした。色々な人々とコミュニケートして感じることは、仕事で成功する人が必ず備えているコモ
ンセンスというものは、

  「連絡が極めてマメである」

ということだ。
 仕事ができる人というのは皆、相手に必要な連絡事項があると、躊躇することなく即在に連絡をする。これは、日本人だけでなく、世界中のどん
な国へ行っても共通することだ。
 今朝は、実は、午前3時半に起床した。色々と書かなければならない原稿が溜まっているため、いつもより少し早く起床した。
 とりあえずメールのチェックを行ったが、実に多くのメールを受信した。寝たのは約3時間前であるから、今日、メールを送ってくれた人々は夜型の
人々なのかもしれない。いや、私自身、寝るのが早かったのだろう(笑)。
 私は、夜は執筆中、眠くなると躊躇なく寝てしまうほうだ。
 昔は、眠くても、我慢して起きて書いていた。だが、今は、我慢してまで起きていることはほとんどない。眠かったらすぐに寝てしまい、翌朝に早
起きして、続きを行うことにしている。
 話をもとに戻そう。
 とにかく、成功の秘訣は、必要な相手とは連絡を密にすることである。これこそが、

  「行うべきことをスムーズに行う秘訣である」

と私は感じる。




意味のあることのみにエネルギーを注ぐ人がビジネスを成功させる
(2004年4月28日)

 「ビジネスを成功に導くためには、一見して、”何ら効果がない”、”意味がない”と思われることでも、丁寧に、そして心を込めて取り組むことが大
切だ」とはよく言われることだ。
 確かにそうである。自分が取り組んでいるビジネスを大成功させるためには、小さな努力を辛抱強く積み重ね、コツコツとそれを大きくしていくこと
がポイントとなる。
 だが、概して、意味がないことには、2つあると思う。
 一つは、最初は意味がなくても、やがて意味を成すもの。そしてもう一つは、最初から最後まで意味がないものである。
 思うに、世に言う、

  「意味がなくても、とにかく辛抱強くやってみよう!」

という前向き思考は、”やがては意味を成す”という大前提が存在して初めて成り立つ理屈である。
 したがって、「はじめから何らの意味もない。そして、やってもやっても何ら意味を成すことはない」という対象物がある場合には、その対象物に取
り組むことから”早期撤退”し、確実に意味を成す対象物に対してエネルギーを注ぐべきである。
 人間の人生の長さは限られている。そして、その間に出せるエネルギーも限られている。限られたエネルギーをいかに有効に使うか、これこそが
ビジネスを成功させる秘訣なのだ。




「プロ意識」とは一体いかなる概念なのか?
・・・”仕事の達人”としての意識の構築
(2004年6月5日)

 人は一体どのような理由で仕事をするのであろうか? 恐らく、この問題はあまりにも当たり前すぎる問題なので、ほとんどの読者は考えたこと
はないであろう。
 仕事はもちろん、自分や自分の家族の生活のためにするものだ。「自分あるいは家族がより幸福な生活を送るために給料を貰う」という大前提の
下、必要な税金、健康保険料、年金などをきちんと支払うために仕事をする、と普通は考えるものだ。
 言うまでもなく、これは、資本主義経済社会で生きる現代人にとって、実に当たり前の理屈であるといえる。どんな人でも、「仕事というものは、給
料を貰うためにある」と考える。
 では、労働者は、「給料」という概念に対して、一体いかなる捉え方をするべきなのであろうか。
 給料は、

  (1)貰うものなのか?
     それとも、
  (2)稼ぐものなのか?

 通常、給料は、会社組織から貰うものだ、と考える人が多いだろう。では、会社から給料を貰う労働者として、一体いかなる意識が必要なのか?
思うに、個々の労働者は、会社から給料を貰う以上、本人の労働は、”会社から支給されるその給料に見合った(相当した)労働”でなければなら
ない。
 では、支給される給料に見合った労働とは一体どんな労働なのであろうか?それは、言うまでもなく、

  「会社組織における組織人として、自分に与えられた職責を十二分に全うする労働」

ということだ。
 労働とは、単に、何時から何時まで会社にいればいい、ということではない。いかなる会社も、組織体を構成するそれぞれの社員の労働があって
初めて、「営利の追求」が可能となる。
 営利の追求、即ち、黒字経営について考えなければならない人間は、何も、経営者や経営陣のみの責任で行われることではない。私は、会社
組織における営利の追求は、会社を構成するすべての人間によってなされるべき行為だと考える。
 俗に言う、”優良企業”とは、単に経営者のみが経営手腕に長けている、ということではない。真の優良企業とは、会社組織におけるすべての社
員が、

  「会社の繁栄は、”社員一人ひとりの働きぶり”で左右される」

という仕事哲学の下、

  「この厳しい経済社会において生き残るために、毎日、一人ひとりの社員が互いに協力し、共に闘っていこう」

というスタンスを常に維持している企業を指す、と私は考える。
 ではここで、もう一度、給料は、(1)貰うものなのか、(2)稼ぐものなのか、という問題に戻ってみよう。
 今、この話の流れを理解した人であるならば、

  「給料は、稼ぐものだ!」

と断言することができるのではないだろうか。
 毎日、汗と涙で給料を稼ぐ、という意識で働くならば、あなたの給料は必ず、あなたの働きぶり・実力に見合った金額になるはずだ。
 とにかく、自分の労働を通して

  会社に儲けさせよう!
  会社を繁栄させよう!

 会社が儲かれば、あなたの給料もかならず上がることになる。それが「資本主義経済社会のメカニズム」というものだ。結局のところ、”仕事にお
けるプロ意識の構築は、このあたりを理解して初めて可能となる”と、私は考える。




成功するビジネスパーソンは、「”針の穴”ほどの小さな可能性」にも突破口を見い出す
(2004年6月13日)

 ビジネスは、決して目の前に横たわっているものではない。もともと存在しないものを、自身の汗と涙で作っていくものである。
 この考え方は、誰でも持っているようで、実際にはそうでない場合が多いと私は考える。
 即ち、ビジネスパーソンには、概して、2つのタイプがある。
 一つは、

  (1)「もともと存在するビジネスを黙々と行う人」、
     そしてもう一つのタイプは、
  (2)「まったく存在しないビジネスを自らの手で生み出し、それを成長させていく人」

である。
 前者は、大企業の社員にその傾向が多く見られ、後者は、起業家タイプということになろう。
 ここで今、自分自身を見つめ直し、自分は一体どちらのタイプに属するか、と考えてみよう。
 もし、あなたが前者のタイプであるならば、軽率に現在勤めている会社を辞め、独立して何か事業を興そうとは考えないほうが無難である。その
理由は、このタイプの人が「裸一貫になる」という選択をすると、九分九厘の確率で自滅することになるからだ。
 後者のタイプに属する人は、思い切って、とことん自分が納得するまでやってみてはどうであろうか。
 思うに、できるビジネスパーソンは、

  「ビジネスにおける”可能性”というものは、タダ同然で見い出せる代物ではなく、針の穴ほどの可能性をも見逃さない」

という厳しい発想法を駆使する人である。このような発想法を備えている人は、常に、ありとあらゆるチャンスをうかがい、少しでも前に進む努力をし
ているに違いない。
 まさに、ビジネスにおけるチャンスは目の前に転がっているのではなく、自らの努力で勝ち取るものなのだ。




「世界で唯一の存在者」としての仕事人生
(2004年6月19日)

 80年の人生において仕事ができる期間はある程度決まっている。近代社会においては、

  「学校を卒業して就職し、定年まで働く」

というスタイルが普通だ。だが、最近は定年を迎えてもまだまだ元気な人が多いので、実際には、定年後も何らかの仕事をする人もいる。
 かりに、ある人が、20歳前後で仕事を始め60歳前後で辞めた場合、「約40年」の仕事人生を送った計算になる。この「40年」という期間につい
て、読者の皆さんは一体どのように考えるだろうか。
 多くの皆さんがまず最初に感じることは、

  「40年は長い」

ということではないだろうか。
 端的に考えれば、40年は確かに長い。だが、40年は10年を4回やればそれで終わりである。そしてその10年は、1年を10回やれば過ぎてし
まう。
 ではここで、「1年」という時間的空間を冷静に考えてみよう。1年というスパンは、長いか短いか?
 思うに、今これを読んでいる人の年齢層にかかわらず、普通の感覚の持ち主であれば、

  「1年は短い」

と感じるのではないかと私は想像する。
 この論法を基盤として考えるならば、40年という仕事人生は、ある意味、あっという間に過ぎ去ってしまう期間であるといえる。
 ”この世に生まれてからこの世を去るまで”の期間は「80年」。そのうち、バリバリと仕事ができるのは「40年」。我々人間は、80年という、(天
文学的スパンにおいて)”極めて短い人間の人生”の中で、その”たった半分の”40年しか仕事人生を送ることができないのだ。
 では、我々人間は、この40年という実に短い期間において、一体どのようにして、世界の総人口、60億人の中の”1人の人間”として、

  「世界で唯一の存在者」

として”有意義かつ価値ある時間的空間”を作っていくべきなのであろうか。




”お茶目な人”がビジネスを成功させる
・・・心あるビジネスパーソンは「心あるビジネス」を遂行するテクニックを熟知している
(2004年7月2日)

 ビジネス社会は、言うなれば毎日が戦場である。まさに、

  「一寸先は闇である」

といえる世界だ。
 しかし、だからといって、いつ何時でも、あまりにも真面目に仕事をし過ぎると、時には、ネガティブな作用が生じることがある。
 例えば、業務連絡として電話やメールを使う場合、真面目なビジネスパーソンは、そこで”真面目なやり取り”しかしないものだ。
 もちろん、真面目な仕事ぶりは評価に値する行為である。真剣勝負でビジネスをしようとする人にとっては、ビジネスを遂行するにあたっては、実
に、細部にわたって真面目に取り組むであろう。このような行為は、一言で言えば、

  「美しい働きぶり」

ではある。
 だが、時として、そのダイレクトな真面目さは、”命取り”になることもある、ということに留意するべきである。
 思うに、真面目さだけで勝負するビジネス・ビヘイビアーには、「心」がないことがしばしばある。当たり前のことを淡々とするビジネス・ビヘイビア
ーは、それを受ける人によっては、”実に無味乾燥なビヘイビアーである”と感じることもあるのだ。
 では、「心のあるビヘイビアー」とは一体どんなものなのであろうか。それは、

  「ビジネスを遂行するプロセスにおいて適度に脱線する行為である」

と私は考える。
 むろん、どんなビジネスにおいても、真面目さは「売り」の材料にはなる。だが、それを受けるすべての相手が、その真面目さを100パーセントの
「買い」の材料だと考えるとは限らないものだ。
 私は、できるビジネスパーソンは、自分のビジネスを売りたい相手に、

  「これは買いだ!」

と思わせるテクニックに優れていると考える。
 結局、相手に「買い」と感じさせる戦略的な手法は、

  (1)「真面目さ」
     と
  (2)「お茶目さ」

の程よい調和を実現させることなのであろう。




口だけの人の予定はすべてが未定である
(2004年8月26日)

 世の中には、口達者が実に多い。ビジネスでもプライベートでも、ある人から、

  「では、また近いうちにご連絡させていただきます!」

と言われても、”実際には何ヶ月も連絡が来ない”、という経験は誰にでもあるに違いない。
 人間は、言葉でコミュニケートする動物であるから、言葉では何でも言える。そうする気があってもなくても、

  「とりあえずこう言っておこう!」

という趣旨で、他人に対してかなり曖昧な表現をすることがあるのだ。
 だが、

  ”曖昧な表現”、
  ”抽象的な表現”

を使いすぎると、時として、他人からの信用を損なうこともある。その気がないのに、いかにもそうするかの如く、

  「是非ともご一緒に活動したいものですね!」

と易々と述べ、後は、”まったく放置しっぱなし”という人は意外と多いのではないだろうか。
 人間関係において、絶対的な信用を得る人のタイプは、「自分の”言葉の管理”をきちんとできる人」である。
 「言葉の管理」とは、自分が発した言葉に対する責任を持つという意味である。自己啓発本には、しばしば、「自己管理能力の重要性」について
述べられているが、これには、言うまでもなく、自己の「言葉の管理」が含まれている。
 周囲の人々から、

  「あの人が言う予定はすべてが未定だ!」

などと言われないように、自分が発する言葉には責任を持ちたいものだ。




できる人は自分から率先して職場のムードを変える
(2004年9月18日)

 本来、人間は環境によって左右される。人間の人格形成が、個々の人間の幼少時代における環境、即ち、どのような環境でいかなる育ち方をし
たかによって、その本人の人格形成に大きな影響を与えるということだ。
 この「環境によって人間は変わる」というのは、何も人格形成だけの問題ではない。このことは、既に成人した大人が社会生活を送る際にも該当
する問題である。
 例えば、「職場環境」である。即ち、個人差はあるが、どんな人間でも、職場が持つ雰囲気、つまり職場環境には多かれ少なかれ影響を受ける。
 入社当初、たとえ仕事に対するやる気が相当あった人でも、職場の雰囲気が実にダラダラとした雰囲気で仕事がなされ、社員も皆、やる気のな
い社員だとわかると、

  「ここでは一生懸命に働いても、あるいは適当にやってもほとんど同じだ。だったら決められた時間だけいて、あとは適当にやればいい!」

と考えてしまうことになる。
 むろん、そう考える本人にも自分なりの”言い分”があるに違いない。だが、結局、”一個の社会人として”そうした最悪のメンタリティーに陥った
ら、それはその本人にとっては「仕事人生における死」を意味するといえるものだ。
 日本にも海外にも、ありとあらゆる会社が存在する。私自身、内外で実に多くの会社経営者とお付き合いをしてきたが、それぞれの会社に訪問
する時、社長室に到着するまでの間、いつも注意していたことがある。それは一体何かというと、秘書あるいはスタッフの対応の仕方である。
 概して、社員の「やる気」が感じられる会社では、個々の社員の挨拶、言葉遣い、コミュニケーション術などは頗る洗練されている。逆に、直感
で、「この会社は活気がないな!」と感じた会社では、社員の対応はあまり良くない場合がほとんどだ。
 活気がない会社であっても、稀に、やる気のある社員はいるものだ。しかし、やる気のある社員でも、職場自体、やる気のない人々で囲まれ、自
分ひとりだけで「何とかしよう!」と思うのは、なかなか勇気の要ることかもしれない。
 ここで、私は一つ提案したい。
 もし、これを読むあなたが、たった一度の仕事人生をより価値のあるものにしたいと本気で考えるならば、他人のやる気をはどうあれ、自分自身
のやる気を奮い立たせ、もう一度、エネルギッシュに仕事に燃えてみてはどうであろうか。
 自分が変われば他人も変わる。逆に言えば、他人を変えたいならば、まず第一に、自分を変えることが先決なのだ。




できるビジネスパーソンは”直属の上司”を最も大切にする
(2004年10月15日)

 本当に賢いビジネスパーソンは、「直属の上司に対して最大限の敬意を払うことに努める」と私は考える。例えば、一般的な会社組織であれば、
もし、あなたがある課に配属されている場合、あなたの直属の上司は「課長」である。
 通常、直属の上司である課長は、毎日、あなたの仕事ぶりを注意深く見ているものだ。そして、意外と、あなた自身、課長にはわからないだろう
と思うことまで、実際には、課長が知っていることもある。
 会社組織において、課のメンバーがなぜ直属の上司である課長に忠誠を誓い、敬意を払うべきかというと、

  「課長はいざとなれば、部課長(管理職)会議などで自分の部下の進退について身を挺して守ってくれる」

からだ。
 一般的に言えば、上司というものは、毎日の業務においてはさりげなく振舞っていても、

  ”自分の部下たちの仕事ぶり”

についてかなり詳細にわたって管理(観察)しているのが普通である。それ故、課長は、その職責を”管理職”と呼ばれるわけだ。
 管理職は、言うまでもなく、

  「部下たちを管理する、という組織(部署)統括において極めて重要な職責を有する役職」

である。
 ここまで話が進むとわかりやすくなるが、課長が統括している課のメンバーが、直属の上司である課長を差し置いて、課長よりも上位の管理職で
ある部長(あるいは、社長やその他の経営陣)に直接コンタクトを取ることは、いわば、

  「組織の秩序を乱す原因を作る」

ということになる。正しいビジネスを遂行することは、まさに秩序ある組織運営を維持して初めて可能となるのだ(ただ、業務遂行上、どうしてもコン
タクトを取る必要性がある場合には、直属の上司の許可を得て取るべきである)。
 最後にもう一つ。・・・直属の上司を大切にしよう!
 そうすれば、いざという時には必ず、あなたの直属の上司は、身を挺してあなたを守ってくれるに違いない。それが”組織におけるコモンセンス”と
いうものである。




モンテスキューの『ローマ人盛衰原因論』をヒントにして、日本企業のマネージメント哲学について考えてみよう!
(2004年10月19日)
 
 モンテスキューは、著書『ローマ人盛衰原因論』の中で、

  「かつてのローマ共和国は自由な国であったが、その自由な国が自由を失ってしまった。その理由は、ローマが肥大化するに伴い、制服主義 
  的な帝国になってしまったからだ。つまり、ローマの肥大化は、自由を失う原因であったのだ。国家の肥大化は内乱を誘発し、遠隔地での戦争
  は市民の共和国精神を消滅させる原因をつくってしまったのである。ローマは新しい土地で侵略をすればするほどパワーを失い、最後には滅亡
  するに至ったのだ」

と述べている。
 この考え方は、現代におけるより良い国づくりをするための価値のあるヒントともなるが、「日本における企業体のマネージメント理論」として実に
役に立つ考え方でもある、と私は考える。
 即ち、1990年代初頭のバブル経済崩壊以降、日本の多くの企業は、実に苦しい経営体制を余儀なくされてきた。実に、個々の企業は、毎年、
少しでも盛り返しを図ろうと、”手を替え品を替え”ビジネス戦略を練り直し、真剣勝負のビジネスを展開することに努めてきたわけだ。そうした企業
の努力は実に美しい姿ではあるが、ここでもう一度、原点に戻って企業経営におけるマネージメント哲学を考えてみようではないか。
 モンテスキューは、『ローマ人盛衰原因論』において、

  (1)「国家の肥大化は内乱を誘発する」、
  (2)「遠隔地での戦争は市民の共和国精神を消滅させる原因をつくる」、
  (3)「新しい土地で侵略をすればするほどパワーを失う」

と述べている。国家と企業はまた異なる性格を持っているが、「組織体をいかにマネージするか」という意味では、同じ考え方を導き出すことも十分
に可能だ。
 今の日本では、

  (1)「今はこんな時代だ。理想論や正当論をくどくどと考えるのはもう止めて、少しでも収益を増やすことを考えよう」
  (2)「確かに人材は宝ではあるが、人件費はこれ以上出したくない」

という経営方針を実践している企業体が増える傾向にあるように思われる。しかし、このようなポリシーを基盤として事業を行う企業は、いずれは経
営が傾く運命を背負っていると言わざるを得ない、と私は考える。
 まず、前者をシンプルに述べれば、

  「ビジネスにおける”ミッション”はどうでもいい。とにかく営利追求に専念することが大切だ!」

ということであり、後者は、

  「できる人材は欲しいが、給料はできるだけ安く払いたい」

ということである。
 だが、そもそも、ビジネスにおける”ミッション”がしっかりしていないプロジェクトが大成功を収めるという道理はない。そして、力量のある人材を確
保したければ、それなりの給料・待遇を与えなければならないということは経済社会におけるコモンセンスでもある。
 ここで『ローマ人盛衰原因論』を深読みすると、

  「ローマを守り続けたいのであれば、まず足元を固めよ!」

という理屈が、”価値ある教訓”として導き出せることがわかってくるといえる。
 つまり、国家も企業も、ただそれを大きくすることだけが能ではなく、確固たる「哲学」と「理念」を持って同胞との信頼関係を築き、組織の礎を強
固にしていくことが重要なのだ。
 大企業・中小企業にかかわらず、

  「大きいだけが能ではない」
  「足元を固めよ!」

という基本スピリットを大切にしてこそ、この難しい時代を乗り越えることができるのだと、私は声を大にして言いたい。




ビジネスの達人は、「タイミングを掴む達人」である
(2004年10月20日)

 世界史を振り返ってみると、歴史を動かした偉大なる人物は皆、「好機を決して逃さなかった」という点において共通点がある。これは即ち、歴史
を動かす人物は皆、

  「物事を先読みし、絶好のタイミングを読む達人であった」

ということだ。
 このことは、何も歴史上の人物に限ったことではない。現代の日本の政治においても、本当に政治を動かしている、あるいは動かそうとしている
人物は、

  「タイミングを掴む達人」
    であり、且つ、
  「仕掛けの達人」

であるわけだ(ここでは、あえてその名を述べることは控えるが・・・)。
 では、今、この考え方をビジネスの世界に”類推適用”してみようではないか。
 ビジネスの世界においても、本当にビジネスを成就させる人間は、「好機を決して逃さない人」であり、「より良いタイミングを掴む人」であると断言
して間違いない、と私は考える。
 ビジネスは、

  (1) 「落としどころ」、
       逆発想をすれば、
  (2) 「落とされどころ」

をいかにマネージするかが極めて重要となる。
 結局のところ、経済社会においてトップとして君臨している人は皆、このあたりの感性に優れた人物であるわけだ。




自分にとっての不都合が生じた時こそ、貴重な思索をする絶好の機会である
(2004年11月4日)

 人間、生きていれば色々な事態に遭遇するものだ。何年もの間、何の弊害もなく、毎日楽しく過ごしていても、時には、「えっ、一体どうしてこんな
ことが起きたんだ!」という事態に遭遇することがあるものだ。
 そんな緊急事態が起きた時、「こんな酷い思いをするのはもう懲り懲りだ」と考えるのが普通の人間の心理というものだ。だが、少しだけ発想を転
換して、「こんなことが起きて、かえって良かった。おかげで、価値のある思索をするきっかけとなった」と考えてみてはどうであろうか。
 人間の人生においては、どんな職業の人でも、しばしば想像もしていなかった緊急事態に遭遇することがある。そんな時、慌てて自分を見失うの
ではなく、「どうしてそんな事が起きたのか」、「これを契機に、自分は一体何を考えるべきなのか」と、価値ある反省・思索をすることが大切だと考
える。




経営者の気持ち
(2004年11月12日)

 一般的な企業体の社長に対するイメージといえば、「専属の秘書にスケジュール管理を任せ、移動も運転手付きの車でする」という”お殿様待
遇”というものであろう。
 普通の人であれば、企業体の社長に対してそうしたイメージを持つのが一般的であるため、

  「社長はお殿様待遇だから、さぞ御気楽な毎日を送っているに違いない」

と考えるのも当然のことだ。
 ところが、実際、この経済社会において、そのように御気楽な毎日を送っている社長などどこにもいない。
 実際、経営者の毎日は、相当しんどい毎日である。多くの社員を抱え、一体どうしたらビジネスを成功させ、

  (1)組織を繁栄させ、
  (2)個々の社員を守ることができるか、

という問題について毎日身を挺して考えているのだ。
 経営者は、夜も眠れないことがある。いや、かりに眠れても悪い夢を見る。一日24時間、何をしていても、会社経営・組織統括のことについて頭
から離れることはないのだ。
 簡単に言うならば、これが、

  (1)”給料を払う”経営者
     と、
  (2)”給料を貰う”社員

の根本的な違いである。
 経営者は、仕掛けたビジネスで営利を出し、社員に”給料を払う”。社員は、職責に応じて自分に課せられた仕事を全うし、会社から”給料を貰
う”。この、

  (1)”払う”
     と
  (2)”貰う”

の違い、即ち、心理的な違いは、貰うことしか経験したことのない人にはなかなかわからないものだ。




やる気満々は実にいいことだが、”飛ばし過ぎ”はネガティブな効果を生み出す
(2004年11月12日)

 職場においては、実に様々な人間がいるものだ。仕事に情熱を持っている人、ただオフィスアワーだけそこにいればいいと考える人など、仕事に
対する「やる気」は人それぞれである。
 言うまでもなく、仕事に対するやる気があることは、実に素晴らしいことである。だが、やる気があり過ぎて、実際の能力以上の仕事をしようとす
ると、必ずといっていいほど業務に支障が出る。
 その理由は、どんなビジネスパーソンでも、やる気があり過ぎると、”自分のできること以上のこと”をやようとするからだ。

  「私は・・もできるんです」
  「私は・・についてはかなり詳しいので、・・は私に任せて下さい!」

と言うのは、実に簡単である。だが、実際はそれを行うための「能力」「ナレッジ」「スキル」がないのに易々と「私は・・ができます」と公言してしまう
と、後で取り返しのつかない結果を招くことになるものだ。
 思うに、本当はできないことを”できる”と断言した相手が、同僚であればまだいい。
 だが、断言した相手が、直属の上司だったり、それよりも上の上司だった場合、断言した本人は、相手からかなりの不信感を持たれることにな
る。
 そもそも、職場の上司というものは、自分よりも業務処理能力が優れているのが普通だ。いや、そればかりでない。上司というものは、社会経験
も人生経験も部下よりも豊富である。
 それ故、そうした経験豊富な上司に対して、部下が実際の能力以上のものを見せようと思っても、上司は、

  「自分の部下が一体どれくらいの能力を備えているのか」

ということは、かなりシャープな洞察力を持って見抜いているものだ。
 たとえ、上司が部下に対して笑顔で、

  「ああー、そうですか。・・さん(君)にはそんな能力があったのですか。でしたら、近いうち、それに取り組んでもらいましょう!」

と言ったとしても、実際は、その上司は、部下の本当の能力を見抜いた上でそのように言っているだけである。これは、言うなれば、”単なる社交
辞令”でしかない。
 世間では、「正直は最善の策」とも言う。上司に対しては、決してハッタリを言うことなく、正直に接することが最善の策であるに違いない。




腹を決めている人は打たれ強い
(2004年12月18日)

 最近、改めて思うことがある。それは、

  「腹を決めている人は、いざという時には、実に強い」

ということだ。
 どんな人の人生においても、日々、様々な事態が起こるものだ。いい事、悪い事、そして、予期していた事、予期していない事など、物事の展開
が突然、考えもしなかった方向性に向かうことがある。
 そんな時、常に覚悟を決めて毎日を過ごしている人は、”実に精神的に強い”といえよう。
 その理由は、そのような人は、前もって、

  「何事が起ころうとも自分はこうありたい」
  「いざとなれば自分はこうする」

という覚悟を決めているわけであるから、緊急事態が起きた時、慌てることなく冷静沈着に対応することができるからである。




できる経営者は現場を疎かにしない
(2005年1月8日)

 会社経営者の主な仕事といえば、会社のビジネスを滞りなく遂行するという目的を持って、「上級管理職に適切な指示を出すこと」である。
 経営者が組織統括を上手に行うためには、

  「”トップ”としての役割と責任を、トップの立場から遂行しなければならない」

ということは言うまでもない。だが、実際問題として、それだけでは、経営のマンネリズムに陥り、意外と、

  「見るべきことを見れない」
  「知るべきことを知り得ない」

という”致命的な落とし穴”に落ちることがある。
 それ故、企業の経営者といえども、必要に応じて現場を見、毎日現場で一体何が起こっているのか、ということを知る必要がある。そして、経営
者は、自身の目で現場を見、自身の肌で何かを感じれば、

  「次には一体どんな仕掛けをするべきか」

がわかってくるのだ。
 実に、経営者は「仕掛けの達人」でなければならないが、仕掛けるには、「現場の真実」を認識する必要があるのだ。




パワーを発揮できる人、できない人
・・・果たしてあなたには、他人を優しく包み込めるほどの「心の余裕」があるだろうか?
(2005年1月19日)

 外見で、どんなに立派そうに活躍している人、どんなに頑丈そうに見える人でも、本当は、毎日、相当しんどい思いをしてビジネスライフを送って
いるものだ。
 ある意味、どんな仕事をしているかにかかわらず、人間は皆、

  ”ある種の重い石”を背負って生きている、

と私は感じる。
 また、このことは、会社組織においても同じことが言える。
 社長であろうと、役員であろうと、部長や課長などの管理職であろうと、組織統括を職責とするものは、そうした重い石を背負って毎日を過ごして
る。
 さらに、言うならば、その石を背負って生きているのは、管理職だけではない。社員一人ひとりにおいても、ある種の重い石を背負って毎日を過ご
している。正社員であろうと、アルバイトであろうと、仕事を滞りなく遂行しようとする思いが強ければ強いほど、毎日、その石の”重み”をひしひしと
感じならが働いているものだ。
 「人間の本性」という観点から述べるならば、ほとんどの人の場合、自分が重い石を背負って生きていると、他人のことを優しく包むだけの「心の
余裕」をなくしてしまうといえよう。自分が大変な思いをしていると、いつの間にか、

  「大変な思いをしているのは自分だけだ!」

という錯覚を起こしてしまうわけだ。
 だが、先に述べたように、重い石を背負って毎日精一杯働いているのは、皆、同じである。「自分も、そして他人も、同じように重い石を背負って
生きている」という認識の下、相互に協力し合って仕事を成功させることこそ会社組織に必要とされる仕事哲学なのである。




就職活動をしている学生諸君への提言!
(2005年2月13日)

 今、大学3年生といえば、就職活動に忙しい毎日を送っている。では、「就職」とは一体何なのか?
 就職は、もちろん「職に就くこと」である。言葉を換えれば、仕事に就くことだが、ほとんどの大学生は、仕事の中身というよりは、会社という組織
そのものの知名度や規模ばかりに気を取られている。
 日本では、ビジネスパーソンが名刺を出す時、

  「わたくし、**会社の**と申します」

というごとく、まず最初に会社の名前を言う。
 ところが、西洋では、

  「私の名前は**です。今、**として**で働いています」

という具合に、まず自分の名前を最初に述べる。
 この理由は説明するには及ばないだろう。日本では組織を第一に考える社会だが、西洋は、まず「個人」という存在が重要視され、組織という代
物は、個人の個性・力量を活用する場として考えられている、という文化的相違があるわけだ。
 今、考えてみよう。就職したら、あなたは、

  (1)ただ単に、企業の歯車になりたいのか、
    それとも、
  (2)「個人」として、仕事を通して自己実現を図りたいのか、

という問題を。
 泣いても笑っても、人生は一度きりである。学生諸君よ、後悔のない就職活動をしていただきたいものである。




アスリートの”キャリアトランジション”という問題について
(2005年7月2日)

 昨日は、日本のアスリートにおけるキャリアトランジションの研究をしている会の勉強会に出席しました。ちょうど、先日(2005年6月26日)、
NHKのサンデースポーツという番組で、元オリンピック選手でシンクロの銅メダル獲得選手、田中ウルヴェ京さんや元Jリーグ選手の重野弘三郎さ
んが出演して、アスリートの引退後の仕事人生や生き方についての特集が放映されました。そして今回は、MJコンテス代表取締役の中川準子さ
んのバックアップの下で、田中さんや重野さんを含め、たくさんのアスリート、大学教授、その他、関係者の皆さんが集まりました。勉強会の後は、
食事とお酒を交えながらの懇親会もあり、遅い時間帯まで非常にフレンドリーな雰囲気の下で色々なお話をすることができました。
 このアスリートのキャリアトランジションという問題は、単にアスリートにおける引退後の仕事人生や生き方についてだけの問題でなく、一般社会
において幅広く応用できる問題であります。田中さん、中川さん、そして重野さんは、現在、日本におけるキャリアトランジションの推進におけるリ
ーダー的存在ですが、今後も、ますますご研究を続けていただきたいと願っています。
 私自身の問題関心としては、今後ますます高齢化社会が進む中、この理論・考え方を一般社会に応用できないかということです。現在、他の仕
事が詰まっているため、すぐにこの問題に関する執筆をすることは非常に難しいですが、落ち着きましたら何らかの形で私の考えを発表したいと計
画しています。




経営者の心得
・・・ビジネスの達人は、”他人を泳がせる器量”を備えている
・・・2005年7月25日・・・

 ビジネスを成功させることができるかどうかの分かれ道は、「泳ぐ」ことだけでなく、「泳がす」ことができるかどうかにかかっていると、私は考え
る。
 たとえば、ある施設のプールで、自らがプールに入りそこで精一杯泳ぐその姿は、健康的で、かつ、美しい行為である。自分の意志で水の中に
入り、そこで泳ごうとするその姿からは、「積極的に泳ごう」とする"本人の前向き思考のパワー"を感じることができる。
 通常、単細胞の人、つまり世の中を客観視できない人は、これだけで満足する。しかし、この複雑極まりない社会構造の中で、より良いチャンス
を掴み、確実にビジネスを成功させたいと考える人はこの限りではない。そうした人は、言うまでもなく、自分がプールで泳ぐだけでなく、他人を「泳
がす」ことをも考える。
 「泳がす」という"仕掛け"を実践することは、簡単なようで、結構難しい。健康促進のために近所の住人がやってくる公共施設のプールであれ
ば、大した仕掛けを考えなくても適当に人が訪れ「泳がす」ことはできる。
 しかし、いわゆる営利追求を目的とする遊園地、その他のレジャー施設が運営するプールの場合、ただ、大きなプールに水を入れておくだけで
は、たくさんの客を満足させることは不可能である。訪問者を大満足させ、またリピーターとして戻って来てもらうためには、それなりの思索を通し
て趣向を凝らし、「エンターテイメント性のある様々な仕掛け」を提供することが必要となる。言うなれば、流れるプールや波の出るプールがその代
表的な例であるが、近年においては、これだけでは決して勝負にはならない。
 ビジネス社会においては、会社組織で与えられたことだけをただ黙々とやっているだけの人は、ビジネスパーソンとしての先は見えている、と言
わざるを得ない。与えられたことを真面目にやるその姿は確かに美しい姿であるが、そこには何らの

  「独自性」
   や
  「独創性」

もみられない。
 私は、ビジネスで成功する人は、まず、この「独自性」や「独創性」に優れているということが第一条件となると考える。まさに、

  「自分で何か新しい商品・サービスを作ってみよう」
  「新しい商品・サービスを作って、他社には見られない"独自の仕掛け"を考え、市場においてダイナミックに勝負しよう」

という発想を持てるかどうかで、ビジネスパーソンとしての将来像が大きく変わっていくといえるのだ。
 結局、ビジネスにおいてもプライベートライフにおいても、(1)「泳ぐ技術」だけでなく、より広い視点から世の中における社会風潮を達観し、(2)
「泳がす技術」、つまり、「スマートに人や組織を動かす技術」が必要となる。自分で泳ぐか、それとも、他人に泳がすか、というチョイスは、その時
その時の状況に応じて使い分け、柔軟な発想の下で判断していくことがポイントとなろう。
 世の中には、「一時が万事において、すべてを自分でしなければ気が済まない」という人もいる。会社を自分で立ち上げ、少しずつビジネスを大き
くしていった会社の経営者には、このタイプの人が相当数いることは周知の事実である。
 「細部にわたり自分で指揮・監督しなければ気が済まない」という、経営者が持つその情熱はわかる。思うに、僅か数人でやっている会社であれ
ばそれでもいいだろう。しかし、裸一貫でスタートさせた会社を、50人、あるいは100人以上の社員を抱えるまでの会社に成長させたならば、ある
時期からは、細かい指揮・監督は担当部署のトップに任せ、自分は経営者として組織全体の経営・管理に注意を払うべきである。なぜならば、そう
したほうが、部課長などの幹部社員が力強く育ち、組織自体も、「より頑丈な組織」として成長させることができるからだ。まさに、経営者としての
器量は、「泳がす技術」を備えているかどうかにかかっているのだ。




札幌の講演会で感じたこと
(2005年12月11日)

 2005年12月7日、私は、北海道・札幌の札幌信用金庫本店において、さっしん昭和会主催による講演会を行ってきた。ご参加いただいた人々
は皆、会社経営者である。
 演題は、「人の心を掴むコミュニケーターになろう」である。講演の時間は1時間半であったが、あっという間に終わってしまった。話したいことは
たくさんあったが、とにかくあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。
 札幌は、実は、生まれて初めて行った場所である。これまでの人生において札幌と縁がなかったのは残念であったが、講演の招聘を受け、初め
て札幌に足を踏み入れた。
 さっしん昭和会の人々は、何といっても、心が温かかった。私自身、昔から、「北海道の人は心が温かい」というイメージがあったが、実際、現地
の人々の心は非常に温かかった。講演の後は、懇親会を開催していただいたが、宴席では、たくさんの人々と話をすることができた。そこで話をし
た人々からも、それぞれ心温まるお気遣い・ご配慮を頂戴した。
 私自身、様々な場所で講演をする。基本的に、講演者は、「会場で参加者に何らかの”気づき”を与えなければならない」と私は考える。だが、実
際、どこでどんな講演をしようとも、毎回と言っていいほど、「会場では、こちらから気づきを与えるだけでなく、参加者からも非常に大切な気づきを
いただく」ということになる。
 今回の札幌での講演でも、主催者、そしてご参加いただいた皆さんから、実に”大きな学びの機会”を得ることができた。この場を借りて、さっし
ん昭和会の皆様に深く感謝の意を表したいものである。




ビジネス・コミュニケーションにおける「雑談」の重要性
(2005年12月23日)

 先週半ばにおいて、私は、月刊・BIG tomorrow(青春出版社)の企画で取材を受けた。取材内容は、「ビジネスにおける”雑談”の効用につい
て」であったが、実際、取材班のスタッフの皆さんも、非常に雑談がうまかった。
 今回の取材で話した主な内容は、言うまでもなく、自著の「仕事に活かす雑談の技術」(同文舘出版)で述べた”雑談の技術とそのパワー”につ
いてである。雑談は、その使い方如何で、ビジネスにおいて最も重要なシーンである「交渉」や「契約」において極めて重要な役割を持つといえる。
私は、ビジネスの達人は「雑談の達人」であると考えるが、実際、ビジネスで成功している人は、雑談が非常にうまい。実に、雑談上手は、いかな
るビジネスシーンにおいても、場の雰囲気に応じて適切なムードを醸し出すことに長けているのだ。
 私は、今週前半、大阪・京都へと足を運んだが、現地で様々な人々とコミュニケートする機会を持った。そうした中、私は再度、「人間同士のコミ
ュニケーションにおいて、この”雑談”がいかに重要な役割を果たすか」ということを身を持って感じた次第である。




「哲学」「コミュニケーション」「ビジネス」における相互関係
(2005年12月31日)

 クリスマスも終わり、仕事納めをする会社が多い中、先日、利根コカ・コーラボトリング株式会社の執行役員・営業副本部長、浅野賢一氏とお会
いする機会を持った。ご面会においては楽しい時間を過ごすことができ、私自身、色々な意味で学びの場ともなった。お会いした理由はある案件に
ついて話し合うためであったが、その話し合いの中で、「ビジネスにおいてはコミュニケーションが一番大切だと思いますが、一体どのような方法で
社員教育をしたらよいのでしょうか」という質問が出た。
 このコミュニケーションの問題は、私自身、現在の執筆活動において大きな柱の一つとしているものである。私は、近年における執筆活動におい
ては、3つのキーワードを軸として文章を書いてきた。それは何かというと、

  (1)「哲学」、
  (2)「コミュニケーション」、
  (3)「ビジネス」

である。
 今、この文章を読んでいる人の多くはビジネスに興味を持っていると想像する。したがって、ここでは「この3つのキーワードにおいて一体どのよう
な相互関係があるのか」という問題について、まず第一に「ビジネス」というキーワードから説明を始めたい。
 巷では、「ビジネスを成功させるためには**が必要である」と、様々な観点から述べられている。言うまでもなく、どんな企業体にもいても、現
在取り組んでいるビジネスを成功さるためには、リサーチにリサーチを重ね、生き物のように変動するマーケットを見据えたビジネス戦略を構築する
ことが必要だ。だが、実際、それだけでは不十分である。では、他にどんなものが求められるのだろうか。その一つは、ビジネスを遂行する人間自
身における「優れたコミュニケーション能力」である。
 この”経済社会”は、基本的に「人間と人間の交わり」で成り立っている。会社において、「組織を大切に!」とは頻繁に耳にする言葉だが、実際
問題として、”組織”という代物は、人間の集合体であり、個々の人間(社員)が、それぞれ自分の労働力を提供して会社組織を繁栄されているわ
けだ。このラインで話を続けるならば、「コミュニケーションが会社組織を維持し、コミュニケーションが会社を繁栄される」と言い切っても問題はない
だろう。また、当然のごとく、個々の企業体が自身の商品やサービスを売ったり、取引会社との交渉・契約を進める際においても、その遂行者が妥
当なコミュニケーション・スキルを備えていることは必要不可欠の要件だといえる。
 ここまでの話は、多くのビジネス書で述べられていることだが、思うに、人と接する際、ただ単にコミュニケーション上のスキルを備えていればそ
れで十分ということではない。
 具体的に言えば、コミュニケーション・スキルは、単に、妥当なコミュニケーションを図る上での”道具”である。ビジネスにおける話し方・コミュニケ
ーション術がどんなに優れていても、伝えようとする”中身”がしっかりとしていなければ全く意味をなすものではない。
 つまり、コミュニケーションにおいて必要なものは、伝える道具としてのコミュニケーション・スキルだけでなく、「伝えようとする中身そのもの」を充
実させなければならないということだ。その中身を充実させるためには、「常に物事を客観的に捉え、いかなる案件についても理性的に判断する能
力」が必要となる。このような能力を養うために「哲学」が必要となるのである。
 あなた自身が、会社組織で働く人なのか、あるいは、経営者として経営管理・組織統括を行う人であるかにかかわらず、この経済社会において
何らかの経済行為を行う以上、「一個のビジネスパーソンとしての哲学」が必要となる。会社組織で言うならば、このことは「経営理念(哲学)」と呼
ばれているものだ。
 企業は今、広く社会貢献をすることが求められている。企業は、単に自らの利益のみを追求するだけでなく、直接的にも間接的にも組織体に関
わるあらゆる関係者に対して利益が生じるよう最善の努力をすることが求められているのだ。この問題は、現代の日本のビジネス社会における
CSR(corporate social responsibility, 企業の社会的責任)が見直されようとしている中、極めて重要な問題であると私は考える。




学生からいただいた「気づき」について
(2006年1月22日)

 昨年の春から、私は色々な意味で価値ある経験を持つことができた。昨年4月から、ご縁があり、都内の専門学校で「ビジネスコミュニケーション
(英語)」の講義を持つことになった。以前から、執筆や講演だけでなく、「草の根的に啓蒙活動を行っていきたい」という願望を持っていた私は、当
初、相当な熱意を持って講義に望んだものだ。
 幸い、この学校には、実に素直な学生が多い。だが、講義においては、教える学生数が多いため、残念ながら、なかなか一人ひとりの学生と深
いコミュニケーションを持つことはできないというのが実情であった。そして、彼らとの授業も、あと数回ほどとなってしまった。
 講義中は個々の学生との対話を持つことはかなり難しいが、例えば、校舎の廊下で担当している学生とすれ違うと、学生は皆、ニコニコした表情
で挨拶をしてくれる。私はそのたびに、「学生もそれなりに気を使っているんだな!」と感じたものだ。
 思うに、会社(実社会)でも学校でも、毎日の生活の基盤は、

  「他人とのコミュニケーション」

で成り立っている。
 会社組織も学校も、すべてはコミュニケーションがその場の雰囲気をつくる。このような観点から述べれば、私自身、学生からある種の「気づき」
を与えてもらったということがいえる。
 学生たちからは実に多くの気づきをいただいたが、その中で最も自身の学びとなったものは、「人間は皆、何かを感じて毎日を過ごしているの
だ!」ということである。これは、一見して”シンプルな気づき”であるが、我々は、意外とこのことを忘れて毎日を過ごしているのではないだろうか。
 人は皆、何かを感じながら生きている。このことは、当たり前の事実であるといえば確かにそうであるが、我々人間は、時として「他人の気持ちを
察する」という行為ができないことがあると私は考える。




コミュニケーションという代物は、一見簡単なようで"実は極めて難しい"
(2006年3月1日)

 世の中には、実に色々なタイプの人がいる。愛想のいい人・悪い人、べらべらとよく喋る人・そうでない人、他人を褒めるのが上手な人、一年中
中文句ばかり言っている人など、人間のコミュニケーションの姿・形は実に様々である。
 通常、一般社会では、どんな相手を前にしても、その相手とうまく交流を図れるように努力する人が好感を持たれるものだ。それ故、ビジネスで
接する相手、あるいはプライベートで接する相手にかかわらず、人は皆、会う相手によってそのコミュニケーションの方法を上手に変えている。
 概して、「話し上手」「グレート・コミュニケーター」は、外(人前)では活動的でリーゾナブルな話し方・振舞い方を実践する。ところが一方、そうした
人々は、私生活においては"極めて静かで質素な生活"を好む場合が多い。これをわかりやすく言えば、「たいていの場合、仕事上、人前で話す
機会が多い人ほど、私生活ではエネルギーを消耗するのを極力控えている」ということだ。
 話し上手の人は、<うまく話すという行為>は、<実に気を使う行為>だという理屈を知っている(実感している)。当然のことであるが、人間は
皆、育った環境や備えている知識・教養が異なる。そして、人生観、価値観、世界観なども人によって違う。したがって、ここで正論を言うならば、
他人とより良いコミュニケーションを図るためには、「それぞれの相手が持つ"持ち味"や"器量"を瞬時に見抜き、常にお互いの意思の疎通が図れ
るように適切なコミュニケーションの方法をとること」が求められるわけだ。
 たいていの場合、他人と価値ある交流を図りたいと考えている人は、常に、異なる存在者を目の前にして、相手とどのように交流を図ったらよい
かということを考えているものである。「話し上手」とか「グレート・コミュニケーター」とか呼ばれる人たちは皆、このことを真剣に考え、できるだけリ
ーゾナブルな形で実践する人であるといえよう。
 実に、人間は、他人とより良いコミュニケーションを図ろうとすればするほど、「相手に対して気を使う存在者」になろうと努力するわけだ。このよう
な見方から、私自身、「コミュニケーションという代物は、一見簡単なようで"実は極めて難しい"」という捉え方をしている。




できる人は待ちながらも先へ進む
(2006年3月1日)

 街のどこかで、誰かと待ち合わせをしている人々の顔の表情は実に様々である。「一体いつ来るのだろう?」とイライラしている人もいれば、冷静
沈着な顔をしている人もいる。中には、本や雑誌、あるいは新聞を読みながら待っている人もいる。
 思うに、相手を待っている間、何かを読みながら待っている人は、ある意味で”賢い待ち方”をしているといえる。なぜならば、待っているその時間
が、たとえ10分でも20分でも、その間、何かを読んで頭の中に情報をインプットするならば、その時間的空間を無駄にすることなく実に有効に使え
ることができるからだ。このような発想法の持ち主は、毎日の生活においても、上手な時間の使い方をすることができるといえよう。
 単細胞の人間は、待つとなると、とにかく待つことに徹する。だが、柔軟な思考ができる人は、待ちながらでも、決して足踏みすることなく、やるべ
きことをどんどんやっていく。
 結局、できる人は、「待ちながらでも先に進むワザを備えている」ということではないだろうか。




人様に感謝する気持ちを忘れた時が、人生において最も危ない時
(2006年5月14日)

 どんな人間でも、「人様や物事に対して感謝する気持ちが大切である」という理屈は知っています。しかし、そうは思っても、それらが毎日、当た
り前のように自分の目の前に存在し続けると、それらに対して感謝する気持ちを忘れがちになってしまいますね。それが人間の「常」というもので
す。
 人間は皆、人様の愛情や心配りに対して感謝しなくなり、それを当たり前として捉え始めたとき、大きな失敗・過ちを犯します。人様の愛情・心配
りのありがたさは、ある意味で、それがなくなったときに初めて気づきます。
 「本当に大切なものは、それを失ったときに初めてわかる」とは、古今東西で言われていることですね。致命傷とならない失敗をしないためにも、
今、そして、これからの人生においても、このことを自身の心の奥底に言い聞かせて生きていきたいものです。




今、改めて「本の読み方」につ