作: 生井利幸



遅すぎる後悔ほど、真実の理と道を教えてくれる。
2008年8月17日


自分の行動力が道をつくる。


失うものは何もないと思ったら、やる気さえあれば何でもできる。
2008年8月15日


理性的存在者は、10年を短いと捉える一方、10秒を”長い”と捉えるときもある。
2008年8月12日


耳が痛い助言を与えてくれる人ほど、計り知れない愛情を持っているものだ。


自分の心を痛めないと、他人の心の痛みを理解することはできない。


”・・しようと思った”と簡単に言う人ほど、・・するつもりはない。


理屈では、恩は真心で返すもの。だが実際、人間はしばしば、恩を”仇”で返してしまう。


実名で発する言葉・意見の”重さ”というものは、自分でも、実際に同じことをやってみないとわかるものではない。
2008年8月10日


現実社会において様々な経験を通して抱く夢は、単なる夢ではなく、”明らかな計画”である。


言うよりも、言わないほうが辛抱を要することがある。


できる人は大抵、過去において、他人の前で相当恥をかいているものだ。
2008年8月7日


はっと気づいたら、まず、やってみることだ。
2008年7月29日


尊厳そのものに尊厳はない。
2008年7月27日


間口が広くても、見えない人には見えない。

間口が狭くても、見える人には見える。
2008年7月22日


道を選ぶのも進むのも、結局、”自分自身”である。
2008年7月17日


求めてばかりいる人は、与える喜びを知らない。


”できない”と”やらない”は違う。


当たり前の行為・理屈こそ、私たち人間が最も大切にすべき代物ではないだろうか。
2008年7月13日


”感性で生きる”ということと”感覚で生きる”ということは、根本的に異なる概念である。
2008年7月10日


今を生きる尊さは、過去に甘んじ、過去に依存して生きる日々を重ねてしみじみと感じることだ。
2008年7月6日


ほとんどの人間は、”自分が盲目である”という有様に気づかないで生きている。
2008年7月5日


良く効く薬に言葉はいらない。
2008年6月30日


人間は皆、それぞれの環境と立場において、一生懸命に生きている。
2008年6月24日


日々の生活における小さな充実感・達成感にこそ、心から喜べる幸せがある。
2008年6月23日


押すよりも引くほうが難しい。


10分後よりも、”今”である。
2008年6月18日


”気づく”よりも、”気づかせる”ほうが、何倍もの労力・工夫が必要となる。


簡単なことほど極めて難しい。
2008年6月16日


夢を現実に変える方法はたった一つ。それは、一度決めたことを最後までやり通すことである。
2008年6月13日


戻ってみることも、時には”偉大な一歩”となる。
2008年6月4日


十分な睡眠をとることこそ、健康を維持するための最も効き目のある良薬である。
2008年6月2日


腹を決めている人は、天候や気分によってその日の予定を変えることはない。


やるかやらないかは、結局、自分で決めることだ。
2008年5月29日


用事というものは、忙しい人に頼むとすぐにやってくれる。


感謝する気持ちがあるか否かで、一個人にとってのものの価値は大きく変わる。
2008年5月28日


他者からの信用も不信感も、すべては自分でつくるものである。
2008年5月27日


人は皆、何かと闘いながら生きる宿命を背負っている。


苦悩に苦悩を重ねている人は、”辛いのは自分だけだ”とは考えないものだ。
2008年5月23日


自分の足跡に気づくことは幸いな有様である。
2008年5月22日


物質的な贅沢に溺れないことこそ、人生における最大の心の贅沢である。
2008年5月21日


楽が楽しいのは当然のことであるが、苦はもっと楽しい。
2008年5月18日


真剣に相手の幸せについて考えている人は、来る日も来る日も、その相手の行為について褒めてばかりはいないものだ。


今現在において勝負に強い人は、過去において相当負けた経験を持っている人である。


人は案外、現在の自分の立ち位置について知らない。
2008年5月17日


苦味のある言葉というものは、単にそれを聞くよりも、発するほうがより労力を使う。


どんな人でも、心の奥底では、自分は一体どうしたらよいのかわかっているものだ。
2008年5月15日


真実を知ろうとする勇気よりも、真実を受け入れようとする勇気のほうが、より偉大な勇気である。
2008年5月14日


道は、悩むだけでなく、悩み抜いてこそはっきりと見えるものだ。
2008年5月11日


理性的存在者は、極めて厳粛な態度で”知”を愛し、それを他者のために実践する存在者である。
2008年5月9日


同じことを伝えるにしても、言葉の選択・言い方次第で、そこに漂う”余情”が大きく変わるものだ。
2008年5月8日


人は結局、やってもやらなくても後悔する。
2008年5月4日


工夫好きな人は、思い通りにいかない事を存分に楽しむコツを知っている。
2008年5月2日


私たち人間は、日々、錯覚、あるいは、限りなく錯覚に近いものを信じながら生きている。
2008年5月1日


無いものを欲するよりも、目の前に在るもので心を満たすほうが、より高貴である。
2008年4月27日


大抵の人は、理屈として、”善”と”偽善”の違いはわかる。だが、他者の真の幸福のために、”真心”を持って善を実行できる人はそう多くはない。
2008年4月24日


期待が先行する人は、時間があっても、決して自分の力で歩もうとはしないものだ。
2008年4月23日


人間は常に、機会を捨てながら生きている。


人間は常に、争いを求めながら生きている。
2008年4月21日


底のない虚無には出口はない。
2008年4月18日


真実に生きることは極めて美しい生き方であるが、一方では、途轍もない辛苦を経験する運命を背負うことにもなる。
2008年4月15日


同じものでも、見る角度によって、その見え方・印象は相当違う。
2008年4月12日


人の好意の高貴さというものは、それを無償で受けている間にはわからないものだ。
2008年4月10日


どのような結果になろうとも、決めるのは結局、自分自身である。
2008年4月6日


知らないという有様よりも、知ろうとしない有様のほうが愚かである。
2008年4月4日


腹を決めると、雨露が気にならなくなる。
2008年4月3日


見えすぎないほうが難無く進めるものだ。
2008年3月31日


本当の意味でコミュニケーション能力の高い人とは、他者の気持ちを察する能力のある人を指すのだと思う。


時間と機会は、それがたっぷりとある時にはその価値がわからないものだ。
2008年3月30日


中に入らないと、”わからないこと”が在る。


生みを重ねると、生むことの責任について、より厳粛に捉えるようになるものだ。
2008年3月28日


人間は、多くを所有すればするほどに、ものの価値に対して盲目になる。


人に多くを望むのではなく、”人に多くを与える”ことに精を出す人が、この上ない優雅な心の満足感を得ることができる。
2008年3月27日


マンネリズムは、時として、人間の理性的思考を停止させることがある。
2008年3月26日


転んでも、また立ち上がればいい。


感動は、待つものではなく、自ら生み出すものである。
2008年3月23日


元気を出せば、きっと何かが変わる。
2008年3月21日


大いなる危機意識こそが、前に進むための原動力となる。
2008年3月18日


真に生きようとする勇気は、実に尊い勇気である。


鈍感な人は、知らず知らずのうちに多くの罪を犯している。
2008年3月16日


無作法な一言の失言が、相手の熱をさましてしまうことがある。


人は意外と足元を見ないで歩いている。
2008年3月14日


形は、印象でつくられる。
2008年3月12日


出発点は常に”今”である。
2008年3月10日


”現物”ほど、効き目のある薬はない。


買手の利を”理”に変貌させる商人が、最後に残る。
2008年3月5日


同じ場所を見ても、目に入るものは人によって違う。


現在の自分の”立ち位置”を知ることが、地に足の着いた生き方をするための第一歩となる。
2008年3月1日


勇者は、今日も明日も、恥をかきながらものを学ぶ。
2008年2月26日


机上の経験でも、それが暖衣飽食の経験なのか、それとも、”辛苦と歓喜を積み重ねる経験”なのかによって、その成果は格段に違う。


自分磨きに熱心な人は、現在の極限を乗り越えた後、しばらくしてまた、新たな極限を経験する宿命を背負っている。
2008年2月24日


熱意は能力に勝る。
2008年2月23日


賢者は、日常の些細な体験においてたっぷりと幸せを感じる意味を知っている。


目の前の”鉄の壁”と闘うその姿こそ、最も尊い有様である。
2008年2月22日


窓があっても、外が見えるとは限らない。
2008年2月18日


押すよりも、引くほうが難しい。
2008年2月14日


賢者は、単にものを食べるだけでなく、よく噛んで、それを自身の血・骨とする。


”聞こえない”ということと”聞く気がない”ということは、それぞれ異なる有様である。


至上の喜びは、喜べるその時しか味わうことができない。
2008年2月10日


創作者は、”魂で神の声を聴き、それを世の言葉に直して人々に届ける”という、極めて重大な役割を担っている。


技術ではなく、魂で音を奏でない限り、その音が人の心を捉えることは難しい。


土は、おかれた状態によってその様相を変える。


理性を備えた人間であっても、善に生きない限り、理性的存在者とはいえない。


神から賦与された理性は、善を実践するために在るものだ。


本質を追求する哲学者は、頭で考え、心で感じ、”腹”で哲学する。


加減の力は、本質の力を超える場合もある。
2008年2月8日


金は使えばすぐに無くなるが、”知”は、使えば使うほど増えていく。
2008年2月6日


真の”理”は、岩石よりも硬い”知の塊”に護られている。


愚か者は、愚か者に近づく。
2008年2月4日


本質は、環境に先んずる。(環境如何で変わる本質は、真の本質ではない。)


良き考えは、それを具現して初めて、確かな意味を成す。


口で奇麗事を述べるよりも、”行動”で示すほうが何倍もの効き目がある。
2008年2月3日


毒が良薬になることもある。


他人の言うことに腹が立つのは、ある意味で、その事が的を射ているからである。


道が見えても、そこを歩かなければ前に進めない。
2008年2月1日


何事においても結局、”自分自身がそう望むか・望まないか”である。
2008年1月27日


人前で”自分は特別だ”と主張した時点で、人はその特別さを評価しなくなる。
2008年1月25日


人間は皆、他人から自分の顔がどう見えるかを知ることなく、日々、時を刻んでいる。
2008年1月23日


ものの価値は、捉え方ひとつで、上がりも下がりもする。


今、できることをすることなく、できないことを延々と夢見るのが人間の常である。
2008年1月21日


人間は意外と、”自分は自分自身の意志で大地に立っている”という事実を忘れている。


生むときはもちろん苦しいが、生んだ後も決して楽ではない。


慣れが飽きの始まりとなるか否かは、自分の心構え次第である。


不特定多数にものを正確に伝えるという行為を成すには、相当のエネルギーが必要となる。
2008年1月17日


与える人は常に与えることばかり考えているが、その一方、求める人は常に求めることばかり考えている。


心の中の叫びが皓皓と燃えてしまったら、もう元に戻ることはできない。
2008年1月13日


今、この幸せを、しっかりと噛み締めたいものだ。
2008年1月12日


それなりの人生経験を積まない限り、人の気持ちがわかることはない。
2008年1月9日


普通であることの幸せは、普通でなくなった時に初めてわかる。
2008年1月7日


魂を表現する芸術作品においては、その表現のところどころで、”無口な小宇宙”が意気揚々と舞い踊る姿を見ることができる。
2008年1月5日


真に神経質な人は、日々の生活において、自分が神経質に見えないように工夫を凝らす。


無神経な人ほど、他人からは神経質に見える。


知、・・・その、”偉大なる高貴さ”というものは、知への探究過程における”自己の邪念との死闘”を経験せずして感じ得ることはない。


無駄な時間は、往々にして必要”善”である。
2008年1月4日


不平を言う前に”前向きな提案”をするように努めると、常に鮮度抜群の人間関係を保つことができる。


毎日、新鮮な顔の表情で、”新鮮な人付き合い”を心掛けたいものだ。


”他人には優しく、自分には厳しく”。言うのは簡単だが、これを実行できる人は極めて少ない。
2008年1月3日


他人が心を尽くして行っている親切や好意の尊さは、それをしてもらっている最中にはなかなかわからないものだ。
2007年12月31日


今日の”この今現在”、通じる相手がいることに人生最高の歓喜を感じる。
2007年12月28日


素直な心が一番強い。
2007年12月24日


自分の足で歩かない限り、足跡は残らない。
2007年12月22日


体裁やしがらみに縛られる行為は、前進というよりは”後進”そのものである。


長い人生、何度後悔してもいいと思う。大切なのは、自分が本当に望む生き方をすることだ。
2007年12月17日


幸福や喜びは、独り占めにするものではなく、”皆で分かち合い、共に味わうもの”である。


厳粛な姿勢でものを学ばない限り、そこに学びの価値が宿ることはない。


どん底から這い上がった人が発揮する力には、強靭な底力がある。


闘う相手は、他人ではなく、自分自身の”弱さ”である。
2007年12月15日


止まない雨はない。
2007年12月14日


賦与された理性を駆使して知と美を調理するための”まな板”は、いかなる包丁捌きにも耐え得る強靭さを備えている。


魅力とは、心の奥底における”辛苦の積み重ね”で築き上げるものである。


人間は、人生経験を積めば積むほど、言葉の使い方に注意するようになるものだ。
2007年12月10日


聞こえる人には聞こえるが、聞こえない人にはやはり聞こえない。


”鈍感さ”は、言うなれば最大の暴力であるが、その反面、本人にとっての最大の救いとなり得るものだ。


心の持ち方一つで、毎日が常に、新しい人生の第一歩となる。
2007年12月8日


人は転んだときに改めて、”人は皆、自分の足で立っている”という有様の意味に気づく。
2007年12月5日


印象は、事実よりも人に影響を与える。
2007年12月4日


長い人生において有終の美を飾れるか否かという問題は、常に”紙一重”の状態で続くものだ。


一つの気づきともう一つの気づきが相反するという事態に遭遇したとき、人間はまた、新たな境地に入ることができる。


賦与された理性は、極めて神聖なるものである。それ故、人間は、厳粛な姿勢で理性を用いなければならない。
2007年12月1日


忙しい人ほど、時間を上手に使いこなす。


暇な人ほど、忙しいふりをする。
2007年11月29日


通じない相手には通じないが、通じる相手には通じるものだ。


明日の課題を今日のうちにやってしまうと、一日分、得をした気分になれる。


理は、自ずと明らかになる。
2007年11月27日


幸福は、自分自身で齎すもの。


不幸は、自分自身が招くもの。
2007年11月24日


本当にしたいことをして恥をかくことは、”偉大な一歩”である。


恥をかかないようにしようと思えば思うほど、自己実現を果すことが難しくなる。


資本主義経済の最大の欠点は、しばしば、ビジネスそのものが、本質から離れた”雑音とネオンをつくる台所”となってしまうことだ。


人間は常に、雑音とネオンに惑わされて生きている。
2007年11月23日


人間は、背伸びし過ぎ失敗して初めて、真っ正直に生きる尊さを知る。


昨日まで何をしてきたかではなく、”今日、何をするか”のほうがより重要な問題である。


覚悟を決めて生きていなければ、覚悟を決めて生きている人の気持ちはわからない。
2007年11月22日


自分は何者でもないという本質に気づいたとき、人間は初めて、”恵みそのものの証”である大地にしっかりと立つことができる。
2007年11月21日


顔の表情は心の窓である。
2007年11月20日


感性は、知識よりも高貴である。


人は案外、聞くべきものを聞いているのかもしれない。


人間の生には限りがあるが、文化・芸術における精神は永遠に生き続ける。
2007年11月19日


他人の心温まる気遣いについて、それを当たり前と捉えた瞬間、そう捉えた本人の不幸が始まる。


馬でも、飲み水を選ぶ。
2007年11月18日


人間関係を構築するための基本は、相手に対して興味を持つことである。


心の不調は隠せても、体の不調を隠すことは難しい。
2007年11月16日


人生における最高の一時というものは、実際にそれを経験している最中にはわからないものだ。
2007年11月15日


大切なのは、決断することそのものではなく、”決断したら即、実行すること”である。


謙遜の優美さ・尊さを知らない人は、謙虚な人の前で平気で胡坐をかく。


自分磨きには、痛みや苦しみが伴うものだ。


心が触れ合ったその時こそが、一番の好機である。


いい出会いがあってもそれを単なる偶然と捉える人は、大抵は、一生涯、それを繰り返して生きるものだ。
2007年11月14日


溝には二つある。一つは油断して落ちる溝、もう一つは、”自ら率先して入る溝”。


ものの価値は、あってないような空虚な代物である。


一輪だけの花から感じる美しさにこそ、真の優美がそこにある。
2007年11月12日


百の知識よりも、”一の気づき”のほうがより高貴である。


人は、負けながら勝ち方を学ぶ。


純朴な心に勝るものはない。
2007年11月11日


客観性極まりない客観は、それほど味わい深いものではない。


自らの印象を堅持し続けると、独自の創作へと導かれる。
2007年11月7日


耳があっても、人の声が聞こえるとは限らない。
2007年11月6日


人間は、自分を晒し者にせしめることで、自分を律し、磨き抜くことができる。


人間は、隠そうとするものが多ければ多いほどに、自分磨きができない状態に陥る。
2007年11月3日


普通の幸せこそが人生最高の幸せであるということに気づいたその時、人間は初めて、”幸せの噛み締め方”を知るようになる。


他人の力に便乗して進む百歩よりも、自分の力で進む一歩にこそ、大きな意味と価値がそこにある。
2007年11月2日


朝、目が覚めた時、生まれ変わろうとする強い意志さえあれば、毎朝、”新しい自分”を作り出せるものだ。
2007年10月31日


心を磨けば、外見にも磨きがかかる。


一番怖いのは、”怖さを知らない”というその有様である。


度を越えて欲を追求し過ぎると、やがては損をする。
2007年10月29日


人は、やらなければ後で後悔するが、やってみても、結局、後悔する。


しがらみを取り払って表現する”素直な気持ち”、それこそが、何よりも他人の心を動かす。
2007年10月28日


安易な道を進もうとすればするほどに、辿り着きたいと願うその場所は、次第に遠くなる。


この世に、手間隙を必要としない仕事などひとつもない。
2007年10月25日


物事の推移は、それをどう捉えるかで、その意味合いが大きく変わる。


明けない夜はない。
2007年10月23日


人は大抵、褒められれば褒められるほど、自分の本当の姿を見失う。


他人が発した言葉に腹が立つのは、ある意味、その言葉が真実を物語っているからである。
2007年10月21日


雄飛しようとする意欲が、より良い明日をつくる。
2007年10月20日


叫ぶよりも、囁くほうが、真意が伝わることがある。


人間は、文化・芸術・学問の前では、常に、厳粛、且つ、謙虚でいなければならない。
2007年10月13日


賢者は、提案の中に”示唆”を含める手腕を備えている。


見晴らしがいい場所で見える前は、前であって前ではない。
2007年10月9日


技術だけでは、到底、届かない。


過去における芸術作品を”再現”することと”表現”することは、それぞれ異なる行為である。
2007年10月7日


抱えるには気迫があれば十分だが、背負うには覚悟が必要である。


相手の謙虚さ・心遣いにあぐらをかいてしまうと、自分の愚かさ・無知さを露呈することになる。


知っているという事実よりも、知ろうとする意志のほうがより強く逞しい。
2007年10月5日


安易な抜け道があっても、あえて自分を律し、そこを通らないところに”真の気高さ”が生まれる。
2007年10月2日


余情の美意識を備えた人は、奥の奥まで感じることの優雅さを楽しむことができる。


創作者であっても、または、表現者であっても、心の中の”濁り”こそが最大の敵である。


人は、やってみても後悔するから、やらないで後悔するよりも、やってみて後悔するほうがまだいい。


大切な用事を明日に延ばす人は、明日になると、またそれを明日に延ばす。


時間の価値がわかる人ほど、接する相手に、相手のための時間があるように振舞うものだ。


暇な人ほど、忙しいふりをする。


形で生きている人は、形で失敗する。


人間は、単に生きるだけでなく、”生き抜く宿命”を背負っている。
2007年9月29日


前に何もないからこそ、道をつくる楽しさがそこにある。
2007年9月25日


同じ言葉でも、それを発する源における思慮の奥行きは、人によって相当違う。
2007年9月21日


重んじることの尊さは、過去において、あることに対して非理性的に軽んじた経験がなければわかるものではない。


単に述べることと伝えることは、根本的に異なる行為である。
2007年9月17日


うまい水をありがたく汲めない人には、人の心中を酌めるだけの器の広さはない。


感じないという有様は、ある意味、幸いな在り方である。


度を越えて感じてしまう繊細な感性の持ち主は、その生涯において、”途轍もなく重い石”を背中に背負い続ける宿命から逃れられない。


人は概して、事実そのものよりも、加減から生じる印象で物事を判断する。


困難は、それに押し潰されるためにあるのではなく、それを乗り越えるために存在するものである。
2007年9月16日


多くを求めるところから、人の不幸がはじまる。


求めるものが少なければ少ないほど、人は、より平穏な心を保つことができる。


善と思っていたことも、ちょっとだけ角度を変えてそれを捉えてみると、実は、とんでもない偽善であることがある。
2007年9月15日


”生の限り”を意識した生に生きてこそ、生における一秒の重さを実感できる。
2007年9月13日


無意識のうちに”無意識の境地”に入れたら、何かを悟ることができる。


人は案外、素の自分について忘れている。
2007年9月6日


食べたいものは何かと考える人よりも、伝えたいものは何かと考える人のほうが、最終的には”より強く”生きることができる。
2007年9月5日


人は、”これ以上の低い底はない”と痛烈に思ったその時、しがらみを捨てて自分を変えることができるようになる。
2007年9月2日


どんなに小さな命でも、命はみな、精一杯生きている。
2007年8月26日


加減は必要だ。だが、そればかりでは、心の奥底に秘めた”熱い思い”を表すことは難しい。


どんなに丁寧に伝えたとしても、相手がそれを理解しているとは限らない。
2007年8月23日


しっかりとした心の置き場所があれば、簡単に心が揺れ動くことはない。


人間関係の修復は、早ければ早いほどいい。
2007年8月20日


人間は、溝に落ちたとき、溝の存在の意味に気づく。


課せられた結果として抱く問題意識は、課せられなくなると即、その意識が消滅する。


知らないということよりも、知ろうとしないその有様のほうがより罪深い。
2007年8月16日


人は、歩きにくい道を歩くと、普段よりもものを考えながら歩くようになる。


”書きたいという熱情が強ければ強いほど、まったく筆が進まない”という境地もある。


歓喜を味わう一時と悲惨を経験する一時は、まさに紙一重である。
2007年8月14日


賢者は、言わずにものを言う。


顔よりも、”後姿”にこそ、その本人の生きてきた過程が映し出される。


雑草は、少しぐらい踏まれても、自らの力で成長し続けようとする生命力を備えている。


楽して生きようとすればするほど、実際、楽でなくなる。
2007年8月13日


人は案外、身近な人の真実を知らない。
2007年8月11日


人間は、往々にして、はっきりと見えるものには注意を払わないものだ。


不便さが、人間の思考を活性化させる。


慣れた時こそ、最も危ない時である。
2007年8月7日


糧にならない苦はない。
2007年8月3日


1分を、10分相当の時間的空間とするか、それとも2、3秒ほどのものとするかは、自分の心構え・集中力次第で決まる。
2007年8月1日


気配りにエネルギーを注ぐ人は、自分から率先して馬鹿になる。


外見上、神経質に見える人は実は無神経。逆に言えば、無神経に見える人は相当な神経質である。
2007年7月28日


恥は、かけばかくほどいい。


やれるかどうかではなく、やるかどうかで人生は変わる。


人間は、決して自分の”根本”を変えることはできない。だが、自分さえその気になれば、”方向性”を見直すことはできる。
2007年7月27日


最初からは道はない。道は、歩いた後にできるものだ。


最初からある道しか歩かない人は、道のつくり方を知らない。
2007年7月26日


伝え方に困って立ち往生しているときは、相手によっては、勇気を持ってすべて正直に話してしまうことが得策である。
2007年7月25日


必要とされるその事実には確かな理由があるが、逆に言えば、必要とされない事実にも確かな理由がある。


失敗を繰り返さないと、朝の迎え方にも磨きがかからない。
2007年7月23日


”慣れ”は、人生最大の敵である。


人間の愚かな一面は、”人は皆、必死で生きている”という周知の事実を忘れることである。
2007年7月21日


大空を雄飛している鳥たちも、四六時中、羽を使っているわけではない。
2007年7月17日


意識してもできないことがあるが、”無意識”でもできることもある。


壁と溝は、異なる概念である。


幸は利であるが、利が幸であるとは限らない。
2007年7月15日


どうしても元気が出ないときには、眩しいほど元気な人の生き方に触れ、その元気を分けてもらおう。


使い果たしたと思っていたエネルギーも、ちょっとだけ発想法を変えてみると、まだまだ使い切れないほどたくさんあることに気づく。
2007年7月12日


止まない雨はない。
2007年7月11日


常に石橋を叩いて渡ろうとする者は、真の知に到達することはない。


他者から安易な方法で得ようとする知は、真の知ではない。
2007年7月6日


見栄を張るよりも、”自然な姿”でいるほうが、より強く、且つ、より美しい。
2007年7月1日


進みたい方向に足を動かすのは、間違いなく、”自分自身”である。


人は、自分さえその気になれば、いつでも、そしてどこでも生まれ変わることができる。
2007年6月28日