哲学・思想 3
「今、ここに生きている」という事実がすべてである
・・・サルトルの「実存主義」を手掛かりに
今朝は、季節感のない雨が降っていた。私は、まだ桜を見に行っていないという理由もあり、「この雨、早く止まないかな」と思いながら、書斎か
ら外を眺めていた。
しばらくして、雨は止んだ。雨はすっかりと止み、ここに太陽の光が入ってくる。まるで、さっきまでの雨は"嘘"であったかのようだ。
自分が目にするものは、一瞬一瞬、過ぎ去る"時"の経過と共に移り変わるが、まさに、「ここにあるものを、そっくりそのまま"あるもの"として受
け入れよう」と考える"この今"である。
このような朝のひと時を経験した私は今、サルトルの世界に入り込む。
承知のように、サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)は、「実存は本質に先だつ」と唱え、「人間の存在のあり方は"もの"の存在のあり方と
は根本的に異なる」と主張したフランスの哲学者である。
サルトルは、「"もの"は、ただ単に目の前にあるだけである。しかし、人間は、常に自ら成るものであり、自分で自分をつくる存在である」と説き、
"もの"のあり方は、単なる「存在」であるが、人間のあり方は「実存」であると唱えた。
例えば、我々が毎日使っている椅子の存在を考えてみよう。サルトル流に椅子を捉えるならば、こうである。
即ち、椅子は、最初からその本質が決まっている存在物である。時間が経過するたびに、椅子が自らの力で物事を考え、自己啓発し、成長して
いくということは決してあり得ることではない。
一方、人間の場合には、椅子とは異なる。即ち、人間は、(1)自己の責任で考え、(2)悩み、そして、(3)自己の生き方を選択していくというプロ
セスを踏む。つまり、人間の場合は、最初から「この人はこんな人だ!」と定められているのではない。ある程度の期間において、本人がどのよう
な生き方をしたのかということによって、その"人物像"が描き出されるのだ。
一般に、サルトルの実存主義は、一見わかりやすいようで実はわかりにくい、と言われている。ここでこの実存主義の概念についてわかりやすく
述べるならば、「今、ここに生きているという事実がすべてであり、明日は明日生きている事実がすべてである」ということだ。
サルトルの哲学において真に大切なのは、「今現在、いかに生きるべきか」という問題である。今現在の自分の生き方が「今の自分」をつくり、明
日は、明日においていかに生きるかということが「明日の自分」をつくるのだ。
言うまでもなく、誰にとっても、「この一瞬一瞬をいかに生きるべきか」という問題は、各人の頭を悩ませ、試行錯誤させる原因をつくる。人間は、
より善く生きようとすればするほど、「一体いかに考え、どのように行動したらよいのか」と悩むことになる。
そもそも、人間が「生きる」ということは、言うなれば「悩む」ということではないだろうか。悩むその理由は、いわば「今の自分を高めたい」という向
上心に依拠しているものである。そうであるならば、我々人間は、この「悩む」という行為自体について、それを恐れ、嫌悪する必要性もないといえ
る。
今日は、今日生きている自分がすべてであり、明日は、明日生きている自分がすべてである。それ故、我々は様々な問題についてとことん悩
み・考え、「本来の自分」としてエネルギッシュに人生を謳歌することに全力投球すればよいわけだ。
「人間は、自分で自分をつくるべきである」、・・・これこそがサルトルが世に伝えたかったことだと私は解釈する。
注)
サルトルは、フランスのパリで生まれる。無神論的実存主義の代表的な思想家である。1924年に高等師範学校に入学、1929年に教授資格
を取得。1931年から1945年までは高等中学校の哲学教授を務める。第二次世界大戦においては、抵抗運動に参加する。戦争が終わると、実
存主義を唱え、雑誌『現代』を主宰。後に、共産主義思想に傾向し、晩年においては連帯の倫理を唱える。1964年にはノーベル賞を辞退し、話題
を呼んだ。主著は、『実存主義はヒューマニズムである』『嘔吐』『自由への道』『存在と無』『弁証法的理性批判』など。『第二の性』『招かれた女』
などで女性の生き方について独自の追求を試みたフランスの女流作家・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908-1986)は、サルトル自身の哲
学を熱く支持し、私生活の面でもサルトルと実に深い親交を結んだ。
ソクラテスの「無知の知」から、生きる上での知恵を学ぶ
概して、人間という動物は、少しばかり何かを学び、それによってある程度の評価を得ると、さぞたくさん知っているかのように人前で振舞いたく
なる習性を持っているものだ。
言うまでもなく、どんな分野においても、ある程度まで極めるための「学びの道」を歩むというそのプロセスは決して簡単なものではない。だが、人
間は、時として、実に愚かな考え方をするものだ。「自分には限られた知識しかない」という事実は自分自身が一番良く知っている事実であるが、
どんな人間でも、時には「自分は何でも知っている」というような"錯覚"に陥ることがある。
しかし、「自分は何でも知っている」ということを軽々しく言えるということは、「実は何も知らない」あるいは「知ってはいるが、実はそこそこに知っ
ているだけだ」という証ということになる。
古代ギリシア時代における偉大な哲学者、ソクラテス(Sokrates, 470?-399 B.C.)は、「知」を愛し、それを求めることに自分の人生を託した。古代
ギリシア語においては、「哲学」(philosophia)という言葉は、「知」(sophia)を「愛する」(philein)という意味であるが、このような"知を愛すること"、即
ち「愛知」はソクラテスによって確立されたものであると伝えられている。
ソクラテスは、人間は誰一人として自らすすんで悪事を行う者はいないと考え、「悪事を行っている者はそれを悪とは知らずに善と思って行ってい
る。いうなれば、そこに人間の無知があるのだ」と主張した。ソクラテスは、人間はこのような自分の無知を自覚し、人間にとっては一体何が大切
なのかという知を追求し、それを知ることができて初めて、"何が善で何が悪なのか"を認識できると考えたのである。
ソクラテスは、「助産術」と呼ばれる問答方式で周囲のソフィストたちに本当の「知」を認識させることに努めた。しかし、ソフィストたちは自分たち
の無知をソクラテスによって悟らされてしまうため、自己反省のできない者達からはひどく嫌われた。
その理由は、ソフィストの中には、少しばかりの知識があるだけで、さぞ自分が"偉い人物"であるかのような錯覚に陥り、自分自身に対するプラ
イドばかりが高い人物が多かったからだ。当時、学問をするというのは贅沢なことであったので、大衆は"学問をする人"を敬う傾向が強かった。
だが、ソフィストといえども決してパーフェクトな存在ではない。ある程度、学問を修めたとしても、その知識は決して万能というわけではない。ソク
ラテスは、「自分は何でも知っている」と自負する者は、実は「何も知らない者」であり、人間は、自らをそう思っている間は、決して「本当の知」には
到達できないと力説した。「"自分は本当は何も知らない"という自分自身の"無知"に気づくことが本当の知への扉を開けることである」というこの
考え方は、古代ギリシア時代のみではなく、21世紀の現代社会においても十分応用できる考え方である。
例えば、有名大学を卒業しただけで「自分は**大学卒業だ!」というプライドを過度に持ち過ぎ、どこへ行っても卒業した大学の名前だけで通
用すると信じ込んでいる若者はどこにでもいる。しかし、実際は、かりに4年間において大学で専門分野を学んだとしても、真の意味での"学問の
深さ"を考えると、その4年間は"実に些細な4年間"でしかない。学問というものは、一人の人間が何十年ものあいだ睡眠時間を削って行っても、"
ほんの些細な研究"にしか成り得ない代物なのである。世の中には色々な人がいるが、「本当に深い勉強をしている人に限って、すこぶる謙虚で
ある」という事実がある。なぜならば、そのような謙虚な人は、この考え方を自分自身の体験から"実感"として理解しているからである。率直に言
うならば、単に高校を終えた若者が大学に4年間在籍し、そこで卒業に必要な単位を取るための勉強をしたとしても、それはまだ、「学問の扉を開
ける前の段階である」と言うべきである。
この"島国日本"では、「自由な教育を」と唱えながらも、まだまだ偏差値主義が台頭している。例えば、東京大学を頂点とする"学問のピラミッド
型ヒエラルキー"はまだまだ残っている。具体例を一つ述べれば、一部のステレオタイプ思考の東大卒業者は、事あるたびに、「東大では・・・。」と
いう話の切り出し方を持ち出す(もちろん、そうでない人もいる)。
思うに、東大の仲間たちと話をする場合には、それは"仲間内"としての話しだからそれもいい。この世の中、どこの大学を出ても、これと同じよう
な"内輪の話"をすることがあるものだ。だが、一般社会で、時々であればいいが、あまりにも頻繁にそのような話し方をしてしまうと、それを聞いた
相手から、「この人、また同じことを言っている。相変わらず、"自分は偉い"などと勘違いしているな!」と、心の中で笑われることになる。
アメリカにも、もちろん入学が難しいといわれている大学はある。例えば、ハーバード大学だ。しかし、ハーバード大学の卒業者の場合、一事が
万事において、「ハーバードでは・・・・。」なんてことは言ってはいない。実際、そのような偏った考え方で他人とコミュニケートしていると、最初はよ
くても、相手から結局、「この人は視野の狭い人間だ!」という判断をされることになる。
アメリカは、個人の「個性」や「持ち味」を最大限に尊重しようとする風潮のある社会である。一般論として述べるが、様々な価値観が交錯するア
メリカ社会において「一組織だけがすごい組織だ!」という考え方を押し通そうとすると、結局、何らかの弊害が出てくる。この点で、アメリカはある
意味、「健全な社会」であると判断できる。
例は変わるが、この話の筋で述べるならば、日本における「営業マン」においても面白い風潮がある。"できる営業マン"と自称する人は、頻繁
に、過去における自分の苦労話を持ち出すことが比較的多い。「いやー、私は20代の頃は苦労しましてね。ある時は、商品を買ってもらうために
相手の"足の裏"までなめましたよ!」という具合である。もちろん、「足の裏までなめた」というのは例え話である。同じような事を述べるのに他の
表現も使えるが、これは言うなれば、(1)「土下座した」とか(2)「腹の立つ顧客の前でも自分のプライドを捨てて深々と頭を下げた」という意味合
いなのであろう。率直に言って、営業マンの苦労話としては、"美談"である。ここには、まさにセールスの基本スピリットが感じられる。だが、この
種の話は、同じ相手には一回だけ言えばそれで十分である。同じ相手に対して、同じ事を何回も言う人の心の中にはそれなりの理由があるのだ
ろうが、この世の中、"もっとスマートな話し方"というものがある。
世の中には、実に様々な生き方をしてきた人が存在する。それぞれ、具体的なその経験自体は異なるものだが、人は皆、その人なりに苦労をし
ているものだ。率直に言えば、「当たり前の苦労話」ほど聞いていて面白くない話だが、ここにも、このソクラテスの「無知の知」の考え方が当て嵌
まるといえる。即ち、「自分だけが苦労している」「自分だけが特定の分野について熟知している」と思い込むというその有様は、実際は、「そこそこ
に知ってはいるが、実は、口で言うほどには知らない」「身の程を知らない」ということとして捉えられる。
思うに、"何かを極める"ためには、長く厳しい試練・困難に耐えなければならない。しかし、現代において、このことを認識している人は実に少な
い。そして、先ほど述べたように、現代人は古代ギリシア時代のソクラテスの「無知の知」の哲学さえ超えられないままでいるのである。
「自分の無知」を認識することは、本当の「知」に到達するための第一歩となる。年齢や社会的地位にかかわらず、常に"謙虚な姿勢"で自分の
知識や経験を蓄積し、それを一つの基盤として「識見のある幅の広い教養」を養おうとすることこそが、物事における「本質」(essence)を見極めるた
めのプロセスとなるのだ。
人間の人生は"極めて短い一瞬"である。天文学的に言えば、人間の一生は、広大な宇宙のスケールと比較するならば、その長さは"点"にも満
たない長さ(短さ)というべきである。今、そうした観点を踏まえてもう一度、世の中の見方、歴史の見方、そして、「人間の生き方」について再考し
たいものだ。
注)
ソクラテスは生粋のアテナイ生まれであり、父は石工ソプロニスコス、母は産婆パイナレテで、クサンティッペを妻とした。祖国を愛し、従軍の経験
もあるが(アテナイ遠征軍に3度従軍)、それ以外は一度もアテアイを離れなかった。アテナイは、アッティカ半島の西側に位置した古代ギリシアの
代表的ポリスであり、アクロポリス上にはパルテノン神殿が聳える(現在のギリシア共和国の首都であり、人口は約77万人)。ソクラテスは、一貫
して倫理の原理の探求を試みた古代ギリシア時代における偉大な哲学者であった。ソクラテス理論における真の知恵とは、「無知の知」の自覚で
あるが、これは結局、アテナイの市民には認められることなく、告発され、死刑となった。死刑となった背景については、弟子のプラトンが著した『ソ
クラテスの弁明』において詳しく述べられている。ソクラテスが展開した理論は現代においても広く知られるところであるが、実際に彼自身が残した
著作はなく、彼の弟子たちによってその理論が紹介されたものである。
人間の存在(生と死)について
・・・タレスからアナクシマンドロス、そしてデモクリトスにおける解釈の推移
西洋文明社会においては、古代ギリシア時代における最初の哲学者と考えられているのはタレス (Thales, 624?-546? B.C.)である。タレスは哲
学、幾何学、天文学の研究に専心し、"自然哲学の創始者"とも呼ばれている人物である。また、紀元前620年から70年間のあいだに登場した
古代ギリシアにおける七賢人の一人でもある。
例えば、アリストテレスは、著書『形而上学』において、最初に哲学した人々をミレトス(小アジアのイオニアにある植民都市)のタレスなどを挙
げ、タレスを"哲学の創始者"と呼び、ミレトスを西洋哲学の発祥の地と述べたことは広く知られていることである。
タレスは、「万物の根源(アルケー、arche)は水である」と主張した。ギリシア語のarche(アルケー)は「始源」、「根源」などを意味するものだが、
古代イオニアの自然哲学者たちは「万物の根源」という意味で広くこの言葉を使っていた。
その後、アナクシマンドロス(Anakimandros, 610?-540?B.C.)は、万物の根源について、「無限なもの」「限定を持たぬもの」「無規定のもの」(to
apeiron)と説いた。アナクシマンドロスは、ミレトスの自然哲学者として名を馳せた人物である。「無限なもの」(to apeiron)とは、何ら定めることがで
きないものであり、永遠的かつ不老なものである。アナクシマンドロスは、生命が一体どのように発生したのかという問題、また、人類の起源につ
いても詳細に説いた。
後に、デモクリトス(Demokritos, 460?-370?B.C.)が登場。デモクリトスは、いわゆる「原子論」を唱えた。デモクリトスは、古代ギリシア時代におい
て唯物論を唱えた哲学者として有名である。彼は、ギリシアのアブデラに生まれ、レウキッポス(Leukippos)の原子論を継承してそれを発展させた
哲学者であり、自然学、倫理学、数学、技術、音楽に造詣が深かった。著作は、格言に近い”断片”が残されているのみである。
デモクリトスは、世界・万物の究極の構成要素は原子(atomon)であると考え、「万物は、不可分の物質的微粒子である原子から成る」と主張し
た。彼は、万物は、それ以上は決して分割できない"究極的な物質的構成要素"である「原子」によって存在しているのであり、万物は、原子の結
合と分離によって生成・消滅すると唱え、人間の魂も、例外なく原子によって構成されていると考えた。
デモクリトスは、人間の「生」と「死」について以下のように考えた。即ち、いかなる生物も"呼吸をすること"によって生存し続ける。あらゆる生物の
内部の魂の原子は、外部の空気の圧力で絶えず外の世界に押し出さ れようとしている。一方、外部の空気には、無数といえる魂の原子が存在
しており、人間は、呼吸をすることにより空気中の魂の原子を体内に吸収し、それによって外気の圧力を退けている。これによって、体内の魂の原
子が体外に押し出されるのを防ぐ役割が演じられている。人間は"呼吸をすること"によって外部から魂を吸収できる限りにおいては生きていられる
わけであるが、このバランスが崩壊し、外部の圧力が勝り、体内の魂の原子が体外に押し出されてしまうと「死」が訪れると考えた。
デモクリトスは、このような考え方の下、「永遠なる魂」について否定した。デモクリトスは、人間の死に対する不安について、それを「死後の世界
に対する不安」であると説明する。つまり、どんな人間でも、長い人生において一度は大きな疑問として抱くであろう、「人間は死んだらどうなるの
か」という不安である。
デモクリトスは、"人間の魂は死後の世界では存続しない"のであるから、それを信じる限りそのような不安を抱く必要性は一切ない、と唱えた。
彼はさらに、エウテュミアー(euthymia、平安に満ちた心の晴れやかさ)を提唱。これは、我々人間は、エウティミアーを実現する目的をもって「死を
過度に恐れることなく、"ほどよい生活"・"調和のある生活"を満喫することによって最終的には幸福になれる」という考え方である。
言うなれば、人間の魂は死んだら消滅してしまうわけであるから、無闇に死を恐れる必要は全くない。それ故、人間が不必要に不安を抱くことは
無意味であり、死を恐れることなくできる限り人生を楽しむべきであるということだ。
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