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天才は天才と大喧嘩する・・・ゴッホとゴーガンの大喧嘩

後期印象派の画家であるゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890))は、一度「これだ!」と決めたら、とことん思い込み、創作のた
めにエネルギーを使い果たしてしまう“情熱家”です。オーストリアの天才作曲家・モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart,
1756-1791)がそうであったように、選び抜かれた天才は、その生涯において創作のために膨大なエネルギーを消耗し、普通の
人と比較すると、その命の長さは著しく短いものです。

天才画家・ゴッホも、その中の一人。幸か不幸か、他の偉大な芸術家と同じように、ゴッホの作品も、ゴッホが生きている間は、
世間から、その作品はほとんど評価されることはありませんでした。

ゴッホは、一時期において、フランス後期の印象派の画家・ゴーガン(Paul Gauguin, 1848-1903)と同じ屋根の下で共同生活をし
ます。しかし、その共同生活も、決して長くは続きませんでした。「天才は、自身の作品については決して妥協しない」という宿命
の下、ゴッホとゴーガンは次第に画風のことで激しい議論をするようになり、やがて、”聞くに堪えないほどの大喧嘩”をすること
になりました。

このことは、私たち現代人に対して、次のことを教えてくれるいい教訓となります。

   「自分と同じような能力・才能を持つ相手とは、時々、お茶を飲んで歓談することは楽しい。だが、同じ屋根の下で一緒に住
   むとなると話はべつである。お互い、才能があればあるほど、<自分の才能・見識を相手にわかってもらいたい>という
   欲求が生じ、相手にわかってもらおうとするそのプロセスにおいて、いずれは“聞くに堪えないほどの大議論・大喧嘩”にな
   る。」

言うなれば、これは、天才同士の人間関係において、“決して避けて通ることのできない宿命”であろうと感じます。世界史に
その名を刻んだ天才画家・ゴッホとゴーガンは、当初、どんなに微笑みながら話をしていても、あるきっかけで創作の作風に内在
する根本問題について触れてしまうと、突然、<仲のいい友人同士>から、<”この世で一番神経質な”人間同士>に変貌して
しまったのです。

思うに、相手が普通の人であれば、相手からどんなことを言われても適当に聞き流すでしょう。しかし、ゴッホとゴーガンにおいて
は、お互いが才能のある画家同士。お互い、相手の才能を見抜き、その相手に一目置いているとなると話は別です。

このような場合、相手に対して、「自分の才能を認めてもらいたい」という強い願望が芽生えるのは”自然の摂理”といえるもの。
そうした二人が、一度、創作における根本問題について話をし始めると、他の通常人と話をするように適当に力を抜いて話をする
ことはできなくなり、徹底的に議論してしまうのです。

思うに、たとえ自分に才能があっても、相手が芸術を極めようとする人でなければ、お互いの会話においては適当に力を抜いて
話をするのが普通でしょう。しかし、自ら、自分自身を「孤独のどん底」に突き落とし、そこで深遠なる思索・創作を試み、自分の
命をかけてエッセンスを描き出そうとしている画家同士が会話をすると、いつの間にか、(人生において滅多に使うことのない)
「伝家の宝刀」を抜いてしまうことがあります。これは、言うなれば、「途轍もない孤独と闘い、真のエッセンスと真正面から向き
合おうとする創作者の“宿命”」なのでしょう。

フィンセント・ファン・ゴッホ作、「ゴーガンの椅子」(左)
・・・1888年11月・・・

オランダの後期印象派画家・ゴッホは、その短い生涯を、
まるで”燦燦と輝く太陽の光”のように力強く生き抜いた
”当時の欧州において前代未聞”といえるほどの情熱的な
画家であった。絵の中の「二冊の小説とろうそく」は、想像
力においてゴーガンの芸術・美意識が”極めて観念的”であ
ることを表現している。






ゴッホの絵の中で描かれている瓶とグラス
(生井利幸自宅にて)

生井利幸は、オランダ王国フローニンヘンで研究生活を送る中、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館を訪れた。その時、目の
前にしたゴッホの数々の作品における「この世の何よりも真っ正直な作風と独自の美的表現」に圧倒され、天才創作者のパワー
に敬服するばかりであった。

物事は、見えるとおりのものではなく、その直接的な現象の背後の深遠なもの、神秘的なもの、
包括的なものを暗示しているのである。
フィンセント・ファン・ゴッホ・・・・・





茶道の精神に漂う、「静寂の空間における”心の贅沢”」

茶道は、客をもてなす際における茶の入れ方・飲み方における伝統的な作法を指し、「茶の湯」とも呼ばれています。言うまでもな
く、茶道は、室町時代に村田珠光(1423-1502)を祖として始まったものです。その後、時は安土桃山時代。幼少時代から茶の湯の
名人・竹野紹鴎(1502-1555)の下で侘茶を学んだ豪商・千利休(1522-1591)は、仏教の禅の精神を取り入れ、侘・寂の概念、
一期一会の心得を基盤として茶道を完成させました。千利休は、織田信長や豊臣秀吉の茶頭を務め、当時の日本の精神文化に
多大な影響を与えた人物として知られています。

茶道の心得である一期一会は、「一生にたった一度の出会い」という意味であり、この心得には、茶道において客を迎える際には、
「人生最高の一時として心を込めて客をもてなす」という精神がそこにあります。この言葉は、千利休の高弟・山上宗二(1544-
1590)が著した『山上宗二記』に記されている千利休の言葉・「一期に一度」に由来するものです。

「一期」は一生の意味であり、茶会は二度と繰り返されることのない「一生に一度の出会いである」という亭主と客の心の持ち方を
意味しています。現在の一期一会という言葉は、江戸時代後期において、井伊直弼が著書 『茶湯一会集』において「一期一会」と
表現したことに由来するものです。

茶会を開くとき、客を迎える主人は、床の間の掛け軸、花、茶碗など、客人をもてなすための道具を時間をかけて準備します。茶の
道を極めたいと願う者は、茶器の扱い方について、厳粛な心構えを持って、頗る丁寧に学ぶことが求められます。そして、茶会にお
いては、茶器や作法ばかりにとらわれるだけでなく、迎える一瞬一瞬において、「気高い心」「優雅な心」を持ち続けることが重要と
なります。

千利休の時代、即ち、安土桃山時代においては、どんなに高位の武士であっても、茶室に入るときには、外に、刀と身分を置き、
「厳粛、且つ、平穏な心の持ち方」で”質素の限りを尽くした茶室”に入ることが重んじられました。茶室においては、茶を嗜む者が
どんな身分なのかということは一切関係ありません。茶室は、質素極まりない侘・寂の静寂の空間であり、心と心で会話する優雅
な空間です。千利休は、この静寂の空間における人と人との交流こそが、真の意味での「気高さ」「優雅さ」を齎すものと考えてい
ました。





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