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、、、、、
、、、、、、生井利幸が心を込めて綴る、”真実のストーリー”





「哲学する」という行為に内在する本質
2013年8月4日(日)

「哲学とは何か」、この問題は、決して哲学者のみが考えるべき問題ではない。ここで本質論を述べるならば、そもそも哲学という学問は、哲学者自身のために存在しているのではなく、「“一般的”人間そのもの」のために存在している学問である。

哲学者が“哲学する所以”は、言うまでもなく「真理」を探究するためである。では、真理とは一体いかなるものを指すのであろうか。真理とは、いかなる時代・社会においても普遍的に存在し続ける「完全無欠な存在物」である。だが、今、我々人間がこの「真理」について哲学するとき、「本当にそのような“完全無欠な存在物”というものが存在するのであろうか」という“疑問”が生じる。この「完全無欠な存在物」について捉えるとき、以下のような論理(Logic A)が成り立つ。即ち、

--Logic A--
(1)「人間は『不完全な存在者(物)』である。」 → (2)「不完全な存在者(物)が『完全な存在者(物)』を知ることは“不可能”である。」 → (3)「“不可能”という概念は、本来いかなる場合においても“不可能”であるわけだから、不可能を可能として認識・理解することは“不可能”である。」

そもそも、「(巷で耳にする)不可能を可能にする“可能性”」とは、本来、始めからそこに可能性が内在している場合において該当する考え方である。言うまでもなく、「不可能」という概念に内在する本質は「『不可能』そのもの」であるわけだから、人間が一般社会で耳にする“不可能を可能にした”という「不可能の”category”(範疇)」には、当初から、そこに「不可能を可能にするための“(ある種の)可能性”」が内在していたと判断できる。

今ここで、この論理の流れで「真理」について捉えると、不完全な存在者である人間が「完全無欠な(永久不変な)存在者」を知ることは“不可能”であるという論理が成り立つ。そして、本来において、人間が、「完全無欠な存在としての『真理』」を認識・理解することは不可能な行為であると判断することができる。

人間は、「哲学は、“真理探究”を目的とする学問である」という大前提の下で思索するとき、前述の如く、そもそも人間が真理を認識・理解することは不可能であるから、「人間が哲学を研究する行為には何らの“具体的”利益もない」とも捉えることができる。だが、そう捉えることは“理性的存在者”としては賢明ではないと言わざるを得ない。

不完全な存在者である人間が「完全無欠、且つ、絶対的な真理」を知ることは不可能ではある。しかしその反面、人間は、哲学の研究を介して、少なくとも「真理を探究する“道のり”」を歩むことは可能となる。「真理を探究する“道のり”を歩む」、まさに、これこそが「哲学を研究する上で、『最も重要となる行為そのもの』」といえるのだ。

私は、長年、「“諸学問”(sciences)の基礎としての『哲学』」を研究してきた。しかし、未だに、「完全無欠な『知』、または、『真理』」への到達には至っていない。では、今後の研究においてはどうであろうか。

思うに、私自身、今後の研究において“真理それ自体”に到達することは不可能であろう。しかし、それでも私は、「真理を探究するための道のり」を歩んでいきたいと切望している。

私は、今後も、自分から率先して「真っ暗闇の“暗黒の世界”」に自分の身を置き、そこで“手探り状態”で前に進み、あるいは、後ろに戻り、もがき苦しみながら「『知』の光」、「『真理』の光」を“探求”する(探し求める)日々を送り続けていく。なぜならば、そうした行為そのものが、まさに、「哲学する」という行為であるからだ。

以上で述べた考え方から導き出せることは、哲学に“関係”する上で最も重要な点とは、「哲学の知識を得る」という行為にとどまることなく、「自分自身が哲学する」という行為であるということだ。







富山県氷見商工会議所での講演
2013年6月23日(日)

日本だけでなく、世界中には、実に様々な個性・持ち味を備えた人間が存在します。言語・文化・習慣等の異なる外国はもとより、たとえ日本国内であっても、毎日、様々な個性や考え方を備えた人々との出会いというものがあります。

他者とのコミュニケーションがどうして興味深いのかというと、それは、人はそれぞれ自分とは異なる存在者であるからでしょう。「人は皆、迎える一日一日において『自分とは違った24時間』を過ごしている」、・・・だからこそ、そうした「違った24時間」を過ごしている他者とコミュニケーションを図ることに意味があるのだと考えます。

先日の2013年6月18日(火)、富山県氷見市の氷見商工会議所にて講演を行ってきました。氷見市では、実に、個性溢れるたくさんの方々とコミュニケーションを図り、現地にて、新鮮なエネルギーを吸収することができました。

   ■講演の概要
     20136023speech.pdf







”明日はない”と自分に銘じて、今日を生きる
2013年5月19日(日)

私は毎晩、ベッドに入ると、必ず自分に問いかけることがあります。その問い掛けとは、「明日の朝も目を覚ますことができるであろうか?」ということです。

「明日を迎えることができる」ということは、天文学的見地から述べるならば、「奇跡」そのもの。人間の一生そのものが、この宇宙空間にやっとの思いで存在し続けている”小さなゴミ”、いや、小さなゴミどころか、”ほんの埃”ほどの存在でしかありません。

所謂、文明社会に生きる私たち人間は、通常、「自分たちの存在は、ほんの埃のような存在である」という捉え方を素直に認めようとはしません。その理由としては、(1)「”毒された文明社会”が、個々の人間に対して、”本質を捉えようとする意識”を希薄にしてしまっているということ」、そして、(2)「一人ひとりの人間において、この事実を受け入れ、ほんの埃のような存在者として、頗る前向きな姿勢で、”勇気を持って勇敢に、毎日の一秒一秒を刻んでいく”ということがなかなかできない」ということが挙げられます。

読者の皆さん、本日の今現在から、「明日はない」と自分に言い聞かせて、今日の一秒一秒を刻んでみてください。明日があると考える人は、今日できることを明日に引き延ばそうとします。しかし、実際、今日できることを明日にやろうとする人は、明日には、また再び、「明日にやればいい」と考えます。

「自分は、”埃”ほどの些細な存在である」、そして、「明日という日はない」と自分に銘じることで、今日も”明日”も変わります。人間の人生というものは、結局のところ、このような思考方法ができるかどうかで大きく変わります。


追記:
早起きが、大変気持ちいい季節となりました。朝は、太陽の光を浴びながら、「人間存在の根本の根本」を哲学する日々を送っています。









2012年度教養講座、「哲学」(総論・各論)の計14回の講義が終了しました。
2013年4月7日(日)

昨日の2013年4月6日(土)、生井利幸事務所社会貢献事業、2012年度・教養講座 「哲学」(総論・各論)のすべての講義、及び、関係活動が終了しました。

通年講義として、銀座書斎にて昨年以来続けてきた計14回の哲学の講義、及び、諸々の関係の活動は、昨日ですべて終了。今まさに、感無量という気持ちでいっぱいです。

計14回の講義を終了するにあたり、教養講座を受講してきた受講生の皆さんから記念樹(パキラ・アクアチカ)をいただきました。現在、記念樹は、銀座書斎の精神のシンボルである「アテナイの学堂」(ラファエロ・サンティ作)の面前に飾る予定で準備を進めています。

受講生の皆さんは、「真理探究」という問題意識の下、極めて厳格な学びの姿勢を堅持し、14回の講義にて、一つひとつ丁寧に学んできました。









教養講座「哲学」(総論・各論)が第13回目を迎えました。
2013年2月11日(月)

去る2013年2月3日(日)、銀座書斎にて、2012年度教養講座「哲学」(総論・各論)が第13回目を迎えました。昨年から”アカデミック・イヤー”として勉強を続けてきた受講生の皆さんは、この日の講義も、実に熱心に学んでいました。

以下において、受講生が作成した講義ノートをご紹介します(PDF)。

   20130203philosophyta.pdf







the quintessence of dignity
2013年1月19日(土)

"dignity"、即ち、「尊厳」についての見識を高めるには、形而上学(metaphysics)を研究することに加え、実際の現実社会において多くの辛苦・困難を重ねていくことが重要であると考えます。

人間は、自分自身の「生」における実体験を通して、「理論」(theory)と「実際」(practice)の融合を具現させたそのとき、「尊厳の真髄」について理解を深めることができるのだと私は捉えます。

本日は、"the quintessence of dignity"(尊厳の本質)について英語で講義を行います。

   ■英語音声講義
     the quintessence of dignity







人類史上最高峰の古典 『聖書』について
2013年1月11日(金)

昨日の銀座書斎日記では、英語で、「『聖書の精神』と『人間の本性』」について講義を行いました。本日は、昨日の続編として、さらに、英語で講義を進めていきます。

本日の英語講義のテーマは、「人類史上最高峰の古典としての聖書」です。一般に、聖書は、「内容についての理解が難しい」、「どのページから、どのように読んでいけばよいのかわからない」と捉えてしまうことが多いでしょう。

無論、最初から最後まで、たっぷりと時間をかけて丁寧に読み進めていくことは大切です。しかし、この講義では、そうした通常の固定観念から離れて、<無理をすることなく、楽しみながら読んでいくためのヒント>を講じることに的を絞りました。

人類史の歴史においてまさに「最高峰の古典である『聖書』」、今回の講義では、わかりやすい切り口で聖書について講じています。

   ■英語音声講義
     人類史上最高峰の古典 『聖書』について







「聖書の精神」と「人間の本性」
2013年1月10日(木)

西洋文明社会では、実に、”記憶の及ばない時代”(from tme immemorial)、即ち、太古から、「人間の本性」(nature of human being)、そして、人間の生きるべき道について、実に「厳格、且つ、深遠なる探究・考察」が行われてきました。

このたびは、「西洋史という枠組みで捉える『人間の本性』」という観点から、英語で、「『聖書の精神』と『人間の本性』」について講義したいと思います。

   ■英語音声講義
     「聖書の精神」と「人間の本性」







さらに自分を極限まで追い込んでいくための2013年
2013年1月3日(木)

かつて、古代ギリシアにおいて、「学問をするにはスコレーが(暇)が必要である」という考え方がありました。これは、当時のギリシアにおいて、所謂、「学問をするにはそれ相応の自由な時間が必要である」という意味として捉えられたものです。例えば、アリストテレスは、著書『形而上学』にて、「人々が閑暇(スコレー)を持った土地にて、はじめて快楽のためでも必需のためでもない学問が発見されたのだ」という旨を述べています(スコレーは、中世には”スコラ”と呼ばれ、後に、”スクール”と呼ばれるようになった語)。

現代社会においては、「暇は人間を堕落させるもの」という捉え方が一般的です。私自身も、「暇は、自分を堕落させる」と考え、毎日、一分一秒でさえ、時間を無駄にすることなく、超過密スケジュールをこなしています。

私は、人間の人生には、大きく分けて3つの財産があると考えています。財産と言っても、それは不動産や現金を指すわけではありません。私にとっての3つの財産とは、(1)「命」、(2)「健康」、(3)「時間」を指します。

概して、「命」と「健康」は、その概念を混同されがちですが、世の中には、命があっても健康がない人が大勢います。わかりやすい具体例で述べるならば、病院には入院患者がたくさんいますが、それぞれの患者には命がありますが、体の状態が健康というわけではありません。

つまり、人間が、自由意思で、健康な状態で自分の「生」を謳歌するには、「命」と「健康」を備えているという大前提の下、生を謳歌、あるいは、全うするための十分な「時間」が必要であるという捉え方ができるわけです。私自身、今現在において確かに生きていますが、では、”優良な健康”を持ち得ているかと考えると、実際はそうではありません。私は、残念ながら完全なる健康体ではありませんが、それでも、とにかく、一個の人間として「生きる」を続けています。

巷では、人と会う約束をして、その当日、例えば、約束の時間まで一時間程度の時間が余ると、「カフェでも行って時間を潰そう!」という言葉を発する人がいます。人間の生には限りがあるわけですが、「限りある生の時間を潰す」という時間の捉え方に洗練されたセンスを感じることはできません。時間は、本来、潰すためにあるのではなく、(理性的存在者として)上手に使うためにあるものです。

このような観点から、私にとっての2013年は、既に決まっている過密スケジュールから「さらに新しい時間を生み出す一年」にしたいと考えています。「時間は、探すものではなく、作り出すもの」、・・・今年も、引き続き、このような時間の捉え方の下で、毎日、一秒一秒を刻んでいきます。



               2012年12月31日は、ルートヴィヒ・ファン・べートーヴェンのすべての交響曲
               の演奏会に出席。最高峰の演奏を鑑賞し、新鮮なエネルギーを吸収すること
               ができました。



2013年を迎え、自宅にて、美味しいシャンパンを味わいながら
                    新年会を行いました。




銀座書斎で迎えるクリスマス・イブ
2012年12月24日(月)

"Merry Christmas to all of readers who enjoy coming here for the sake of upgrading culture."

クリスマス、おめでとうございます。2012年12月も、あと残り僅かとなりました。私自身、相変わらず、毎日、まさに分刻みの超過密スケジュールをこなしていますが、そうした中、「周囲の人々における温かい心遣い」を肌で感じるときがあります。銀座書斎においても、この書斎に訪問する方々、また、講義やレッスン等で学ぶ受講生の皆さんにおいても「温かい心の交流」が図られています。

本日は、クリスマス・イブです。銀座は、まさにクリスマス一色となっています。外は寒いですが、銀座書斎の中は、クリスマスのデコレーションと暖房で、一秒一秒、実に暖かいムードで時が刻まれています。

12月は、毎週、ベートーヴェンの交響曲第九番のコンサートに行っています。コンサートにおいては、毎回、指揮者、及び、交響楽団が違いますので、同じ楽曲でも、それぞれ、「その場限りの唯一無二の音楽解釈」に触れることができます。私は、クラッシック・コンサートが終わった直後は、毎回、「沈黙の状態」が長く続きます。その理由は、私には、コンサートの直後、「音楽の余韻の中で、『腹』で哲学する」という習慣があるためです。

本日は、第10回教養講座、「哲学」(総論・各論」受講後、受講生が整理した講義用ノートをご紹介します。今回のノートも、大変良く整理されたノートです。読者の皆さんにおいては、是非、自分自身の思索のヒントにしてみてください。

   20121224ta.pdf







教養講座「哲学」の受講生の皆さんと開催したクリスマス・パーティー
2012年12月6日(木)

2012年12月2日(日)、哲学の講義が終了後、受講生の皆さんとクリスマス・パーティーを開催しました。クリスマス・パーティーは、三部構成とし、第一部は「美味しいものを食べる時間」、第二部は「ベートーヴェン交響曲第9番の観賞会」、そして、第三部は、「クリスマス・ケーキを食べる時間」としました。









また、この日は、銀座三丁目東町会主催の餅つき大会にも少し参加しました。町内会の皆さんは、普段は自分の仕事で忙しく働かれていますが、時間を捻出し、「地域社会の幸福」のために様々な活動を行っています。生井利幸事務所・銀座書斎も、地域社会の貢献の一助になるべく様々な社会貢献活動を行っていますが、この日は、町内会の皆さんの熱情に触れ、私自身、色々と勉強になりました。









より良く生きる上で求められる「根本の根本の姿勢」
2012年11月15日(木)

歓喜に満ち溢れた人が醸し出す雰囲気というものは、実に独特のものがあると感じます。先日、2012年11月10日(日)、サントリーホールにて、ムソルグスキー作曲(ストコフスキー編曲)の組曲「展覧会の絵」を鑑賞しました。このコンサートは、日本フィルハーモニー交響楽団演奏、山田和樹氏指揮のコンサートでしたが、この日、世界的指揮者の小林研一朗先生もコンサート会場に来られていました。サントリーホールでのコンサートが終わると、私は、通常、隣のANAインターコンチネンタルホテル東京で休憩するのですが、そこで、小林研一朗先生と偶然にお目にかかり、ご挨拶をさせていただきました。

小林先生は、大変気さくなお人柄で、いつも、「隣人」(現実に、自分の目の前にいる人)を愛する人です。「隣人を愛する」、これは、一見すると簡単なようにも感じられますが、実際、このことは、できるようで、なかなかできないことです。

「隣人を愛する」、それは、万人を愛することであり、人間が人間らしく生きる上で最も基盤となる生きる姿勢です。自分の「生」に対して感謝の念を持って毎日を生きる人が醸し出す雰囲気というものは、実に、新鮮で、喜びに満ち溢れています。「迎える一日一日において『喜びのある生』を謳歌する」、これは、私自身も、毎日実践していきたい生き方の一つでもあります。

まずは、「自分の『生』に対して心から感謝する」、私たち人間においては、今現在、至福の時を迎えていても、あるいは、大きな困難に直面していようとも、このことが常に、「より良く生きる上で求められる『根本の根本の姿勢』」になるのだと私は考えます。







第7回目を迎えた教養講座・「哲学」(総論・各論)
2012年10月18日(木)

"Time flies lile an arrow."(光陰矢の如し)、早いもので、銀座書斎で開講している2012年度の哲学(総論・各論)の講義が第7回目を迎えました。先日も、銀座書斎は、「知」を探究する受講生でもの凄い熱気が漂い、まさに、「理性で構築された空気感」(the air saturated with reason given)でいっぱいになりました。

このたびも、受講生の皆さんが臨場感あふれる素晴らしいノートを作成しましたので、以下にて、お二人のノートをご紹介します。

   20121018yb.pdf

   20121018ta.pdf







「”超”・感覚」としての頑丈な俎板
2012年10月9日(火)

2012年も早いもので残り3ヶ月を切り、私にとっての時間の感覚では、2012年の最終日である12月31日までカウントダウンが始まっています。時間の経過、即ち、「毎日、一体どのように一秒一秒を刻んでいるのか」という意識は、私にとっては何よりも重要な意識であると明言できます。これは、意識というよりは、いわば一個人としての「”超”感覚」。時間についての「”超”・感覚」、・・・この感覚は、私自身の精神基盤を構成する「俎板」としての役割を演じてくれています。

形而上学に生きる私の精神の中には、「理性・感性で構築された頑丈な基盤(礎)」が存在しています。これを料理に例えるならば、野菜や果物を切るための「頑丈な俎板」。美味しい料理を作るには、まず第一に、食材を切るための俎板を備えていることが基本的大前提となりますが、私の精神の中にも、幼少時以来、自身の中に頑丈な俎板が存在し続けています。理性的存在者、そして、感性的存在者として生きる上で大前提となる基盤(礎)は、言葉を換えるならば、それは「個としての自分自身の中にある『俎板』」なのです。

昨日、私は、”この俎板”をしっかりと抱えながら、芸術の面前に身を置きました。昨日は、西本智実先生指揮、日本フィルハーモニー交響楽団演奏で、モーツァルト: オペラ≪後宮からの逃走≫序曲、ラヴェル: ピアノ協奏曲、ベートーヴェン: 交響曲第7番を鑑賞(大田区民ホール・アプリコ大ホール)。コンサートでは、最初から最後まで西本先生の研ぎ澄まされた「”超”・感覚」を満喫することができ、私自身、「最高の一秒一秒」を過ごすことができました。

作家としての私の問題意識においては、自分自身の日常生活においてこの「最高の一秒一秒」を作り出すことです。では一体、毎日、私はどのように「最高の一秒一秒」を作り出しているのか、・・・この様相については、講演はもとより、銀座書斎において「理性で構築された空気」(the air saturated with reason)を満喫している人であれば明確に理解できるに違いありません。

私自身、「文章を書く」という行為を行うそのプロセスにおいて最も大切にしていることは、常に、「最高の一秒一秒」を作り出すということです。真摯な姿勢で、「一秒、そして、また一秒」という如く極めて厳格に時間を刻むことをせずして「ものを生み出す」ことはできないのです。







熱情に満ち溢れた第6回教養講座「哲学」(総論・各論)
2012年9月20日(木)

生井利幸事務所・2012年度社会貢献事業として開講している教養講座「哲学」(総論・各論)も、早いもので既に第6回目を迎えました。私自身、本業である執筆活動を中心に、講演会、企業等への顧問業務、銀座書斎でのレッスン、その他、諸々の活動を行う中、毎日、分刻みのスケジュールをこなしていますが、一方、教養講座の受講生の皆さんも、毎日多忙な日々を過ごす中、上手に時間を捻出し、銀座書斎にて実に精力的に「哲学」を学んでいます。

本日、受講生のお一人から、講義のノートをPDFでご送付いただきました。臨場感のある素晴らしいノートですので、是非、読者の皆さんにご紹介したいと思います。

 ■2012年9月2日(日)に行った講義のノート(受講生作成)
   20120920ta1.pdf

 ■2012年9月16日(日)に行った講義のノート(受講生作成)
   20120920ta2.pdf







教養講座「哲学」(総論・各論)の受講生の皆さんとの食事会
2012年9月7日(金)

先日、教養講座「哲学」(総論・各論)の講義の後、受講生の皆さんから食事会のご招待を受けました。講義は午前中に終え、その後、銀座内にある落ち着いた和室でのお食事。和の雰囲気で、美味しい料理と楽しい会話を満喫することができました。

講義においては、講師も受講生も、まさに真剣そのものです。講義自体は、常に極めて厳格な雰囲気で行われますが、先日の食事会は、笑いの絶えないリラックスしたムードでたくさんの会話を楽しみました。



また、本日も、PDFで、先日行った講義について受講生が作成したノートをご紹介します。

   20120907yb.pdf







2012年の夏は、外は暑くても”気分は爽やか”
2012年8月30日(木)

早いもので、2012年の夏も残り僅かとなり、銀座界隈では、人々の関心が秋に向けられているように感じます。私は、毎日、朝の4:30に起床し、起床後、外の新鮮な空気を吸い、美味しい野菜たっぷりの朝食をとり、朝一番の執筆をします。その後、歩いて銀座書斎に向かい、6:30には銀座書斎に到着します。

自宅から書斎までの間、私は何人かの人々と少々の会話を楽しみます。例えば、いつも同じ場所に座って朝の新鮮な空気を満喫しているお婆ちゃん。年齢は80代と思われますが、大変元気なお婆ちゃんで、毎朝、顔を合わせるたびに、心温まる雰囲気で声をかけてくれます。

また、銀座1丁目付近で顔を合わせる3人組のウォーキング・グループ。このグループの方々の年齢は70代と思われます(男性2人、女性1人)。毎朝、同じ時間に同じ場所ですれ違いますが、いつも素敵な笑顔で挨拶をしてくれます。時には、挨拶よりも先に手を振ってくれることもあり、私自身、早朝から本当に心豊かな気持ちになります。

本日は、再度、2012年8月10日(金)に行った第四回、教養講座「哲学」(総論・各論)をまとめた受講生のノートをご紹介します。ノートは実に臨場感のある素晴らしい内容であり、時間をかけてノートを熟読すると、講義の様子が”頗る鮮明な絵”として心の中でイメージすることができます。

 ■第四回、教養講座「哲学」(総論・各論)をまとめた受講生のノート(PDF)
   20120830yb.pdf




     このシーズンは、自宅に来客があると、バルコニーで外の新鮮な空気を吸いながら、美味しい食事を楽しみます。




                  夜は、静寂の雰囲気の中、緑と絵を面前として深い思索をします。







第四回、教養講座「哲学」(総論・各論)のご報告
2012年8月16日(木)

2012年8月26日(日)、サントリーホールにて、小林研一郎先生指揮、日本フィルハーモニー交響楽団演奏、「真夏に第九を歌う会」合唱団の合唱で、ベートーヴェン作曲: 交響曲第9番 ニ短調 op.125 「合唱付き」を鑑賞してきました。このコンサートは、「真夏に第九を歌う会」合唱団を率いる池田理代子さんの至上の熱情を源泉として多くの方々の支援・協力によって行われたコンサート。それ故に、このたびの交響曲第9番は、私にとっても、非常に感慨深い鑑賞経験となりました。私自身、小林先生指揮による演奏会は相当数訪れていますが、今回の交響曲第9番は、いつもよりも増して第1楽章からミケランジェロの「最後の審判」の絵がステージ全体に浮かび上がり、第1楽章から第2楽章、そして、第3楽章、第4楽章へとどのように推移していくのか、心をときめかせながら鑑賞しました。

また、先週の金曜日、8月10日(金)には、銀座書斎にて、第四回、教養講座「哲学」(総論・各論)の講義がありました。今回の講義のおいても、すべての受講生が、実に全身全霊で講義を受講。今回も、受講生のお一人が作成した素晴らしいノートをご紹介します(PDF)。

   20120816ta.pdf







第三回、教養講座「哲学」(総論・各論)のご報告
2012年7月29日(日)

2012年7月27日(金)、銀座書斎にて第三回目の「哲学」(総論・各論)の講義が行われました。このたびも、受講生の勉強意欲は実に旺盛。2012年の現代社会においてわたくし生井利幸が開講している銀座書斎での哲学講座は、言うなれば、古代ギリシアにおいてプラトンがアテネの西郊外に開設したアカデメイアを再現した学問所。幸い、この学問所で学ぶすべての受講生は、実に熱情溢れる勉強意欲をわたくしに見せてくれます。

このたびも、勉強熱心な受講生が、早速、第三回目の講義の内容をノートに整理しました。ご本人の話によると、「講義を受講後、その日のうちに徹夜で講義内容をノートに整理した」ということです。以下において同ノートをご紹介します(PDF)。

   20120727yb.pdf

また、このたび、教養講座を受講するすべての受講生の皆さんから真心の込もった素敵なプレゼントを頂戴しました。









第二回、教養講座「哲学」(総論・各論)のご報告
2012年7月22日(日)

先日、銀座書斎にて、生井利幸事務所主催で2012年度社会貢献事業として開催されている教養講座、「哲学」(総論・各論)の講義が行われました。幸い、受講生の皆さんにおける勉強に対する熱意はどんどんと増すばかりという状況。講師であるわたくし自身、受講生の計り知れない熱情に心を打たれ、このたびも、熱い想いで、「深遠なる学問の世界」へとご案内致しました。

本日、受講生のお一人から、第二回目の講義の内容をまとめたノートをPDFでいただきました。本日は、こちらのノートをご紹介します(PDF)。








"elegancy"に内在する真髄 (英語音声)
2012年7月21日(土)

本日は、わたくしが銀座書斎において英語で講義する「"elegancy"に内在する真髄」についてご紹介したいと思います。講義はすべて英語で行われていますが、以下の如き「心の準備」をすることにより、日本人でも、無理なく、ごく自然な状態で講義内容を理解することができます。

 1 自分に存する一切の私利私欲・損得勘定を取り払う

 2 自分に存する世俗的な邪念を取り払う

 3 心の中を「無の状態」にする

 4 自分自身について、日本人である前に、「地球に存する一個の存在者」であるという客観的事実を認識・理解する

 5 英語を”外国語”と捉えず、英語は、「”地球に存する一個の存在者”として必要とされる国際共通語」であるという客観的
   事実を認識・理解する


 ■講義 (英語音声)

   以下をクリックすると、英語音声で、「"elegancy"に内在する真髄」についての講義を聴くことができます。

      Lecture 1

      Lecture 2







真心が込められた手書きの文章
2012年7月20日(金)

2012年の日本社会。今や、猫も杓子もインターネットとメールに支配され、日常生活において日本人が昔から行ってきた「手書きで自分の心を伝える」という行為が著しく減少傾向にあるように感じられます。そのような日々を送る中、本日、銀座書斎で学ぶ受講生から、以下のような「真心いっぱいのお見舞い」を頂戴しました。

率直に述べるならば、「手書きのお手紙」というものは何よりも嬉しいプレゼントです。手書きの文章には、それを書くご本人の真心が投入されています。わたくし自身、自分の人生における重要なテーマの一つは「文明の利器に支配されることなく心豊かな日々を送る」ということです。そのような理由から、本日のように、わたくし自身、一つひとつ丁寧に真心を込めて教授している受講生からこのような素敵な文章をいただくと、まさに、「至上の喜び」を感じます。









2009年5月〜2012年6月までの銀座書斎日記は、以下をクリックするとお読みいただけます。



(2009年5月〜2012年6月)








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