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オランダのライデン大学で研究の後、日本の近代哲学・思想の土台づくりに貢献した西周先生

2013-09-29

言うまでもなく、「深く哲学する」という行為は、個々の人間に対して「唯一無二の存在者」として生きる勇気を与えてくれるものだ。では、この日本に、一体いつ頃から「哲学」(ギリシア語:philosophia)という概念が生まれたのであろうか(持ち込まれたのであろうか)。

歴史を振り返ってみると、江戸時代においては、日本語において「哲学」という言葉はなかった。日本で「哲学」という言葉が使われ始めたのは明治時代初期であり、当時、西洋思想・哲学における諸概念を日本に紹介した人物は西周先生(1829~97)である。

西先生は、「哲学」はもとより、「主観」「客観」「観念」「概念」「演繹」「帰納」「理性」「悟性」など、西洋哲学で基本となる諸概念を日本語に訳すことに務めた明治初期の啓蒙思想家・哲学者である。西先生は、青少年期には朱子学を学んだが、後に洋学の必要性に目覚め、1863年(文久3年)~1865年(慶応1年)年まで、オランダ最古の大学であるライデン大学に学んだ。ライデン大学(Universiteit Leiden)は、創立1575年のオランダ最古の大学。ライデン(Leiden、オランダ語の発音はレイデン)とは同国の西部に位置する都市を指し、ライン川の分流に臨む運河の街、また、ヨーロッパ有数の大学の街としても知られている。ライデンには、今でもルネサンス時代の建物が数多く残っており、同大学は、自然法の父であり、また、国際法の祖としても名を馳せたグロティウス(Hugo Grotius, 1583-1645)などの有名な学者を擁したことで広く知られている。

西先生は、オランダから日本に帰国後、徳川幕府の開成所の教授に就任。幕府が崩壊した後は、一時、沼津兵学校の教授として教壇に立ち、1870年(明治3年)、明治政府の要請により兵務省に入省。西先生は、1873年に明六社の創立に参画。その後、東京学士会院会長、東京師範学校校長、元老院議員、貴族院議員を歴任した。

西先生が影響を受けた哲学者は、A・コント、ジョン・スチュアート・ミル、W・ハミルトンなどである。主な著書は、『百学連環』、『百一新作』、『知説』、『人世三宝説』など。西先生は、百学連環(統一科学)を樹立することを「ヒロソヒー」と呼び、日本語ではこれを「哲学」と訳し、日本で初めて「哲学」という言葉を用いた学者である。

わたくし生井利幸は、かつて、オランダのフローニンヘン大学(Rijksuniversiteit Groningen)の法学部に研究室を構え、「医事法」(medical law)を研究していた。フローニンヘン大学は1614年創立で、オランダで二番目に古い大学である。フローニンヘンも、運河の街、大学の街として知られており、運河や自然に囲まれながら深い思索ができ、美術館、画廊、ブラウン・カフェなども点在しており、まさに「学問・文化・芸術の匂い」を満喫できる街である。

私自身、フローニンヘンに居を構えていた当時は、毎日、西先生のことを考えていた。言うなれば、西先生は、「私の心の中における『恋人』」のような存在である。

西先生は、私にとっては、”幼少期からの憧れの先生”であり、私の人生のほとんどの期間にわたって思い慕っていた西先生が研究生活を送ったオランダで「西先生と同じ空気を吸う日々を送る」という行為には、実のところ、私自身、自分の人生をかけた大きな意味が存在していた。「オランダで哲学する」、即ち、「オランダで哲学書を書く」という行為は、私自身、1)「西先生の精神を引き継ぐ」、2)「自分の『使命』(mission)を全うする」という意味でもあったのだ(「使命」の本当の意味は、自ら「自分の命」をはって実行に移さない限り、”確かな実感”として認識・理解できるものではないと私は考える)。

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