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読み物カテゴリ: ‘哲学詩’

哲学詩(最新作)

2024-05-22

練習と本番の境界線

本物はすべて、毎日練習する
この真実に、例外はない

練習は、単なる練習ではない
練習は、必要不可欠な訓練であり、
必要不可欠な経験である

偽物は、
練習を練習と捉え、
本番を本番と捉える

その反面、本物においては、
練習と本番の間に境界線はない

本物にとっては、
すべての一秒一秒が本番

本物にとっては、
すべての練習が本番

本物において、練習と本番の間に境界線はない
本物は、人生のすべての一秒一秒において、
自分を律し、自分を戒める

自分を律し続け、
自分を戒め続ける

これ以外、
”究極”に到達する方法はない

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生きることは生むことである

生きること、
それは、生むことである

どのような人でも、
生きていれば、何かを生む

”生んている”という事実を認識できる人
”生んている”という事実を認識できない人

人は毎日、呼吸をし、行動する限り、
何かを生んでいる

必要なものを生むか、
または、不必要なものを生むか

そのすべては、
常に、”自分次第”

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汗をかく人ほど前に進める

理想的な生き方を実現している人は、
自分の理想について、
それを、理想と捉えることはない

理想的な生き方を現実にしている人は、
何らの躊躇もなく、
その理想通りに生きている人

理想を理想と捉える人、
このような人にとっての理想は、
自分の体を使い終わる日が到来するまで、
自分の理想について、
”単なる理想”と捉え続ける人

自分の理想を現実にする人は、
最初から、理想を理想と捉えることはない

自分の理想を現実にする人は、
その理想の実現に向けて、
丹念に計画し、
毎日、その実現に向けて汗を流す人

毎日、毎秒、
理想の実現に向けて、
たっぷりと汗をかこう

今、想像してみよう
”汗をかく人ほど前に進める”、ということを

これは常に、
世の常

これは常に、
自然の摂理

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今日のこの日、
嘘をついて真実から逃避

逃避で得た心安心は、
”一安心”という安心

逃避で得た一安心は、
無意味な一過性の安心

後に、時を刻み、
”嘘が齎す事態の恐ろしさ”に気づく自分がここにある

嘘は嘘
嘘は、真実ではない

嘘をつけば、
偽りの人生を歩むことになる

だから、嘘は、
最初からつかないほうがよい

人は大抵、
多くの嘘をつき、
自分の人生の中に”多くの偽り”をつくった後、
このことを悟る

価値ある生き方をしたいならば、
真実に生きてみよう

だから、嘘は、
最初からつかないほうがよい

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空想と現実は紙一重

誰でも、
夢を抱く

夢を現実にするか、
それとも、夢を夢で終わらせるか
それは”自分次第”

夢には二つある
一つは、”単なる空想”
そして、もう一つは、”実現可能な夢”

単なる空想は、”妄想”
実行可能な夢は、”現実となり得る夢”

夢を抱こう
夢を抱いたら、
しっかりと実行可能な計画を練り、
計画通りに行動してみよう

行動すれば、夢に近づく
行動すれば、夢が現実になる

行動しても夢が現実にならないのは、
行動が足りないからだ

足りなければ、
もっとやってみよう

人生、結局のところ、
”やるか”・”やらないか”で決まるのだから

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容姿と風采

容姿は形
風采は空気感

容姿は形
その形は、生まれつき

風采は空気感
その空気感は、本人の人生経験が醸し出すもの

生まれつきの形は、
単なる形

人生経験が醸し出す空気感は、
どのように生きてきたかの証

風采には、
一個の人間の内に秘めた真実が見える

風采を洗練させる方法は、
たった一つ

その一つとは、
毎日、洗練された一秒一秒を刻むことだ

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Live well according to agape

A discerning eye is necessary for you to live well

It is an intrinsic question,
Whether you live well or not through using a discerning eye

You have two alternatives regarding “how to live”

To live well,
Or just to ive

To live well means “to live reasonably as a human being”
Just to live means “to live naturally as an animal”

Agape is the image of true love
Human beings are holily privileged to live well according to agape

Discernment is indispensable for you to live well
Because you must discern good from evil to live well

Live well according to agape
And live well to actualize philanthropy

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見ずに見る力

”見る”という経験
概して、人は、事を目で見る

しかし、人は、
本当に事を見ているのだろうか

”事”を見る
”事の真実”を見る

これらを比較すると、
霄壤(しょうじょう)の差を見る

見識は、
事の真実を見通す力

事の真実
目が見え、事が目に入っても、
事の真実を見通すとは限らない

見識者は、
見ずに見る

見ずに見る力
この力を磨き抜く道は一生涯続くものだ

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所有しない美意識

所有する
所有しない

所有する美意識、
理性的存在者が、この美意識に、
特別な境地を感じることはない

所有しない美意識、
この美意識は、過去において、
相当なる所有をした経験がなければ到達できない美意識
この美意識は、理性性の範疇に存在する美意識

”所有しない”とは、
”所有する”ということ

世の中には、
所有していても、
その所有に内在する本質について無感覚な人も存在する

所有する
所有しない

これら両者について深く哲学すると、
理性的存在者として捉えるべき重要なことを悟る

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Philosophize the meaning of tabula rasa

Do you continue facing new experience through having a pre-conceived notion time after time?

If you have new experience in blankness,
You are meaningfully affected and newly polished by it

Conversely,
If you have new experience through having a pre-conceived notion,
It is difficult to grasp it as it is

Tabula rasa is a state in your heart which engenders a way to be newly changed
Also it is a way to be dramatically sophisticated

Sophistication is the one refined through keeping fresh mental condition in your heart at all times

The wise comprehend this matter
The unwise unfortunately don’t comprehend this matter

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”不便性”は、利便性を超越する

不便な毎日、
実のところ、これほど価値ある毎日はない

不便な経験、
これを繰り返す毎日を過ごすと、
人は、毎日毎秒、頭を使い続ける

昔から、
どこにでも不器用な人がいた

そして、今も、
不器用な人がいる

昔も今も、
器用な人が、不器用な人に言う
”もっと頭を使いなさい”、と

頭を使う
人が人である以上、
これほど意味のある経験はない

では、
毎日”頭を使うための最善の方法”とは何か

その方法は、
言うまでもなく、
不便な毎日を過ごすこと

不便は、
人間を鍛える

不便は、
人間の思考力を磨く

”不便性”は、まさに、
利便性を超越する

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友人は、少なければ少ないほどよい

100人の人と出会うより、
1人の人と、
しっかりと理解し合うほうが意味がある

100人の人と喋るより、
1人の人と、
深く語り合うほうが意味がある

考えてみよう
”友人は、少なければ少ないほどよい”ということを

人は大抵、
このことを悟るまでに、
星の数ほどの無駄な時間を過ごす

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Obtuseness ruins life

Are you perspicacious enough to think about the following matter?

There is nothing good to continue living through being obtuse
Because obtuseness causes so many negative things in you

If you are obtuse,
You surely have difficulty to go forth

It is not an elegant way to live,
If you do not fear anything

Basically speaking,
To fear something is useful

As the proverb runs, “Fools rush in where angels fear to tread.”
Fools do not fear anything because of their obtuseness and ignorance

Wake up right now
Know the importance to fear

To fear engenders a way to act reasonably

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無教養の恐ろしさ

あなたには、
ある程度の教養がある人なのか

それとも、
何らの教養もない人なのか

”無教養”、
思うに、これほど恐ろしいものはない

無教養な人が、
無教養が齎す非常識について知るには、
”自分よりもさらに無教養な人”を見るとよい

今、想像してみよう

無教養な人が、
自分よりももっと無教養な人が齎す”非常識”について観察し、
その非常識が生む”暴力”の恐ろしさを知る

このとき、
無教養な人は初めて、
自己の命で、
教養を養うことの重要性について悟る

本質を述べるならば、
教養は、
教養を養うために存在するわけではない

教養は、
たとえそれがあっても、
その使い方を知らなければ何の意味もない

教養は、
人が、人として、
”正しいこと”を行うために存在するのだ

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The pith of a matter

It is absolutely meaningful for me to be isolated

To be isolated is cerebrally graceful
It is a truly way for writing genuinely

Keeping silence is a state required for thinkers
Such state is the very grace of grace

No one is satisfied with adorned tinsel which is just superficial

To snuff the fresh air without speaking anything is the best way to philosophize the essential matters
It is the quintessence of virtue

What I need is not logic
What I need is the pith of a matter

It is a waste of time to fabricate a story
I deeply feel it is fruitful to experience philosophizing the pith of a matter

The grace in philosophization derives from it transcendentally

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A ring deriving from somewhere in the Andromeda Galaxy

It is an intrinsical question to think of the two,
To live locally,
And to live universally

If you completely live locally,
You never understand anything about universality

Tranquilize yourself
And listen to a ring deriving from somewhere far away in the universe

Tranquilize yourself
Listen to a ring from somewhere in the Andromeda Galaxy

To reach the Andromeda Galaxy from our home, the Milky Way,
It takes approximately 2.5 million light-years

No one reaches there from here
But it is possible to listen to a ring from there in your heart

Feel where you are now
And feel what you need to do now

No one wishes to waste his time in vain

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目に見えない富

富は、
二種ある

一つは、
目に見える富

そして、もう一つは、
目に見えない富

目に見える富は、
想定していなかった緊急事態が起こると、
一瞬にして”無”となる

この悲惨さの真実は、
歴史を振り返れば一目瞭然でわかること

目に見えない富は、
緊急事態が起こっても、
決して、無くなることはない

知恵のない者は、
目に見える富に執着する

知恵ある者は、
目に見える富に価値を置くことはない

頭を鍛えよう
頭脳を養おう
そして、知性を養おう

知性を養えば、
やがて、理性的存在者への道のりが見えてくる

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自分は、誰の心の中に住み続けるのか

自分の心の中に、
”他者”がいる

他者の心の中に、
”自分”がいる

これら二つは、
それぞれ異なる様相

他者と頑丈な絆をつくれる人は、
この二つの違いについてしっかりと理解している人

一体誰が、
自分の心の中に住み続けるのだろうか

自分は、
一体誰の心の中に住み続けるのだろうか

自分が相手を覚えているのに、
その相手は、自分を忘れている

この有様ほど、
空しい有様はない

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眠らない人

眠る人
眠らない人

眠る人は、
眠るために眠る

眠らない人は、
必要なことを行うために眠らない

少しだけ考えてみよう

健康のために、
寝たほうが良いだろう

健康のために、
眠ったほうが良いだろう

少しだけ想像してみよう

世の中には、
眠っているときも闘い続けている人がいる、ということを

少しだけ考えてみよう

眠っても良いだろう
本物は、
眠っていても、
闘い続けているから

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人間の鈍感が齎す恐怖

凡人の常は、
常に、自分の身を安全な場所に隠し、
自分の真実を見せることなく、
他人の真実を見続ける

賢者の常は、
世の中に、正々堂々と自分の真実を曝け出し、
人々に、真理と本質を伝え続け、
正しい道に導き続ける

残念な真実だが、
凡人は、通常、
これらの有様の相違について、
鈍感、そして、無感覚

人間におけるこの種の鈍感・無感覚は、
恐怖そのもの

恐怖感は、
正義の源泉

恐怖感は、
行動に必要な力の源泉

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感覚

感覚は、
一定の条件や環境に支配される一過性の代物

感覚の有様、
それは、その都度、
人が、どのような状態におかれているかによって変わる代物

感覚の有様、
そこに、永久不変なるものはない

凡人は、
一事が万事において、
その場限りの感覚に支配される

賢人は、
一事が万事において、
感覚と感性を別物として捉え、
理性的にそれら両者を使い分ける

賢人が、
”感覚で生きる人”を見ると、
その相手の有様は、
まるで”野性動物”

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”呼吸の命”と”体の命”

人間は、
呼吸しなければ死に至る

時として、
人間は、命の長さについて、
”自己の体を使える期間”として捉えることがある

”人間の尊厳”についての理念を重んじて述べるならば、
人間は、呼吸している限り、
皆、生きている

その一方で、
何らかの使命感を持って、
”その使命を全うすることに生きる意味がある”、と捉える者もいる

自己の体を使わなければ使命を全うすることができない人間は、
自己の命の長さについて、
心の中で、自己の体が使える期間である、と感じ取り、
深く考え、自己の存在性の中心核において哲学する

世界中の文明・文化を超越して明言できることは、
命は、まさに、命であるということ

人間は、
呼吸をしている限り、
例外なく、
皆、生きている

私自身、この2024年も、
一個人としての”身勝手な”捉え方として、
自己の命の長さについて、
これを、”自己の体が使える期間”であると捉え、哲学する

私は、
まさに、身勝手な存在者

身勝手ではあるが、
私は、この哲学の下、
自己の命を全うする

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一本の針の先端

毎日、隙間なく、
一本の針の先端に立ち続ける人

想像してみよう

このような人は、
最初から、
毎日、針の先端に立ち続けている人であったのか

今ここで、
少しだけ考えてみよう

毎日、隙間なく、
一本の針の先端に立ち続けている人は、
過去において、
針の先端に立ち続けているとき、
”誰も見ていないから大丈夫だろう”、と考え、
誰も見ていないとき、
ふと、針の先端から降り、
大失敗をした経験の持ち主だ

想像してみよう

人が人である以上、
生まれたときから、
”針の先端の意味”を知っている人はいない

想像してみよう

人は皆、
”痛い経験で学んでいく”、ということを

痛い経験、
これ以上の学びはない

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”続ける”という経験に勝る経験はない

”続ける”、という経験
”休む”、という経験

続ければ、
鋭くなる

休めば、
鈍くなる

これは、
地球の如何なる文明社会においても共通する定理

凡人も、
一つの理屈として、この定理を理解できる

だが、
残念な真実であるが、
実際にこれを行える人は”ごく僅か”

成功者の典型的人物像は、
やるべきことを毎日続ける人

不成功者の典型的人物像は、
やるべきことを”必要以上に”休む人

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注意と不注意

注意して行動する
注意しないで行動する

凡人は、
これら両者が齎す”巨大な相違”について鈍感だ

注意して行動すると、
その行動の質は常に高い

注意しないで行動すると、
行動の質が低下するだけでなく、
様々な問題を引き起こす

能力ではない
才能でもない

ここで考えるべきことは、
行動するとき、
注意するか、
それとも、注意しないか、ということだ

常に、注意して行動することに努めるならば、
行動の質が上がり、
生の質が上がる

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無意識の鈍感が齎す暴力

人は、簡単に、
”空しい”と言う

空しいには、二つある

一つは、
努力しない人が簡単に感じる”空しさ”

そして、もう一つは、
長い年月をかけて、
完全孤立の状態で、
毎日、唯一無二のものをつくり続けてきた人が、
心の奥で抱く”空しさ”

この空しさは、
それを抱く本人にしか理解できない”極めて稀有な心の境地”

心の中でこの空しさを抱くその場所は、
まさに、地球からアンドロメダ銀河までの距離に匹敵するほどの
”遥か彼方の場所で抱く境地”

感性的存在者の心の中は、
数字では決して表現できない広大な空間

清貧の美意識、
それは、美しい心の境地

鈍感な人が金を持つと、
鈍感な感覚の下、
芸術に触れ、
何らかの形で関係しようとする

鈍感、
それは、最大の滑稽

鈍感、
それは、最大の暴力

少々の感性の欠片がある人ならば、
無意識の鈍感の下で芸術を冒涜することは、
”暴力そのもの”であることがわかるはず

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衰退か、それとも、発展か

人は皆、
例外なく、年を取る

年を取るとは、
老いるという意味ではない

年を取るとは、
発展するという意味である

衰えるか否かという問題は、
自己管理の問題

発展するか否かという問題も、
間違いなく、自己管理の問題

人は、如何なる自己管理をするかで、
迎える日々において、
”衰退”、あるいは、”発展”のいずれかの道を歩む

本来、
人が生きるとは、
発展するということだ

人が経験するこの発展は、
死を迎えるその日も同じこと

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人間の”生き方の質”

付き合いが始まるとき
付き合いが終わるとき

付き合いの真実は、
この二者における礼儀・品行・所作・振舞いの有様の相違に、
その真実をうかがうことができる

人間関係の真実
この真実は、
お互いの付き合いが始まる最初の時点ではわからない

人間関係の真実
この真実は、
実際に付き合っている最中にはわかりにくい

人間関係の真実
この真実は、
付き合いが終わる最後の時点においてわかる

人間の”生き方の質”

一人の人間が、
他者との付き合いが終わるとき、
その相手と如何なる終わり方をするかで、
その本人において、
一人の人間としての”生き方の質”の真実が露見する

自分と他者の関係性について考えるとき、
後があるときの振舞い方、
あるいは、後がないときの振舞い方、
ここに、自分自身の”生の質”の真実が露見する

人間関係の様相は、
最初は、誰も同じ
最後は、人それぞれ

自分自身の”人間関係の質”の真実は、
その都度、人間関係が終わるときにわかる

美しく生きるか、
それとも、醜く生きるか、
それは、自分次第

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黙って行う人

”・・しようと思っている”という程度の思い

この程度の思いが、
現実になることはない

思いを現実にする人は、
構想を練り、
具体的な計画を立て、
黙って、それを行う人

自己実現できない人の典型は、
一事が万事において、
”・・しようと思っている”と言い続けるということ

”・・しようと思っている”と言わないようにしよう

賢者は、
決して、絵空事を言わない人

愚か者は、
簡単に絵空事を言い、
言うだけで、何も行わず、
絵空事の中に生きる人

賢者は、
本当に行うことだけを口に出す人

賢者は、
行うことを口に出し、
黙って、それを行う人

言うことは、誰にでもできる
その一方、
言ったことを行う人はごく僅か

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限界の境界線

人生は一度だけ
ならば、本日の今こそ、
奮起して、
自己の限界まで頑張ってみよう

そうすると、やがて、
今までは見えていなかった限界の境界線が見えてくる

そして、さらに、
その境界線を越えるほど頑張ってみよう

限界の境界線を越えるほど頑張ると、
新しい知に到達する

その知とは、
これまで考え、
捉えていた自己の限界は、
”真の限界”ではなかったということだ

凡人が捉える自己の限界、
それは、何の根拠もなく、
無意識のうちに信じ込んでいる”典型的”限界

人間は、
この典型的限界から自己を解放できたときに初めて、
”理性”の面前で、
自己の無経験と愚かさ、
そして、自己の”非理性性”を悟る

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理論と実践

机上の学問を愛する人は、
理論を重んじる

一方、
言葉で述べるよりも、実際の行動を好む人は、
実践を重んじる

理論と実践、
果して、これら二つは、
それぞれ異なるものなのであろうか

本質論を述べるならば、
理論と実践は、決して異なるものではない
これら二つは、
同じ範疇に存在するもの

理論は、これを簡単に言えば、”理屈”
だが、理論ばかり唱えていても意味を生じることはない

実践は、言うまでもなく、”目に見える形で行う”ということ
形を行うには、”形”を形づくる考え方を知ることが必要だ

賢者にとって、
理論と実践は、同じ範疇に属するもの

物事は、
理屈だけでは成就しない

物事を成就させるには、
まず第一に、しっかりと理論を理解し、
それを構築しなければならない

そして、その後、構築した理論を、
実際の現実として、それを行うことが必要だ

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想い

想いとは、
想う相手に届くものなのか

それとも、
届かないものなのか

私は今、考える

自分の心の奥にある想いは、
届けたい相手に届かないからこそ、
その想いに内在する力を維持できるのだ、と

人は、日々、
心の奥で、その想いを持つ続けることによって、
如何なる強風にも負けることなく前に進み、
力強く生きることができるのだ

想いは、
まさに、”力の源泉”そのもの

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Necessity of moderation

An extremist has a possibility to ruin his conduct
Even though he does good conduct,
It is necessary for him to pay attention as a matter of degree

Human mentality is unstable
It is sentiently affected by any of matters

For instance,
A matter, “kindness” is such a thing

If you are kind moderately,
How you are kind to your friend is valued by him

On the other hand,
If you are extremely kind to your friend,
What you do to him is not beautifully valued by him

Imagine,
There is a matter of degree in taking action

To think of moderation is fundamental to everyone
Moderation is a must for you to be more sophisticated yourself

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The price you unquestionably need to pay

To accomplish your purpose,
You ‘ve got to pay the price for it

The price you need is to persevere in your efforts for the one you wish to get

Make many sacrifices
If you do so,
You get what you really need

To live through having perseverance is unquestionably meaningful

Do you need to be poetic to live romantically?
To be poetic idly is not meaningful,
If you don’t severely persevere in your efforts

Graceful life is actualized in terms of refined sophistication you have in your heart
The quality of sophistication in your heart is bettered through all your fortunes by inches

The best way to actualize graceful life is to be brave
Nobody favors a person who is timid

History proves that Fortune favors the brave

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無知が齎す暴力

真理は真理

それは、どのようにしても、
決して変えることのできないもの

永久不変の真理の面前において、
不完全な存在者である我々人間は、
ただ、頭を垂れるのみ

人間は、
永久不変の存在を超越することはできない

永久不変の存在は、”真理”
真理は、”永久不変”

この真理が、
自己の存在性のど真ん中にある人間においては、
取り返しのつかない事態を招くことはない

無知、及び、無思索状態の下、
いたずらに抱く”高慢”

それは、まさに、
”愚の骨頂”

そして、それは、
”暴力”

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吐き気

吐き気がしてならない

吐き気、
それは、どうしようもない憤り

吐き気、
それは、銭金で生きている人は想像できない憤り

吐き気、
それは、知性の怒り

吐き気、
それは、理性の怒り

私は今、考える
吐き気がしてよかった、と

この経験は、明日も、
何ら、”変える必要性がない”ことを教えてくれる

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人間は”埃”である

我々人間は、
単なる”埃”である

この捉え方は、
人間について、
如何なる立ち位置から捉えるかによって、
その捉え方が大きく違ってくる

地球の表面で生息する人間にとって、
人間は人間、
埃は埃

だが、実際、
広大なる宇宙空間において捉える人間と埃の間に、
何ら、大きな違いはない

ただ、我々人間には、
一つだけ、決して忘れてはならないことがある

埃は、何も感じることもなく、
何も考えることもない

一方、人間は、日々、何かを感じ、
何かを考える

理性的存在者は、
埃として、自己の”微小さ”について、
しっかりと理性的に捉え、同時に、
人間は、”日々、感じ、考える埃である”、という真実と向き合う

人間は、自分自身が、
”宇宙に存在する微小なる埃”であると認識したとき、
欲を源泉として何かを所有し、
所有に支配されることの”無意味さ”を知る

この地球は、
実に、小石よりも小さい存在物

このように考えたとき、
埃である自分が、
”何かを所有する”というその経験自体、
本質的には、何ら、”意味のない経験”であることがわかってくる

17世紀に、ブレーズ・パスカルが、
人間を”葦”と解した

そして、21世紀に生息する私は今、
人間を”埃”と解する

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賦与された理性

理性は、
一体何のために存在するのか

理性は、
考える能力

この、”考える能力”は、
最初から、人間が備えているものなのか

それとも、何らかの理由で、
与えられたものなのか

この地球に生息する”ありとあらゆる生命体”について捉えるとき、
”人間のみが考える能力を備えている”というこの事実について、
これを、”単なる事実”として放置しておくべきではない

我々人間には、
考える能力が与えられた

”与えられた”、
これを、別の言葉で表現するならば、
”賦与された”ということ

賦与されたこの能力は、
まさに、”賦与された特権”

理性的存在者は、
この賦与された特権について自らの命で捉え、
この特権を使うとき、
”自らの命で使う必要がある”、ということを実感する

賦与された特権を、
腹を決めて、
自らの命で使う日々を積み重ねていくと、
人間は、やがて、
”自分自身の存在の尊厳性”について悟る日を迎える

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できることを”やらない”、という心の病

人間が無意識のうちに持つ心の病、
それは、本当はできるのに、
それを”やらない”ということ

人は、時として、
本当はできることを、
”できない”と言う

しかし、それは、
できないのではなく、
”やろうとしない”ということ

できないという言葉、
この言葉は、
ずるい言葉

できないという言葉、
この言葉は、
話を摩り替える言葉

できないという言葉、
この言葉は、
自分を小さなマッチ箱に閉じ込める言葉

できないという言葉、
この言葉は、
無意識のうちに、
自分を”心の刑務所”に入れてしまう言葉

”できない”と言わないようにしてみよう
最初から”できない”と考え、
”何もしようとしない心理状態”から自分を解放しよう

思うに、
やってみるとき、
最初から、完璧にやる必要はない

自分ができることを、
少しずつ丁寧にやっていけば、
しっかりと前に進める

自己中心的な我を捨て、欲を捨て、
清らかな心でやってみると、
やがて、”できない病”、
”やらない病”から離れることができる

人生は、
できるか・できないかではない

人生は、
必要なことを、
やるか・やらないかだ

人生は、
やれば、大きく変わる

その理由は簡単だ
人生は、”自分の行動”でつくるものだから

「哲学詩をゆっくりと読み、深遠なる言葉を鑑賞し、哲学する」 (東京・銀座にて、生井利幸が英語で講義)

2023-08-25

「作家における一日・24時間の過ごし方・・・作家は孤独を愛する」(東京・銀座にて、生井利幸が英語で講義)

2023-08-25

「詩を読み、哲学する・・・生井利幸著『文明の墓場 哲学詩』の読み方」(東京・銀座にて、生井利幸が英語で講義)

2023-08-25

哲学詩(最新作の掲載)

2023-08-13

空虚な感覚

空虚な感覚、
果してこれは、本当に”哀れな感覚”なのか

そもそも、人は、
幼い頃に、空虚な気持ちになることはない

子供の心は純粋だ
子供は、純粋であるが故に、
善と悪をはっきりと区別する

子供には、
”穢れのない活力”が漲(みなぎ)っている

この、穢れのない活力は、
純粋であるが故に湧き出る力

子供が大人になると、
皆、たくさんの経験をする

良い経験、
そして、悪い経験

大人になるとは、
一体どういうことなのか

人が、大人になれば、
”人は、様々な経験を積んで成長する”ということを悟る

空虚な感覚

この感覚は、
努力することなく、
汗を流すことなく、
いたずらに抱く感覚なのか

それとも、自分の命で、しっかりと世の中を見、
毎日、迎える一秒一秒において針の先端に立ち続け、
常に、限界の限界まで努力し、
”世の中の真実”を達観した人が、
確かな実感として感じ取る感覚なのか

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理性法が定める”程度の問題”

理性法、
それは、地球に生息する人類が理性的に捉える理法

理性法、
それは、理性によって理解する不可避的摂理

理性法、
それは、理性が導き出す原理原則

世の中には、
人間にとって美味しい側面、
そして、美味しくない側面がある

人間は、生来、
”欲張り”だ

人間はそれぞれ様々だが、
人間によっては、
常に、”美味しいところ”だけを取る者もいる

理性法には、
常に美味しいところだけを取る者は、やがて、
その美味しいところが取れなくなるという理法が存在する

何事においても、
”程度の問題”がある

人間が、この、程度の問題における”程度”を知り、
それを維持し続けるには、
いつ何時においても、理性的存在者として、
針の先端に立ち続けなければならない

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心の力に限界はあるのか

人は、
時々、疲れる

疲れたときは、
体を休ませよう

人は、
時々、怠(だる)くなる

では、怠くなったとき、
一体どうしたらよいだろうか

怠くなるとは、
身の力も、心の力も、
”消耗し尽くした”という状態

身の力、
そして、心の力を使い切ったという経験がない人に、
疲れた様相と、怠くなった様相の違いについて、
それを、”己の実感”としてわかることはない

怠くなったとき、
休むだけでは足りない

では、どうしたらよいだろうか

その答えは、
心の力を消耗し尽くした人にしかわからない

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足下の意味

賢者は、
日々、どこを見ているだろうか

賢い存在者であるならば、
常に、遠い未来を見ているに違いない

では、賢者は、一事が万事において、
遠い未来ばかりを見ているのだろうか

未来とは、
一体いつの時代を指すのだろう

10年後か、
20年後か、
それとも、100年後か

少しだけ考えると、
わかることがある

それは、今現在の時刻の”1秒後”も、
”未来の一部”であるということだ

毎日、迎える一秒一秒を命で刻む存在者にとって、
未来とは、数年後、数十年後の未来を指すわけではない

人間は、毎日、一秒一秒を経験しながら、
同時に、一秒一秒連続して、”直近の未来”を迎えている

今迎える一秒について、
それを最高の状態で迎え、
太陽の光の如く輝かせよう

今の一秒を輝かせる存在者は、
10年後の自分の生き方ではなく、
”今現在の自分の生き方”を輝かせる

今現在、輝いている存在者は、
自分の命で、しっかりと”自分の足下”を見ている

私は、自分の足下を見ない者が、
確かな先を見、
確かな歩みをした、という話を聞いたことがない

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技術的理性

言う、
言わない

この両者に、
何らかの違いはあるのか

理性的存在者は、
この両者において、
相当なる違いについて、”理性的”に捉える

非理性的存在者は、
”非理性的に”言って、
物事に混乱を生じさせる

理性的存在者は、
”理性的に”言わずに、
物事を制する

言う、
言わない

言わない技術、
私は、この技術を、
”技術的理性”と呼ぶ

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末期の水の味

人間が目指す最高峰の境地
人間は、最高峰の境地を、
”究極的境地”と呼ぶ

究極的境地、
この境地は、本当に実在するのだろうか

人間は、常に、
より上を見ている

日々、自分を律し、戒め、
戒め、律し、
より崇高な境地に到達しても、
人間は、さらに、より崇高な境地を目指す

どのような人間でも、
自分が目指す境地に到達した瞬間、
より高いところに、より崇高なる境地を見る

結局のところ、
人間が目指す境地に終りはない

末期の水の味は、
末期を迎えなければ、
それを知ることはない

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卓袱台(ちゃぶだい)を前にして哲学する

人間の幸福、
それは一体、どのように量ることができるのだろうか

言うまでもなく、
幸福の量について、
これを正確に量る方法はない

私は今、
哲学する

人間は、
自分の幸福度について、
自分の心の中で、
自分が実感する”心の満足感”の量によって、
自分自身の幸福度を量るのだ、と

本来、自分が幸福であるか否かという問題は、
自分自身で感じ取り、
それを判断するもの

他人が、自分が幸福であるか否かについて判断することなど、
まさに、”愚の骨頂”そのもの

四畳半一間で、
小さな卓袱台だけで生活する

自分が今、
この質素な生活を”幸せ”と感じるだけで、
ここに、”最高の幸せ”が存在する

卓袱台だけの生活
静かに哲学するとき、
ここは、まさに”最高の空間”

卓袱台を囲み、
ここには、広大に広がる宇宙空間がある

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顔の表情

顔の表情、
それは、心の鏡

顔の表情、
それは、一人の人間としての表玄関

人は、表玄関の印象次第で、
そこに入るか否かを判断する

顔の表情、
それは、人生経験の鏡

顔の表情には、
本人の生き様そのものが、
そっくりそのままの形で露見する

人生の半ばを過ぎたら、
自分の顔の表情に責任を持とう

人は大抵、
他人を、顔の表情で判断するから

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待つ意味

待つという行為には、二つある

一つは、待つということに意味があるもの
もう一つは、待つこと自体、意味のないもの

待つとき、
単に待つのみでは、
大切な時間を無駄にするだけだ

待つなら、
考えながら待ってみよう

待つなら、
行動しながら待ってみよう

感情を静め、
平常の心で待ってみよう

そうすれば、やがて、
待ち続けていたことに意味があったのか、
それとも、何らの意味もなかったのか、
はっきりとわかる日がやって来る

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改めて、”生”を哲学する時

鈍感か、
それとも、繊細か

人生において最も大切なことの一つは、
自分の愚かな行いについて、
それを、敏感に、そして、繊細に感じ取るということ

果てしない宇宙において人間存在を捉えるとき、
ちっぽけで、悲しい真実が見える

その真実とは、
ほとんどの人間は、
このことについて頗る鈍感であるということ

鈍感は、
幸いなことか、
それとも、悲惨なことか

人間は、
自分自身が持つ”鈍感”の悲惨さについて感じ取れた時、
改めて、より本質的に、
”生”を哲学する時を迎える

書くという行為に伴う”誇り”と”責任”

2023-06-30

書くという行為に伴う”誇り”と”責任”

”書く”とは、
考えるということ

その理由は明白だ
何かを書くためには、時間をかけて、
しっかりと考えなければならないからだ

では、考える行為は、
何かを書くための行為なのか

少しだけ考えるとわかるが、
実際は、そうではない

世の中には、毎日、たくさん考えても、
何も書かない人はいる

考えて、書く
書いて、考える

考えることと書くことに違いがなくなったとき、
人は初めて、書くことに”誇り”と”責任”を感じるようになる

行為の一形態としての”理性的思考”

2023-06-18

行為の一形態としての”理性的思考”

概して、思考の原点は、
二つある

一つは、
自己中心的な自我の実現を原点とする思考

そして、もう一つは、
自分以外の人々の利益・幸福を実現することを原点とする思考

自己の欲を実現するための思考は、
醜い思考

人々の幸せの実現を目指す思考は、
美しい思考

思考は、
”思考のための思考”であるべきではない

理性的存在者にとっての思考は、
”具体的な何か”を目的とする行為の一形態

理性的思考は、行為の一形態
そして、この思考は行為そのもの

理性的に、具体的な何かを実現する人においては、
思考は、”行為そのもの”

思考を実現する人は皆、
思考したその事を、即、行う人

考えた後、その事をすぐに行う人は、
行うとき、何ら、躊躇することはない

躊躇がないからこそ、
その思考が現実になるのだ

人類愛の原点

2023-06-12

人類愛の原点

血の繋がり、即ち、
血縁関係のない人々に向けた愛を、
”人類愛”と呼ぶ

今、考えてみよう、
人類愛の原点について

あなたは、自分の家以外の場所で過ごすとき、
自分の目の前にいる人に対して、
必要十分に気を遣っているだろうか

目の前の人、
隣の人、
そして、同じ場所にいる人々

どこの誰でも、家族や親戚を愛する
このことは、どのような人でも同じことだ

では、あなたは、
家族や親戚でない他の人々に対して、
同じような愛を行えるだろうか

今、自分の心の中心核に訊いてみよう
自分の家族・親戚同様に他人を愛せるか、
それとも、愛せないか、ということを

この世に、自分の子供を愛さない親はいない
では、他人の子供を愛する親はいるだろうか

自分の子供を愛するように、
他人の子供も愛してみよう

自分に子供がいても、
分け隔てなく、
他人の子供を愛せるようになったとき、
人類愛とは何か、について知る日がやってくるだろう

汗と血

2023-05-23

汗と血

汗は、意思の涙
血は、意志の涙

汗は、かけばかくほど、
目に見えない己の意思から、
”目に見える己の現実”へと変貌する

血は、流せば流すほど、
目に見えない己の意志から、
”目に見える社会の現実”へと変貌する

汗は、心の涙
血は、命の涙

命をはって生きる、
果して、これだけで足りるのだろうか

命をはって生きるにとどまらず、
命を生きてみよう

人間は、己の命を生きることで、
”真の社会的存在者”へと変貌するのだから

命を生きるとは、
命で、社会を生きるということ

この生き方に、
何ら、利己心はない

考えたことを行うに尽きる

2023-05-14

考えたことを行うに尽きる

人間は皆、毎日、
”新しい何か”を覚えようとしている

新しい何か、
この、”何か”とは、
一体何を指しているのか

覚えるということは、
暗記するということ

今、考えてみよう
人間は、一体どうして新しい何かを暗記しようとするのか

暗記の過程に、
何かを感じるという経験はない

暗記の過程に、
何かを考えるという経験もない

感じない
考えない

一人の人間として自分を捉えたとき、
これほど意味のない生の経験はない

何かを考えてみよう

何かを考えれば、
何かを始めるきっかけを生む

考えて、
始めるためのきっかけを生んだならば、
それを行うのみ

自分の生に意味を持たせるには、
一事が万事において、
考えたことを行うに尽きる

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