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読み物カテゴリ: ‘哲学への招待’

Readability based upon rationality engenders the very matter of otium cum dignitate.

2019-10-07

英語音声講義

⇒ Readability based upon rationality engenders the very matter of otium cum dignitate.(英語音声講義)

The two different ways of the interpretation regarding the existence of science

2019-09-07

英語音声講義

⇒ The two different ways of the interpretation regarding the existence of science(英語音声講義)

A rational existent naturally possesses the sapience to know his incapaciousness.

2019-08-05

Philosophically speaking, this theme is one of the very crucial and essential matters all of human beings should reasonably recogonize. Do we human beings recognize enough how we are incapacious in front of the absolute truth?

The important matter I’d like you to deliberately recognize and consider is that we by nature possess the sapience to know our incapaciousness. Are human beings “just animals” or “rational existents” here on this planet? You would be absolutely sure that you possess the sapience to know your incapaciousness on the condition that you meaningfully breathe the rational air as rational existents here on this planet.

It is truly up to you to recognize or not you possess such sapience or not. Now, I’d like you to deeply philosophize why the reason was given to you all.

英語音声講義

⇒ A rational existent naturally possesses the sapience to know his incapaciousness.(英語音声講義)

“cogito, ergo sum” theorized by René Descartes (1596-1650)

2019-08-02

A French mathematician and philosopher, René Descartes (1596-1650) theorized that “cogito, ergo sum” which means “I think, therefore I exist.”

This philosophical idea, “cogito, ergo sum” shall be widely performing as the basis of all of sciences you study energetically.

英語音声講義

⇒ ”cogito, ergo sum” theorized by René Descartes (1596-1650)(英語音声講義)

Pièce de résistance to sensitively experience as a human being

2019-04-16

英語音声講義

⇒ Pièce de résistance to sensitively experience as a human being(英語音声講義)

仏教学者・思想家、鈴木大拙先生との対話・・・鎌倉・東慶寺にて

2019-02-06

2019年2月3日(日)、わたくしは、鎌倉・東慶寺を訪れ、仏教学者・思想家、鈴木大拙先生(1870-1966)の墓前において、先生にご挨拶をしてきました(同日、東慶寺内にある哲学者・西田幾多郎先生のお墓も訪れました)。

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松ヶ岡文庫・入口

松ヶ岡文庫・入口

◆鈴木大拙先生のことば

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注)
『日本的霊性』/『鈴木大拙全集[増補新盤]』第8巻112頁から引用。鈴木大拙館作成・配布(石川県金沢市)。

仏教の祖、ガウタマ・シッダーサ (生井利幸による、仏教・英語音声講義)

わたくしには、寺を訪れると、自己の精神性の中で、仏教の祖、ガウタマ・シッダーサと対話をする習慣があります。

⇒ The enlightenment experienced by Gautama Siddhārtha(仏教・英語音声講義)

鎌倉・東慶寺にて、京都学派の祖、哲学者・西田幾多郎先生とお話をしてきました。

2019-02-03

2019年2月3日(日)、時間を捻出し、鎌倉の東慶寺を訪れ、京都学派の祖、哲学者・西田幾多郎先生の墓前にて祈りを捧げてきました。

鎌倉・東慶寺 西田幾多郎先生の墓前にて

西田幾多郎先生(1870-1945)は、日本における代表的哲学者であり、所謂、京都学派の創設者です。西田先生は、仏教・禅宗の境地、生の哲学、ドイツ観念論の論理を思弁的に統合した哲学者として活躍しました。

石川県で生まれた西田先生は、金沢の第四高等学校に入学。後に東京大学哲学科で学び、禅寺に参禅するために鎌倉に通い続ける日々を送ります。やがて、金沢の中学教師、第四高等学校教授になりました。

一方、座禅に専心するかたわら、深遠なる思索に没頭。1910年(明治43年)、京都大学に迎えられ同大学の教壇に立つ一方、田辺元、高坂正顕、西谷啓治、三木清などの哲学者・思想家を集めて「京都学派」を創設しました。主な著書としては、『善の研究』、『一般者の自覚的体系』、『無の自覚的体系』、『哲学論文集』などがあります。

本日は、西田先生の墓前にて、西田先生とお話をしてきました。そのお話の中の一つは、わたくしが創設した学問所である銀座書斎に於ける活動でした。

銀座書斎では、長きにわたるこれまでの啓蒙活動が実り、今、円熟期を迎えています。わたくしの弟子たちも、日々、自分を律し、全力で「世界レヴェルの英知・美意識の探究の道」を歩んでいます。

Convergent law

2018-12-17

Law of convergence is absolutely abstruse to grasp as for a deluge of people in the societies all over the world. You are really required to go through various philosophical experiences to systematically grasp this logic, namely, “convergent law.”

Hence, I simply lecture upon this abstruse logic for your better understanding this time.

英語音声講義

⇒ Convergent law(英語音声講義)

水と油

2018-10-14

2つの存在者があり、それぞれ互いに交じり合わない様相として、それを「水と油」と呼ぶことがあります。油は、可燃性の液体を指しますが、水との共通点もあります。それは、「油も水も、共に液体である」という事実です。

液体は、その類を問わず、上から下に流れます。例えば、川の水は、上流から下流へと流れます。そこに、油が入ると一体どうなるでしょうか。水と油が同化することはありませんが、共に、上流から下流へと流れていきます。

2018年10月に入り、2019年を迎えようとしている今、日本社会がこのままでいいと考える人の数は、かなり少数でしょう。では、何か、日本の未来を考える上で、何らかの得策・ヒントはあるでしょうか。

この世の中は、言うなれば、異なる価値観が交錯する世の中。それはそれとして、受け入れなければならない真実です。では、いかにしてこの世の中を良くしていくことができるのでしょうか。

この問題について考えるとき、川の流れ、即ち、「どのような成分を持つ液体でも、液体が液体である以上、上流から下流に流れる」という周知の事実に、この問題について考えるためのヒントがあると、わたくしは捉えます。

「勉強する目的」について考える

2018-09-23

すべての動物には、「本能」があります。動物は、食べるため、そして、生き残るために食べます。

同じように、人間にも、「本能」があります。人間も、他の動物と同じように、毎日、食べていかなければ、生きていくことはできません。しかし、人間には、本能だけでなく、「知能」もあります。知能は、「何らかの知的行為」を行う上で使う能力です。したがって、毎日、人間が生きるということは、毎日、知能を使うということでもあります。人間が知能を使う、それは、「人間は、知能を使い、より知的になる宿命を持っている」という意味を成します。

わたくしは、講演・講義等で、「人間が生きるということは、毎日、勉強することである」という趣旨のことを講じています。しかし、毎日、勉強するといっても、勉強のための勉強では、何ら、意味を成すことはありません。「人間は、一体何のために勉強するのか」、・・・これは、勉強における根本的問題です。

勉強は、勉強のためにするのではなく、「人間の幸福・発展」のためにするものです。もう少し具体的に言えば、「勉強は、人間愛、そして、人類愛を探究し、それを実現する」ためにあります。

人間は、このような「勉強における基本的方向性」を持ち続けるならば、常に、正しい方向に向けた勉強をすることができるに違いありません。

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