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読み物カテゴリ: ‘銀座書斎エッセー’

地球の表面を覆う大気圏は、「人間社会を保護する”overcoat”」である

2013-11-25

時が過ぎ去るのは実に速いもので、この2013年は、もう既に11月下旬を迎えています。現在の時刻は、午前2:55分。私は今、バルコニーに繋がる窓をすべて開け、外気の新鮮な空気を吸いながら筆を執っています。思うに、11月下旬のこの寒い時期において、夜中に窓を全開にして仕事をしている人はまずいないでしょう。しかし、私にとっては、「窓を開け、外気を全身で浴び続け、夜空を眺めながら一秒一秒を刻む」という時間の過ごし方には深い意味があります。

夜空を眺めながら心の中で一秒一秒を刻むと、「今現在、自分は一体どこにいるのか」という事実について盲目にならずにすみます。「今、自分はどこにいる?・・・、住所で言うと東京都中央区?」・・・。無論、本稿において私が述べたいことは、そのようなローカルな捉え方ではなく、1)「広大な宇宙に浮かぶ数々の星の中の“一つの小さな星”にいる」、言い換えれば、2)「地球に存する一個の個人として、しっかりと地球の表面に根を下ろして存在している」という“鮮明極まりない”事実です。

すべての人間は、所謂、「考える能力」、即ち、「理性」(reason)を備えています。私たち人間は、日々、この「理性」を使って様々な事物・問題について考え、妥当な判断をし、行動しています。しかし、一体どれほどの人間が、この理性を介して「自分の居場所(立ち位置)」についてしっかりと捉え、このことについて十分な認識に至っているでしょうか。「人間は、広大な宇宙空間に浮かぶ一個の惑星の中で生息している」、・・・この“鮮明極まりない”事実について以下のように捉えると、「人間に賦与された一秒一秒」の価値・重さ・意味についてさらにしっかりと認識することができます。

 1) 人間は、宇宙に浮かぶ一個の惑星の中に生息している
 2) 人間は、地球という惑星の“大気圏内”に生息している
 3) 大気圏は、「人間社会を保護する”overcoat”」である

大気圏(the atmosphere)とは、言うまでもなく、地球の周りを囲む気体の総体を指し、体積で述べると、空気の5分の4を占める窒素(nitrogen)、空気の5分の1を占める酸素(oxygen)、その他、微量ではあるが、水素、アルゴン、二酸化炭素、オゾン、ヘリウム等を含んでいます。体積としての空気の比率は、窒素4(78.10%)・酸素1(20.93%)の割合。この比率は、地上から高度80km付近までほとんど変わりません。言うまでもなく、大気圏は、太陽の放射線から地球上の植物・生物を守り、同時に、地球表面の温度を(植物・生物等にとって)“適切温度”にする役割を果たしています。私たち人間において最も重要な認識事項の一つは、一事が万事において、「人間はこの大気圏の中に生息している」という“周知の事実”です。この「大気圏の中に生息している」とは、言葉を換えると、「人間という動物は、『”overcoat”としての大気圏(the atmosphere)』という保護圏域において、理性的存在者として、“自らの意思で”一秒一秒呼吸している」ということです。

宇宙空間における「地球存在」、そして、「人間存在」について以上のような捉え方を思索の基盤とし、今再び、「人間に賦与された理性」(reason given)について捉え直してみると、「人間存在という客観的事実に内在する本質」を認識するための道程を歩むことができます。そもそも、「学問は、一体何のために存在するのか」、「学問は、いかなる方向性に向けて行われるべきなのか」、・・・これらの本質的問題は、西洋・東洋を問わず、理性的存在者として学問を行う研究者においては必須の問題であると明言できます。

「地球の表面を覆う大気圏は、『人間社会を保護する”overcoat” 』である」、この事実を逆に解釈すると、「人間は、大気圏の外に出ると、即ち、広大な宇宙空間に出てしまうと、“微生物”(microbe)ほどの力も発揮できない」という現実が見えてきます。「人間は、単なる微生物でしかない」、人間は、このことを理性的思索を介して捉え直すことができたときに初めて、真の意味で、「理性の意味」(the meaning of reason)、そして、「理性の使い方」(the rational way to use reason given by God)について“腹”で理解することができるのだと私は考えます。

英語音声講義

本稿・銀座書斎エッセーを精読し、心を静め、静寂の中で以下の2つの英語音声講義を身を挺して聴くことにより、「理性の捉え方」についてより深く認識・理解することができるようになります。また、同時に、これらの学習経験によって、「学問とは、一体何のためにあるのか」という問題について価値ある思索をすることができるでしょう。

⇒ 英語音声講義Ⅰ
⇒ 英語音声講義Ⅱ

真実を教授する行為は、まさに、「痛み」(pain)を伴う行為である。

2013-11-16

人生を生きることは難しい。そうであるならば、人生を生きるということを大前提として、「学問を学ぶ」という行為は、さらに難しい行為であると捉えることができるでしょう。

この銀座書斎において、私は、常に、1)「真の意味で重要な事項・問題について教授する」、2)「真実を教授する」、3)「本質、あるいは、真理(に近いと推察されるもの)を教授する」ということを念頭において様々な講義・レッスンを行っています。

銀座書斎では、毎日、実に様々な人間の心理メカニズムが交錯します。無論、教授するわたくし自身、「喜び」を持って教授しますが、時には、かなり「心労」が重なることがあります。心労が重なる、・・・実のところ、それは<当然の成り行き>というべき事実です。その理由は、基本的に、この銀座書斎で学ぶすべての方々は、世俗的な損得勘定、しがらみ、邪念、雑念を捨て去り、まさに「真実の心」でわたくし生井利幸と向き合っているからです。

一人の人間が、「真実の心」で一人の人間と向き合うならば、楽しいことばかりではなく、時には、誤解や摩擦も生じます。人間は、言うまでもなく、「生身の動物」です。人間が生身の動物である以上、人間と人間の間には、しばしば誤解や摩擦が生じることは必然です。

それを是とする非とするか、私は、人間関係における起こり得るすべての誤解・摩擦等を考慮に入れ、これからも教授・啓蒙活動を続けていきます。「真実を教授する行為は、まさに『痛み』(pain)を伴う行為である」、・・・わたくしは、これからも”覚悟を決めて”最高の教授を行うべく汗と涙を流していきます。

英語音声講義

⇒ You cannot find a reasonable way to pursue the essence and truth without experiencing something difficult and painful in your process to study sciences.(英語音声講義)

“思索存在”社会の創造・・・「自分は一体何者なのか」という問題について考えたことがありますか

2013-10-24

”An Englishman’s house is his castle.”(イギリス人の家は各人の城である)、・・・この諺は、「プライバシーの尊重」の重要性を述べる諺として広く英米社会で使われている諺です。この日本の現代社会に生きる私自身も、迎える一日一日において、「自分の家は、自分自身の唯一の城である」という精神基盤を下にプライベート・ライフを送っています。

私は、毎日、“実にシンプルなライフ・スタイル”を送っています。例えば、仕事が終わり一旦家に戻ると、そこは、2013年の現代社会とは思えないほど「静寂、且つ、簡素な生活空間」で過ごしています。私は現在、都心のマンションに住んでいますが、部屋の中はまさに「森」です。リビングルームには、四方八方、天井まで届く観葉植物、そして、大小の様々な植物が置かれています。また、バルコニーのコンセプトは、「緑に囲まれた“空中リビング・ルーム”」。たくさんの背の高い木々が置いてあるバルコニーは、屋根のないバルコニーです。この空間では、昼間は太陽の光をダイレクトに満喫し、夜はたくさんの星を見ることができます。

自宅では、天気のいい日には、バルコニーで食事をし、仕事もします。バルコニーでは、自分の手で新鮮な野菜を育て、毎日、自分で育てた野菜を食べています。「自然」(nature)と共に毎日がある私のプライベートライフは、いわゆるインターネット、メール、テレビ、スマートホン等とは全く無縁の生活です。住まいは都心ですが、その生活の実態は、まさに”primitive life”(原始生活)そのものです。日々の生活は極めて”primitive”(原始的)ですが、実のところ、この原始生活にこそ「斬新的思索の”究極”」(the “ultimate” of novel consideration)の源泉が存していると明言できます。

“ものを書く”という行為を「人生における最大のミッション」としている私は、プライベート・ライフにおける最重要ポイントは、常に「深遠なる思索をするための最適の空間」を確保するということです。ご承知のように、この現代社会は、実に様々なネオン・雑音が交錯する<雑多な情報社会>です。無論、情報は必要です。しかし、情報には、二つの種類の情報があることに留意すべきです。一つは、1)「自分にとって必要な情報」、もう一つは、2)「自分にとって不必要な情報」です。

残念な事実ですが、現代社会は、非理性的に、1)「必要な情報」と2)「不必要な情報」が混在する<“度を越した”情報社会>です。多くの人々は、過度に氾濫した情報に依存するあまり、しばしば「独立した一個の存在者」としての自分を見失い、責任不在の情報に惑わされ、知らず知らずのうちに安易な方向性へと”誘導”・”扇動”されてしまっています。今ここで、読者の皆さんがこの現象を客観視したとき、そこに何が見えてくるでしょうか。読者の皆さんが深い思索を介して世の中を静観するならば、恐らく、今、現代人に求められる“あるべき生き方”とは、毎日、安易な情報に溺れた日々を送ることではなく、<自分の力で思索し、自分の力で自分の道を切り開く>という「古代から人間が経験してきた“本来における人間の生き方”」について再認識する重要性を感じるのではないでしょうか。

どのような人においても、「原点」に戻るには、それなりの「勇気」と「覚悟」が必要となります。読者の皆さん、“勇気を持って勇敢に”、是非、「自分の力で思索する日々」を送るように心掛けてみてください。自分の力で思索すると、必ず、「自分の本当の姿」、そして、「本当の意味での自分の立ち位置」について少しずつ見えてきます。

仕事柄、私にとって、「思索すること」は、何よりも大切な行為です。私にとっての思索とは、1)「“生きる”ということそのもの」、そして、2)「自分の人生におけるミッションを遂行する上で必要不可欠な行為」といえるものです。「深い思索をする日々を送るためには、一体どのような生活環境を構築する必要があるのか」、・・・この問題は、私が常に考えているテーマの一つです。本稿においては、この銀座書斎エッセーを読む読者の皆さんも、是非、私と一緒に「深い思索をするための方法」について考えていただきたいと切望しています。この問題、即ち、「思索の重要性」について一緒に考えたいという読者の皆さんは、是非、銀座書斎に訪問していただき、わたくし生井利幸と共に、何らかの具体的観点・事例を出発点として「思索の重要性」についてお話しする機会を持っていただきたいと願っています(⇒茶話会のお知らせ)。

この「思索の重要性」について、いわゆる社会全体の問題として考えると、「社会における“無思索状態”の風潮」は、「個々の人間の心の中における”dehumanization”(人間性喪失)」を次第に助長してしまっていると私は捉えます。”dehumanization”が進んでいくことを防ぐ唯一の方法は、「思索する世の中」(“思索存在”社会)を作っていくということです。毎日の生活において、現代の日本社会を構成する私たち人間一人ひとりが、“草の根的に”、少しずつ「思索する世の中」へと進んでいく努力をしていけば、徐々に「”humanization”(人間性回復)への道のり」を歩むことができると私は考えます。常に、一人ひとりが協力し合い、少しずつ、心を込めて丁寧に、1)「理性ある世の中」、2)「人間性のある世の中」、そして、3)「心豊かな世の中」を創造していくことが求められています。

英語音声講義

⇒ “思索存在”社会の創造・・・「自分は一体何者なのか」という問題について考えたことがありますか(英語音声講義)

Do you need to risk your delicacy or not to be a rational logical person?

2013-10-08

For you to be a rational logical person, you’ve got to sharpen your delicacy immensely. Because you are required to delicately feel the things in front of each of the things you see and concern at all times day after day.

Intrinsically, logicality itself doesn’t mean anything without feeling the things delicately. You need to sentiently feel a thing in your experience not least before organizing your logic and also after organizing it as well (this is a very crucial way of thinking people in general stereotyped don’t recognize and understand at all).

It is very significant to grasp that how you sentiently feel a thing every day every night dramatically affects how you rationally consider the thing and organize the logic after feeling it. This means that how you minutely feel a thing upgrades the quality of rational thinking to be a rational logical person gradually.

It is indispensably necessary to prioritize such an action to subtilize “your delicacy” to carry out your lifelong mission in terms of using your logicality organized minutely and reasonably. In addition, your logicality must be absolutely “rational enough” to be a rational logical person all the time.

It is surely vital to be “rational enough” for you to be a rational logical person. I repeatedly describe the importance of rationality upgraded by subtilized delicacy itself.

Obviously, you don’t have to firmly protect your delicacy intentionally surrounded by your “invulnerable fortress.” You need to “constructively” risk your delicacy itself in each of substantial experiences day and night. You are surely here or there to subtilize your delicacy in term of risking it by inches. You can remarkably and amazingly upgrade your rationality on the condition that you don’t hesitate risking your delicacy at all. This is not a matter of an armchair theory. This is the “very experience” you need to go through for the sake of your “genuine” self-actualization.

Reversely, if you don’t risk your delicacy, you unconsciously spoil your “one and only delicacy” in the world. Then it would be a rotten delicacy spoiled consequently.

It is not sapient to cover the delicacy by an invulnerable fortress. There is nothing progressive there on this spoiled condition organized artificially. It is absolutely necessary to risk you peculiar delicacy in order to develop it courageously for the sake of amelioration of your logicality and rationality by inches.

厳格に厳格を重ねる意味

2013-09-30

この世の中には、1)「今、実際に自分が置かれている立場や状況」と、2)「自分が思い描いている理想の生き方」との相違に悩んでいる人は大勢いるでしょう。

「現実」と「理想」の相違に困惑しているとき、人は通常、進むべき道を見失ったり、モティベーションを下げたりしてしまいますが、そのような状況のときにこそ、毎日の生活において「厳格に生きる」ことが必要不可欠となります。では、厳格に毎日を生きているにもかかわらず、それでも「現実」と「理想」の相違に押し潰されそうになったときには一体どうしたらよいのでしょうか。

私の考えでは、このような場合は、日々の「厳格」に加え、さらなる「厳格」を重ねることが重要であると捉えます。「厳格に厳格を重ねて生きる」、・・・不完全な存在者である人間が日々しっかりと前に進むためにはこれ以外の方法はないでしょう。

このことは、逆説的に捉えてみるとさらに明確にわかります。厳格に毎日を過ごしているとき、「現実」と「理想」の相違に押し潰されそうになったとき、前述とは逆に、厳格さを緩めて、「安易な生き方」や「楽な生き方」を選んだら、一体どのような方向性に進むことになるでしょうか。言うまでもありませんが、人は、厳格さを緩めたら、その瞬間から「後ろ向き」に進むことになります。

There is nothing good without having rigidity. Hence, we’ve got to live well rigidly every day every night. If you continue having such a valuable day, you are surely guided to live meaningfully and beautifully. I absolutely hope that you are someday told, “you live beautifully every day every night.”

英語音声講義

上記エッセーの内容について、英語で生井利幸の講義を聴講することができます。

⇒ 厳格に厳格を重ねる意味(英語音声講義)

“理性的”ロジカルパーソンは、「感じる」ことを重要視する

2013-09-27

書店を訪れると、昔も今も、「ロジカルになるには?」という趣旨のテーマやタイトルの本が並んでいます。概して、ロジカルパーソンになるには、一事が万事において「論理的思考を重要視する必要がある」という見方をする人がほとんどすべてでしょう。

ロジカル(logical)という言葉、・・・これは即ち、「論理的な、理にかなった、筋が通った」という意味ですが、ロジカルに考えたり、ロジカルに話せるようになるには、まず第一に、考えたり話したりする前の段階で「物事を繊細に感じる」という能力が必要不可欠となります。

ロジカルパーソンになるための必須条件は以下の如きとなります。

<1> 毎日の生活において、一つひとつの経験を繊細に感じる。

<2> 繊細に感じたことについて論理的に深い思索を行う。

<3> 日頃の深い思索を基盤として、日々、一つひとつの問題について論理的に判断し、それを決断。即、実行に移す。

通常、ロジカルパーソンに必須の条件について大まかに述べるとき、<上記の3つのプロセス>を述べることで足りるでしょう。しかし、現実には、「“真のプロフェッショナル”としてのロジカルパーソン」になるために必須のプロセスはこの限りではありません。

真のプロフェッショナルとして理性的に一秒一秒を刻み、理性的に判断・決断する存在者、即ち、「“理性的”ロジカルパーソン」(“rational” logical person)においては、<3>におけるプロセスを経て“具体的行動”として実行するとき、その実行の“直前に”、そして、実行している“その最中に”、再度、その具体的行動について「繊細に感じる」(to feel the thing delicately)ということを経験します。

「真のロジカルパーソン」(genuine logical person)、即ち、「“理性的”ロジカルパーソン」(“rational” logical person)は、

<1> 毎日の生活において、一つひとつの経験について、心の中で「感性」(sensibility)を介して“繊細に”感じる

<2> 心の中で繊細に感じたことについて、頭の中で「理性」(reason)を介して深い思索を試みる

<3> 頭の中で、「“論理的”(logical)、且つ、“理性的”(rational)な思考」を行い、その後、その思考について「“理性的”(rational)な判断」を試み、速やかに実行する

<4> 実行する“直前に”、そして、実行している“最中に”、再度、その具体的行動について心の中で「感性」(sensibility)を介して“繊細に”感じる

という一連のプロセスを経験します。

概して、「ロジカル」という言葉からは、「常に論理的に考える」というイメージを思い浮かべるのが普通ですが、実際のところ、”rational decision-making process”(理性的意思決定プロセス)を備える真のロジカルパーソン、即ち「“理性的”ロジカルパーソン」(“rational” logical person)の行動メカニズムは、意外にも、「『考える』範疇」よりも、「『感じる』範疇」に相当支配されていることがわかります。

「感じる能力」、とりわけ「“繊細に”感じる能力」(the ability to “delicately” feel a thing)を必要十分に養う上で大きな決め手となるのは、いわゆる「いかにして”delicacy”を磨き抜くか」という問題となります。

英語音声講義

英語で、上記・記述内容に関する講義を受講することができます。

⇒ ”理性的”ロジカルパーソンは、「感じる」ことを重要視する(英語音声講義)

銀座書斎日記が「銀座書斎エッセー」として生まれ変わります。

2013-09-24

生井利幸公式サイト全面刷新に伴って、銀座書斎日記が「銀座書斎エッセー」として新しく生まれ変わります。

これからも、銀座書斎エッセーにて、読者の皆様に対して価値あるメッセージを発信し続けていく所存でございます。

⇒ 旧ウェブサイトの銀座書斎日記はこちら。

一秒の価値

2013-09-15

私は、もう長い間、健康維持に必要と思われる睡眠時間を十分にとらない生活を送っています。”Sleeping is the best medicine to keep your health.”という如く、建康を維持するためには、「十分な睡眠を確保する」という行為以上の良薬はこの世に存在しません。

私にとって、昔も今も、最も重要な時間(の長さ)とは、10年でも5年でも、あるいは、1年でもありません。それどころか、実際のところ、24時間でも、10時間でも、1時間でもありません。

私にとって最も重要な時間とは、「今現在において確かな実感として迎え、且つ、刻むことができる『一秒一秒』」です。私自身、心の中でいかなる精神基盤で一秒一秒を刻むことができるか、昔も今も、このことに重きを置いているというその事実は決して変わることはありません。

「1時間よりも1分、1分よりも1秒が大切である」と口で言うのは簡単です。肝心なことは、このことを毎日の生活において実行できるかどうかという問題に尽きます。

⇒ To tick away the time rigidly in your heart enriches quality of your everyday life.(英語音声講義)

私は、時折、「心の浄化」を図るために、自宅からすぐそばの隅田川に行き、川の水の流れを見ながら散歩します。水の流れは、心の中で「一秒一秒」を刻みながら静観します。

私は、時折、「心の浄化」を図るために、自宅からすぐそばの隅田川に行き、川の水の流れを見ながら散歩します。水の流れは、心の中で「一秒一秒」を刻みながら静観します。

 

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