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読み物カテゴリ: ‘銀座書斎エッセー’

生井利幸事務所が経験する「痛み」

2014-12-17

生井利幸事務所は、わたくし生井利幸がアメリカから全面帰国後、東京・銀座3丁目において銀座書斎を開設・維持し続け、既に長い期間にわたって社会貢献活動として様々な啓蒙活動を行ってきました。

率直に述べるならば、「社会貢献性の高い啓蒙活動をし続ける」という行為は、相当なる強い意志、そして、膨大なるエネルギーが必要となります。企業は、商法第52条で規定されている如く、「商行為、即ち、営利」を目的として設立されています。一方、当事務所の存在理由は、一事が万事において、「社会貢献として啓蒙活動を行う」という行為に尽きます。

実際、「世の中の人々に『本質』(the essence)を伝える」という啓蒙活動を続けていくことには、「相当なる痛み」が伴います。わたくしの場合、平日・週末に関係なく、毎日24時間体制で活動を行っています。プライベートを排除し、毎週7日間のうちのすべての7日間において「自己を世間にさらし続ける」という行為は、言うなれば、「休憩のない日々を送り続ける」という行為に他なりません。

「本質」を伝えるには、自分自身が「見本」となるのが最も効果的です。世の人々に本質を伝えるには、自分自身において、「1)『発する言葉』と2)『実際の日々の行動』を同一にする」という行為が最も妥当な方法であるとわたくしは考えます。

英語音声講義

⇒ You should not be dominated by fragmentary information.(英語音声講義)

「新・銀座書斎」、誕生。

2014-10-29

2014年11月1日(土)、銀座書斎が生まれ変わります。長年、銀座書斎は、現在のビルの3階にありましたが、2014年10月31日(金)、同ビルの5階に移転します。

正式には、2014年11月1日(土)から、新「銀座書斎」として生まれ変わります。新しい銀座書斎では、これまでと同じポリシーで活動を行っていきますが、11月からは、さらに、社会貢献性の高い様々な活動を展開していく予定で準備しています。学術、芸術、文化的活動はこれまでと同様の活動を行っていく一方、現在、以下のような事項について検討・準備しています。

1) 作家・学者等を主要メンバーとする研究会の発足
研究会の活動は、「国際社会、及び、日本国の幸福・発展の一助」となることを主眼とする。研究会の活動は、生井利幸事務所・銀座書斎を拠点とする。

2) 「全国で行ってきた生井利幸の講演会」に出席した方々との交流会の実施
生井利幸事務所は、「講演会に出席した方々による銀座書斎への訪問」を歓迎。交流会の実施等。

3) 学問所としての役割
社会貢献事業として、随時、一般の社会人を対象として教養講座を開講。銀座書斎が、東京・銀座エリア、即ち、「都心の学問所」としての役割を演じる。また、大学学部・大学院レヴェルの講義を英語で行う国際教養塾のカリキュラムの充実等。

4) 生井利幸の研究室・書斎機能の刷新(生まれ変わり)
2014年11月1日からは、生井利幸は、銀座書斎内での研究・執筆時間を大幅に拡大予定。2014年11月から、「研究・執筆」に専念するために更なる時間を捻出予定。

5) 音楽家、音楽評論家等との交流会の企画
生井利幸事務所・銀座書斎を、「音楽家・音楽評論家等との交流のオアシス」として、その役割を担う(生井利幸は、長年、ベートーヴェン哲学について研究を続けており、今後、同研究に関して単行本化する構想がある)。

6) 社会貢献性の高い法学研究の推進
生井利幸は、現在、日本国憲法に関する英語講義を作成している。今後、生井利幸は、国際的視野に立脚した法学研究の推進を目的として、海外の法学者、及び、法律問題の見識者等との学術的交流を拡大(医事法・法哲学・憲法学等)。

英語音声講義

⇒ 天賦的理性の真髄(英語音声講義)

2014年11月から銀座書斎が生まれ変わり、わたくし生井利幸も、さらに精力的に活動を行っていきます。

2014年11月1日に、銀座書斎が生まれ変わります。それに伴い、わたくし生井利幸も、さらに精力的に活動を行っていきます。

国際社会に於ける「弁解」と「謝罪」の相違

2014-10-11

不幸な事実であるが、国際社会に於ける常識について著しく欠如している“島国”日本(“island country” isolated from common sense many people quite naturally recognize and understand in the international society)では、概して、「弁解」(excuse)と「謝罪」(apology)を同じような概念であると捉える人が多い。そこで本稿では、これら2つの概念(弁解と謝罪)について詳細に述べることとする。

世界に存する諸々の文明社会(the civilized societies in the world)に於いては、所謂、以下の点についての相当なる認識・理解は、「コミュニケーション上の基本の基本」と捉えられているのが一般的常識である。

<1>
「弁解」(excuse)とは、自分が行った行為を正当化するために言い訳をする行為一般を指す概念である。

<2>
「謝罪」(apology)とは、自己の過失、思い違い、理解の不足・欠如等を起因として犯してしまった過ち・罪などについて、その事実を認識・理解し、「その事実の認識・理解の下、相手に詫びる」という概念である。

<3>
国際社会では、相手に謝罪を行う場合、「謝罪することを唯一の目的」としてその時間を捻出することは、所謂、「地球に存する一人の人間として『最低限の常識』(“the minimum common sense” as one of human beings standing upon this planet)」である。

<4>
「何かのついでに行う『謝罪』」(他の異なる目的を有する機会と同一の機会に行う「謝罪」)は、『本来の謝罪』(a genuine apology)ではない。何かのついでに行う謝罪は、通常の場合、相手に更なる不快感を及ぼし、ひいては、「相互の信頼関係に於いて修復不可能な事態」を招く可能性がそこに内在する。

<5>
基本的に、「弁解」(excuse)と「謝罪」(apology)は、それぞれ異なる概念である。それ故、自己の過失、思い違い、理解の不足・欠如等を起因として犯した過ち・罪などに関しては、それを弁解する行為においては何らの妥当性も存在しない。だが一方、そうした自己の過ち・罪などに対して、「相手に対して『妥当なる方法』でしっかりと謝罪を行うこと」は国際社会に於ける一つの常識である。

英語音声講義

⇒ The difference of the two, excuse and apology(英語音声講義)

the meaning of literature for me

2014-09-25

私は、本来、「活字文化」(literature)に生きる人間です。画家は、絵で自己の哲学・理念を表現し、音楽家は、音楽で自己の哲学・理念を表現します。このラインで述べるならば、作家は、「活字」(literature)で自己の哲学・理念を表現します。

今月の初旬において、長い期間にわたってお会いしていなかった素敵な紳士(出版社・社長)が銀座書斎を訪問しました。久しぶりの再会でしたので話が弾み、かなり長時間にわたって様々なお話をしました。

お話は、「単行本の出版」というお話になりました。現在、私は、この単行本企画のための執筆に取り組んでいます。読者の皆さん、是非、新作を楽しみにお待ちください。

英語音声講義

⇒ the meaning of literature for me(英語音声講義)

勉強の目的

2014-09-07

人間は、一体何のために勉強するのでしょうか。言葉を換えれば、人間は如何なる理由で自分を磨き続けるのでしょうか。

どのような場合においても、人は最初、単に「自分のため」「自分の利益・幸福のため」に勉強するでしょう。「子供が、受験準備のために勉強する」、「社会人が、仕事の能力を向上させるために勉強する・自分を磨く」という行為は、言うなれば、ほとんどすべての人間における「勉強する動機」として捉えることができます。

思うに、「子供が、自分のために勉強する」、この事実はそれでいいでしょう。しかし、子供が成長して大人になったとき、その大人が「自分のため」だけに勉強するのでは、せっかくの勉強も意味を成すことはないでしょう。

では、大人(人間)は、一体何のために勉強するべきなのでしょうか、・・・読者の皆さん、ここからは、是非、「自分の思考力」を駆使して考えてみてください。

英語音声講義

⇒ the reason to study(英語音声講義)

Iron wall between the two, what you feel and how you express it as literature.

2014-08-29

What you feel now is different from how you express it as literature. There is always a gap between the two, what you are really feeling and how you exactly express it in terms of writing as literature.

Is there any surefire way to eliminate such gap which exists between the two? As a matter of fact, there is no possible way to do it. Nobody can do anything about it for the elimination of the gap.

You are fundamentally bound to continue having such gap between the two day after day. When you have a day not feel any gap between the two through getting rid of your ego which disturbs your writing naturally in the future, you are absolutely entitled to stand upon the “first stage” in order to be a “purely genuine existent” who expresses the reality of the things as literature.

英語音声講義

⇒ Iron wall between the two, what you feel and how you express it as literature.(英語音声講義)

motivationを維持できる人・できない人

2014-08-17

概して、人間は、自分がやりたいことの面前で、実に、様々な「在り方」「捉え方」をするものです。その有様を具体的に述べるならば、1)「やるとなったら、どんな状況におかれてもやる人」、2)「やると口では言うが、それを実行に移せない人」、3)「やりたいことを実行に移しても、長続きしない人」等に分けることができるでしょう。

3番目の「やりたいことを実行に移しても、長続きしない人」の場合、そのご本人において一体どのような「本質」が内在しているのでしょうか。通常の場合、「自己顕示欲が著しく強い」、「自己顕示欲が著しく強いにもかかわらず、『顕示したい能力』と『実際の能力』に大きな相違・格差がある」ということです。

例えば、どのような人間においても、「・・になりたい」「・・のような能力を備えたい」と心の中に抱くのは自由でしょう。ここで重要ポイントとなることは、現実の問題として、そのご本人において、「そのような自分の理想郷に到達するのに、実際、どれだけの勉強が必要なのか。とりわけ、どれだけの継続的な努力が必要なのか」ということを、ご本人なりに整理・把握・理解することが必要であるということです。

上記のような整理・把握・理解をすることなく、視野の狭い自己顕示欲や自己実現欲だけでがむしゃらに勉強すると、最初は「勢い」「思い込み」で勉強しますが、やがて、自分が到達したい理想郷が、その程度の勉強量では到底到達できないということがわかると、すぐに勉強意欲を無くします。これは、言うなれば、「”motivation”を維持できない人の典型」といえる様相です。

この場合、そのご本人において、一体どのような解決策があるのでしょうか。無論、解決策は様々ですが、最も妥当性がある方法は、もし、自分の近くにその理想郷の具現者・実現者がいるのであれば、その具現者・実現者に、直接、しっかりと相談することです。しっかりと相談すれば、その具現者・実現者が、「相談する人の認識能力・基礎学力・力量等」に応じて、「相談した人において、どのような勉強方法、また、どれほどの勉強量が必要であるのか」、ゆっくりとわかるように説明してくれるに違いありません。

理想郷への到達方法を知りたいならば、その理想郷の具現者、即ち、「理想郷の『化身・権化』」(a person who is the “very embodiment” of ideal)に尋ねるのが最も良い方法です。通常の場合、自分の周囲、あるいは、日常生活において、「理想郷の『化身・権化』」と接する機会はないものです。しかし、幸いにも、そうした機会が日常的にある人は、その機会を逃すべきではありません。

「理想とする人に前髪があると思って安心していると、ある日突然、その人が自分から離れる日が到来。後ろから『ちょっと待ってください』と髪を掴もうとしたら、後ろ髪がないので、髪を掴めず、その人はそのまま去ってしまった」という話は良くあります。本来、「機会」(chance)とは、一事が万事においてそのような代物でしょう。人間は、日々、「機会」の面前で、盲目、且つ、鈍感であることが多いものです。

英語音声講義

⇒ 生と死は、実は、同じ動線上にあるものだ。(英語音声講義)

“reason given by God”

2014-07-20

I am holily breathing right now here at this Ginza Sanctuary quite early in the morning on Sunday which shall be treated as a “holy day.” The air here is so fresh and I shall gracefully prepare to produce what is called, the “rational air.”

This is the year, 2014. Time creeps on silently. Essentially speaking, we human beings are privileged to produce “something valuable” and give it to other people.

It is “not a wise idea” to wait to receive something from other people passively. You never know anything happy, if you just expect to get something from others passively.

The genuine happiness shall be obtained through using your “important time limited” for the sake of happiness of other people. You would be extremely happy to give something valuable to others actively.

“Do to others as you would be done by” (Luke). I’d like you all to rationally think that how you need to use your “life” and “reason.”

英語音声講義

⇒ reason given by God(英語音声講義)

国際教養塾・本科ページの「英語音声講義」について

2014-06-28

国際教養塾は、英語で、大学学部、及び、大学院相当の学問を教授する私塾です。国際教養塾のウェブサイトには、相当数の英語音声講義が掲載されていますが、これらはすべて、「国際教養塾で学ぶ、同塾・塾生のための教材」として掲載されているものです。

わたくし生井利幸は、自己における活動のすべてを「一生涯かけて行う社会貢献活動」として考えています。それ故、これらの英語音声講義に関しても、上記の範疇にとどまることなく、何らかの形で、一般の読者の皆さんの学習にも活用していただきたいと願っています。

読者の皆さん、是非、「国際教養塾の本科ページに掲載済みの英語音声講義」を皆さんの学習に役立ててください。同塾ウェブサイトの本科ページにおいては、既に相当数の英語音声講義が掲載されていますが、今後も、随時、新規の英語音声講義を掲載し続けていく予定です。

様々な学問領域における相当数の「英語音声講義」は、以下の、国際教養塾ウェブサイト・本科ページにて掲載されています。

⇒ 国際教養塾・本科ページ

[追記]
英会話道場イングリッシュヒルズで学ぶ受講生・弟子の皆さんにおいては、国際教養塾で掲載している英語音声講義は、「学習の参考」という程度・範囲の考え方で聴講してください。受講生・弟子の皆さんにおいては、国際教養塾の英語音声講義を聴くことにより、1)「現在の自分自身の英語力・学問的能力がどれくらいのものであるか」、そして、2)「教室のレッスンでは、実際のところ、講師は、かなり受講生・弟子の英語力・基礎学力に合わせて、懇切丁寧に、わかりやすく指導を行っている」ということについて徐々に理解できるようになります。

国際教養塾の英語音声講義は、「相当難しい学術的講義」です。英会話道場イングリッシュヒルズで学ぶ皆さんにおいては、まず第一に、「現在、講師の生井利幸に指導されている勉強方法」にしたがって、「謙虚な学びの精神」の下、最も堅実な姿勢・方法で『基礎的学習』を進めてください。

英会話道場イングリッシュヒルズで学ぶ受講生・弟子の皆さんは、まず第一に、「英会話道場イングリッシュヒルズに掲載されている教材(英語音声講義・文書教材)」を勉強してください。また、より深い勉強、そして、より高度な勉強をしたい人は、「生井利幸公式サイトに掲載されている教材(英語音声講義・文書教材)」を勉強してください。(勉強方法がわからない人は、必ず、講師に相談してください。)

私にとっての”literature”

2014-06-19

概して、“literature”は、日本語で「文学」と訳されることが多い。ところが、学問、芸術、創作等に生きる人間においては、時として、”literature”を「活字文化」として捉えることがある。

学問・文化・芸術を総合的に捉えて執筆活動、及び、啓蒙活動を行っている私においては、”literature”はまさに「活字文化」そのものである。アメリカから全面帰国後に銀座書斎で行っている啓蒙活動の主な柱は、国際教養塾(International Academy, Tokyo)、及び、英会話道場イングリッシュヒルズ(English Hills, Ginza)における国際教育である。

国際教養塾は、英語で「大学学部・大学院相当の学問」を教授する私塾。一方、英会話道場イングリッシュヒルズは、英語で「国際的教養・品格を備えた英日バイリンガル」を養成する日本一厳格な学びの聖域である。

私にとっての”literature”とは、「活字を介して学問・文化・芸術を表現するための『道具』(tool)」である。率直に述べるならば、私におけるliteratureは、それを文章として書いても、または、口語会話(spoken language)として喋っても、まったく同等の行為。literatureを広義に把握・解釈すると、「文章」には<文章の味わい>があり、「口語会話」には<口語会話としての味わい>が存すると私は捉える。

現在、国際教養塾、及び、英会話道場イングリッシュヒルズにおいて猛勉強を行い、英語でしっかりと「自分自身の教養の向上」を具現している塾生・受講生・弟子は、「教授者である生井利幸が表現するliterature」を満喫している人である。

率直に述べるならば、literatureは、「literatureを発する本人」から直接学ぶことが最も妥当な学習方法である。例えば、「エレガント英語」(elegant English)を習得したいならば、「自分が理想とするエレガント英語を喋る『本人』」から直接学ぶことが最も近い道のりであり、「教養」(culture)を養いたいならば、「自分が理想とする教養を備えた『本人』」から直接学ぶことが最も近い道のりだ。

音楽家(作曲家)は音楽を通して本質を表現し、画家は絵画を通して本質を表現する。そして、作家・学者は、文章を通して本質を表現する。literatureに生きる私は、今後も、literatureを通して伝えるべき本質を表現していく所存である。

英語音声講義

⇒ literature as the incarnation of my spirit(英語音声講義)

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